FC2ブログ

白昼の不在 

郵政省宿舎が解体される模様だ(右)
DSC04464bj.jpg DSC04465bj.jpg DSC04463bj.jpg

この歳になったら病気の4つ5つは体得し、相手によってエピソードと知識を差し替え対応するのが世渡りの術かと思う。世渡りに悉く失敗した私が言うのだから間違いない。私の手足の痛みも膏肓に入りつつあるが、先日別の若い医師の整形外科(肩の痛みで掛かったことがある)へ行って診てもらったところ、少しばかり進展する気配があった。
足の親指の軟骨が減っているという所見は同じだが、手の方は母指CM関節症との診断が下された。CM関節とは指の付け根の関節のこと。同期生のY・Yさんが難儀している病気だ。CM関節はよく動く関節なので、使いすぎや加齢に伴って発症したり、脱臼や骨折後にも起こるという。進行すると関節は亜脱臼する。私の指も親指を閉じたときにズレが生じるのだそうだ。したがってたとえば本を掴む場合は、厚い本より薄い本の方がズレが大きくなるとか。認識が逆だった。
足は前から見たときの骨のアーチがなくなり、軟骨よりそれで痛みが生じることが大きいのではと言う。インソール(中敷き)の話が出たので、砂銀の靴屋で聞いたら1万5千円もするので驚いて止めたと話すと、ここには業者が入っており健保により1割で作れるとか。やってもらうことにする。ただし、当初の支払金額は結構な値段だ(後で9割が還付される)。塗り薬が出て、痛みのある場合は炎症を起こしているのだから使った方がいいといわれた。


DSC04469bj2.jpg DSC04467bj.jpg DSC04462bj.jpg

年末なのでこれからイベントが重なり慌ただしい。15日は2つのトークショーが間を置かず開かれるので、タクシーを使わなくてはならないかもしれない。
さて、先の土曜日、ギャラリー冬青へ行くと作家もスタッフも誰もいない。三和土に女物の靴が揃えて置いてあるだけで、静まりかえっている(ここは靴を脱いで入る)。作品は鶏卵紙にプリントした植物だが、二度回って見終わっても誰も現れない。記名帳に「お留守のところ失礼しました」などと書き込んで退去しようとすると、観客らしい男がやってきた。会釈したのに応答なし。

銀座のど真ん中で、ウクライナの写真を撮ったT.T.Tanakaという人の写真展があり入ってみた。キエフ他、ウクライナの都市を背景に人々を広角レンズで撮ったスナップだが、昔から緊張を孕んできた(今もロシアとの確執がある)この国の歴史に全くノーコメントなのがイマイチ乗れない理由だ。
一方、神宮前のトキ・アートスペースでは中前寬文の『存在の行方2018』という刺激的な展示が行われていた。「Bring Forward」なる今年の企画シリーズの7回目である。東シベリアに抑留され亡くなった叔父の墓を訪ねる旅を映像や遺品を使い構成する、なかなか手の込んだ展示だった。メイン画面に旅の動画が映し出されるとともに、床に雪のように盛られた白い樹脂(?)に叔父と覚しき兵士の映像が投射され、炎や吹雪の映像、カウントダウンの表示が重なる。部屋の天井からは遺品のバイオリンとマフラーがぶら下がっている。また、日本国憲法第九条をロシア語訳して印刷した紙片を携行し、それを現地の女性に朗読してもらったり、バイカル湖の岸に沈めて波に洗われたりするのを撮影している。プリアート共和国の退役軍人たちが演奏する軍歌の勇ましくも物悲しいメロディーが耳に残った。プリアート人のDNAは日本人のそれに近いとか。

                         
DSC04437bj.jpg
                 

絶滅語大賞 

DSC04456bj.jpg

土曜朝は二度寝せず1時半ごろから8時半頃まで(一度目が覚めかけたが)通しで眠れた。首の周りに汗を掻いていたが、それは朝が冷えるというので布団の下に毛布を掛けたせい、また布団を引っ張り上げる習性によるものだ。それで夢を見ていた。……社長のところへ電話し明日の現場を決めてもらわなくてはならない。電話番号を調べるのにでっかい自販機風の機械の中のベルトみたいなものを上下に回転させるのだが、上手くいかずイライラする。中では(なにゆえか)日付ゴム印みたいになった電話番号が動いていく。……その後、そこはもう夢か現実か分からないが、過去の認識の浅さに猛烈な自己嫌悪が湧き上がった……。目覚めてみると仕事が溜まっているのに追いつかない自分がいる。追いつかないだけではなく、現在の生活にも後悔と懺悔が尽きないのである。

