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如月より

芯なくば立たず。

知水資料館

北区志茂
DSC00847bg

週の前半は仕事だったので、金曜日は早めに出てギャラリー回りを集中的にこなした。トーテムポール(有元伸也展)、ニエプス(ヨハン・オーカタ展)、シュハリ(直江沙季展)、蒼穹舎(真月洋子展)、サードディストリクト(那須悠介展)、TIG(村越としや展)、富士フイルム(小林紀晴展)、ル・デコ(グループ展)を回る。小林紀晴の「遠くから来た舟」は林忠彦賞受賞作だが、イマイチ乗れない。展示の仕方に問題があるのかもしれない。土曜日は岩淵水門の近くにある荒川知水資料館で「小泉定弘オリジナルプリント写真展」を観る。作者は日大の先生で1993年に荒川の全流域を踏破し『荒川』を出版している。展示は本の写真からの抜粋だという。これは21日まで。係員に上流のキャプションのことで質問したが、ここは荒川下流河川事務所が運営している、上流・中流は管轄外でわからないと言われた。あまりの縄張り意識に唖然とする。

ル・デコは渋谷川沿いのビルにあるが、渋谷の大改造に伴って東横線が地下に潜り、川沿いの高架は廃線となってしまった。若いころ急カーブに揺られながら通勤した東横線の黒々とした廃墟を見るのは寂しいものだ。川に谺した車輪の響きも、狭い川面を照らした車窓の灯りももうない。金曜日の地下鉄ではへんなアナウンスに出くわした。「……建物が壊れましても衣服が汚れましても関知いたしません。自己責任ですっ!」というのだ。前の方はよく聞いていなかったが、よくある駆け込み乗車は止めて下さいというものだったように思う。それがなぜ建物が壊れることになるのか。若い声だから新人かもしれない。もう一度聞いて確かめたかったが、すぐ降りたので叶わなかった。どの線だったのかもよく覚えていない。都会では時々不思議なことが起き、すぐに忘れられる。

追記:知水資料館で聞いたのは「明戸サイフォン」のこと。埼玉県深谷市と熊谷市の境にあり荒川の下を潜って農業用水を通す仕掛けだが、現在は撤去改修されている。写真展のキャプションにある言葉なのに、気にならないものだろうか。知水の名が泣く。

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コメント

一日に8軒?

これはまた新記録ですかな?
体力だけでなく、頭もパンクするのではないでしょうか。よくこなせますね。脱帽です。

「建物」ではなく、「履物」の聞き違いではないでしょうか?

しかし最近の駆け込み乗車はひどいですね。子連れで駆け込む人、乳母車を先にドアに挟んで止める人、中にいる人に傘の先を突き出し傘を挟んでドアの閉まるのをとめようとする人、駆け込んで中の人にぶつかって来てあやまることもしない人、とても信じられません。世も末になったものだと思っています。それで車掌個人の刑事責任を問う現象など論外です。「犯罪」だと思います。

Re: 一日に8軒?

> 体力だけでなく、頭もパンクするのではないでしょうか。よくこなせますね。脱帽です。

午前中に出れば1日10件くらいは楽勝です。ただ最近は節約のため外食を控えています。

> 「建物」ではなく、「履物」の聞き違いではないでしょうか?

いいえ、確かにヘンなことを言ってました。アクセントが違いますよ。

駆け込み乗車はひどいかもしれませんが、それを糾弾するつもりはありません。私も時々やらかしますので。ベビーカーを突っ込むのは論外でしょうが、電車が入ってくるのに、ベビーカーをほっといて漫然とケータイを見ている母親には、あぶないっっっ!と心の中で叫んでしまいます。彼女たちの危機感のなさは最悪です。

お地蔵様

事故現場の御供養でしょうか。
卒塔婆まであって…由来が気になりました。

Re: お地蔵様

知水資料館近くの新河岸川沿いに立っているお地蔵さん。卒塔婆には「荒川流域水難横死各精霊供養」との文字が見えます。また「この地蔵の頭は何度も盗まれました……」という自治会の立札も。そのためかお地蔵さんの頭は木製です。

頭難(盗難)!

横死者の供養が当たり前の時代は「死者」と「生者」の絆を大切にしている。お地蔵様の頭を平然と持ち帰る輩(ヤカラ)がいる時代の絆は今にもちぎれそうだ。それにしても木製ならいいのかね?

Re: 頭難(盗難)!

写真を拡大すると「心なき人に二度も首を取られました」とあります。お地蔵様に何の恨みがあったのか。2度も取られたので、自治会はあきらめて粗末な木の首を据えたようです。テキトーな目鼻が書いてあります。

荒川-割に合わない扱い

江戸や東京を舞台にした文学には、隅田川は大川と呼ばれてよく出てくるが、荒川はほとんど出てこない。歌にしたって滝廉太郎の「花」から、島倉千代子の「隅田川」まで出てくるのはほとんど大川のほうばかりである。
しかし隅田川など東京都に入ってから急に現れてくるような川で、荒川のように秩父から延々と流れてくる由緒正しさみたいなものがない。だから、その上流域の話となれば、長瀞の青畳にしても、秩父困民党の舞台としても隅田川など荒川の足元にも及ばない。ちなみに荒川の源流-奥秩父の甲武信岳は高さ2400m程度ながら信濃川の源流でもあり、堂々たる裏表日本(この言い方は差別的故今はないのだろうが、小生たちは学校でこう習った。確かにこっちが表、そちらが裏、とだれが勝手に決めたのだ、と言われればちょっと首をかしげるが、日出ずる側と日の没する側と理解すれば無理はない気がする。)の分水嶺だ。
 それだけの川にしては、東京に入ってからの扱いは不当に低いと言わざるを得ない。これは何に由来することなのだろう。

荒川“放水路”

約40年前、小学校の社会科では「荒川放水路」と習いました。
荒ぶる暴れ川であった荒川の被害を軽減すべく作られた放水路である、と。
完成した時点で、都内を流れる旧・荒川が隅田川とされたのではなかったかしら…この辺は、ウロ覚えですが(^^;;
上流の事情は他県のことゆえ存じませんが、位置関係(埼玉との県境~23区東側)と“放水路”という名称とで不当な?扱いなのかもしれません。
個人的には、子どもの頃から最も親しんでいる一級河川です(笑)。

Re: 荒川-割に合わない扱い

荒川(荒川放水路)が出来たのは昭和初期ですから止むを得ないところもあるでしょうね。昔は今の隅田川の上流を荒川と呼んでいました。旧荒川放水路はめでたく荒川の本流となったものの、出自が災いして江戸っ子の思い入れが利かないのかもしれません。

Re: 荒川“放水路”

難産の末に誕生した荒川放水路ですが、だだっ広い即物的な景観が思い入れしにくい要因かも。

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