                     
DSC04426bj.jpg DSC04428bj.jpg DSC04451bj.jpg

夕方ギャラリー回りのために電車に乗り、届いたばかりの東京新聞夕刊を開くと文化欄下に「下斗米大作展 人と自然の寓話より」というのが載っていた。宮坂なる知らない画廊だが、番地は銀座7丁目でニコンサロンの近く。急遽予定を変更して訪ねると、絵は温かみのある静物にわずかな幻想を加味した実に私好みの作品である。「こちらが作家の下斗米さんです」と紹介された人は質実剛健なる風貌。名前はペンネームでもなんでもないどころか、聞けば「相馬大作直系の子孫です」とおっしゃる。二戸に生まれ宮城県で教師をしていたが、定年になったのを機に東京で最初の個展を開いたというのだ。ひとしきり南部の話になったが、野辺地のことも野辺地戦争のこともご存じないようであった。

                       
DSC04429bj.jpg DSC04435bj.jpg DSC04450bj.jpg

井伏鱒二が『太宰治』に書いているところによると、『ダス・ゲマイネ』なる作品のタイトルはドイツ語で「下品」とか「俗悪」という意味だが、「津軽弁」で「ン・ダスケ・マイネ」は「だから駄目」という意味になるという、浅虫温泉で出会った「背広の男」が言う地元の意見として紹介されている。このことは『太宰治集上』の解説に書いていることだから周知の事実だろうと思うが、私が読んだのは初めてだ。
しかし、「まいね」は純然たる津軽弁だが、「から」を「すけ」と言うのは南部弁で、津軽弁では「はで」と言う。これは南部と津軽を分ける方言の絶対的分水嶺である。太宰がそれを知らないわけはないから、あえて両者をごっちゃにしドイツ語の「俗悪」に引っかけて遊んだのだろう。我々の学生時代も卑猥という意味で「ゲマイ」と言ったものだ。
これは今から70年前の文章だから、現在まで有名人・無名人含め無数の指摘があったことだと思うが、その委細は知らない。ちょっとネットを検索すれば分かりそうである。誰か調べてくれないだろうか。

                        
DSC04416bj.jpg DSC04454bj.jpg

団地からバスに乗ると必ず「母さん助けて詐欺を知っていますか? カバンを置き忘れた、すぐにお金が必要だなどの電話があった場合それは詐欺です……」というアナウンスが流れるのには閉口する。つい「知らないよ!」と突っ込みたくなる。「母さん助けて詐欺」なんてケ-サツでももはや使っていない。ネーミングとして大失敗の例である。流行語大賞の反対の絶滅語大賞でもあれば「E電」と並んで入賞することだろう。読者諸君の絶滅語を募集したい。
                       

ひとりぼっちのわたしに 

日曜日、例によって二度寝したら起きられなくなった。何をしたわけではないが全身がだるい。日頃の疲労が蓄積したとしか思えない。二度寝とは言え、朝そんなに遅く起きたわけではないのに……。

                          
DSC04418bj.jpg DSC04412bj.jpg

溜まった仕事を片付けようとしたら、赤の水性ボールペンが書けなくなった。インクはまだ十分あるのに線が途切れる。ZEBRAのサイトを見ると水性ボールペンのインクの耐用年数は3年だそうだが、これは7年経っていた。もう1本の色違いのペンをカバンから出したみたら、こちらは特殊な色ではあるが9年も経っていて、当然書けない。事務所の仕事を辞めてそれだけ年数が経ったわけだ。持ち主も老いるはずだ。今日の仕事は止めだ。

高円寺で再開したポルトリブレ(こちら)へ行く。最寄り駅は丸ノ内線の新高円寺。ルック商店街を進んで西側へ入る住宅街で、途中は凝った店が多く独特の雰囲気がある。とはいえ、他区では随所にある番地表示が全然なく、普通の民家でもあり見つけられなかった。ポルトリブレのことは何度か書いているが、近年は新宿三丁目界隈を彷徨って最後にたどり着く場所になっていた。それがビルの建て換えという名目で退去を強いられてから約1年、困ったのは私よりもここを頼りにし集まっていたアーティストたちだったろう。新しい場所はポルトリブレ デ・ノーヴォ(ふたたび)と銘打ち、ドアを開け靴を脱いで入らなければならないが、ともあれ一段落か。オープニングはオーナーのコレクション展。場所的に鳥渡・街道・冬青などが近くなった。

                        
DSC04409bj.jpg DSC04424bj.jpg DSC04420bj.jpg

ひと日、横浜は港の見える丘公園にある神奈川近代文学館で「寺山修司展ひとりぼっちのあなたに」を観た。ギリギリの時間になってしまい、じっくり観るわけにはいかなかったが、なかなかの内容。惜しかったのは貴重なムービーなどがほとんど観られなかったことで、さすがに横浜は遠い。外へ出ると日はとっぷりと暮れ、眼下にみなとみらいの灯が輝いていた。

近々に江東東税務署へ行かなければならない。これまで確定申告をWebの作成コーナーで作成しプリントアウトして郵送していたが、知っての通り今年からe-Taxがマイナンバーカードやカードリーダーライターなしでできるようになった。税務署員と対面で本人確認ができればIDとパスワードが発行され、それを使って申告書類をe-Taxで送信すれば完了する。まことに便利になったもので、保守的な税務署がよくぞ脱皮したものだ。

忘年会の案内が3つばかり来ているが、メインはたぶんパス、仕事関係は出席、残る1つは成り行きで考えたい。それにしても、年々敵が増えるのは困ったもんだ。26日の運勢に「観音様の事を施無畏者という」との謎めいた言葉が載っていた。
                      

フランスの届かない声 

DSC04401bj.jpg DSC04400bj.jpg

何だか悪い夢を見ていたような気がするが思い出せない。目が覚めると布団の下で首が汗びっしょりになっていた。起きたのは9時過ぎ。しかし熟睡感がない。毛布とタオルケットでは明らかに寒い状況。難しいものだ。やはりジャパネットたかたの羽毛布団かな。外は雲が多く北風が冷たい。

犬がしゃかりきに吠えている。見るとバス通りから入った住宅街で飼われている犬が、主人の散歩で傍を通りかかった別の犬に吠え掛かっていた。時々通る家の前に寝そべってばかりいる大型犬で、おとなしい老犬と思い込んでいた。こんな風にテリトリーを守るため感情を露わにする場面に出くわすのは初めてだし意外だった。猫と違って犬を撫でたり話しかけたりすることはないが、すると雌ではなく雄だったのだろうか? 

TBSのJNNドキュメンタリー ザ・フォーカス(19日深夜)が「届かない声… フランス『核のゴミ』最終処分場に揺れる村」(概要はこちら)という番組を放映していた。原発大国のフランスは電力の75パーセントを原子力で賄っている。核廃棄物は地層処分が最適と判断したが、高レベル廃棄物を保管する最終処理場はまだ存在せず、使用済み核燃料の96パーセントを再利用しているにもかかわらず、核のゴミが年間50トンベースで増加する現状だ。
農耕地が広がるビュール村に放射性廃棄物の管理や最終処分場の設計・運営を担う公的機関「ANDRA」がある。フランスは2006年に「放射性廃棄物等管理計画法」を成立させ、最終処分場は研究所で実験対象となった同じ性質の地層に建設することに決定した。これにより選択肢はANDRAと同じ地層にあるビュール村しかなくなった。稠密な粘土層が放射性物質を安全に閉じ込め数万年にわたる管理を可能にするという。フランス政府は2035年の本格稼働を目指す。

                   
DSC04272bj.jpg DSC04396bj.jpg DSC04377bj.jpg

それは村民にとっては寝耳に水で、村が同意したのはあくまで研究施設であり最終処分場ではなかった。すり替えられたのだ。ANDRAは周辺の土地買収を進め、許可が下り次第速やかに建設に移れるよう準備している。村民は風評で農作物が売れなくなることや安心して生活できなくなることを恐れ、反対の声を上げるが一枚岩とはいかない。
その間も予定地から50キロのレジャー施設には10年間で330万ユーロが投入された他、周辺自治体やインフラにふんだんに補助金が投じられ施設誘致のメリットが強調される。隣のマンドル村ではANDRAが土地交換を持ちかけ、村民は住民投票で反対の意思を示したが白紙にされてしまった。
計画を進めてきた国民議会の元下院議員クリスチャン氏は、最終処分場建設は国家計画でありフランス全土の電力供給に関わる案件で、人口250人ほどの村が決定することは逆に筋が通らないと語る。

長々と引用したのは状況が日本と全く同じだからである。行き場のない核のゴミ。六ヶ所村も核廃棄物の処理施設がいつ何どき恒久貯蔵施設にすり替えられないとも限らない。青森県民はそれを恐れている。

                       
DSC04360bj.jpg DSC04327bj.jpg 
                        

前教頭の何が悪い 

高校の同期会は11人が集まりそれなりに盛り上がったそうだ。某君の配慮で母校のラベル付きワインが1本ずつ配られたというが、どこにそんなお金が……。送ってもらった画像を見ると一様に老けが目立つ。75を境に老化がぐっと早まったようだ。同期会も悪くはないが、同じようなメンツで毎年集まっても飽きが来るし、一昨年のような横車を押すような動きがあればイヤになったりする。本当は細心の切り回しが求められるところだ。

          
DSC04368.jpg DSC04371bj.jpg DSC04366bj.jpg

さて、リフォームが終わってマッタリしていたら、メルマガの原稿が残り少ないという通達が回った。ま、また? 暫くすると原稿がどっと舞い込んできてアワワという状態になった。字句はそれほどではないが、イレギュラー表記を規定の体裁にするため四苦八苦。やむなく担当者にアドバイスを乞うときれいに収めてくれた。3時過ぎ、数本を一気にUPする。足りないと言われて私のところで止まっていると寝覚めが悪い。

前回の記事に入れた黒猫の写真だが、ノラのくせに猫町4丁目某家の何かみたいに振る舞っている。たまたま奥さんが外にいたので話を聞いた。このあたりは何組かボランティアがいて、猫の世話をして回っているのだそうだ。一方、あんずは前の広い駐車場がマンションになるので工事が進み、もはやのんびり日向ぼっこもできない。雲隠れしてしまった。
成り行きで、以前書いた猫を器用に手なずけているメタボ男のことも聞いてみたら、彼も猫おじさんの一人だという。あれから時々見かけたが、餌を少しやってなつかせているようだ。それが実に上手い。弟子入りしたいものだ。とは言え、猫好きは人間嫌いが多い。気をつけないとね。

                   
DSC04393bj.jpg DSC04381bj.jpg

12日付の東京新聞夕刊コラム「大波小波」が安彦良和を論じていた(「安彦良和のアナーキズム」)。安彦は以前、東京夕刊の「この道」を連載しているが、逮捕された全共闘運動への関わりはなぜかそそくさとスルーしているように感じられた。
コラム子は彼の新著『革命とサブカル』について、当時の仲間たちへの聞き書きを収録し、自分たちは寡黙を破って語るべきことを語り始めるべきだ、長い沈黙は体験の空疎さではなく、重さ、巨きさの証しだと書いているという。それは自身の仕事の再点検でもある。安彦は最後に大衆に対する前衛主義を批判しつつ、多様で自由な「サブカル・アナーキズム」の可能性に言及している。サブカルの政治性はどこまで行けるのか、云々……。
孫引きで恐縮だが、だとすれば「この道」でのスルーもそれなりに意味があったというべきか。退学を機に上京してサブカルに向かった安彦……長い沈黙の内実が知りたいものだ。そして「サブカル・アナーキズム」とは何かも。

仕事の大先輩だったH氏が9月に92歳で亡くなったとのこと。謹んでご冥福を祈ります。