神田川中流域を歩く 

大久保の忘年会は来月の2日だそうだ。早めだが当方は昨年に引き続き欠席だ。この1年で断絶は更に大きくなってしまった。修復(があるとして)には少なくとも数年を要する感じだ。私は八十に手が届く歳になってしまう。
    
    

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さて、13日は久々に川歩きを行った。コースは井の頭線の高井戸から京王本線の下高井戸まで、神田川の中流域3.7キロ。メンバーはYさん、Oさん、Mさんの3女史、H、Sの両君と山姥さんに私を加えた7人である。コースを引いて地図をつくるのに以前はデジタルミリオンを使っていたが、Windows10に対応していないし情報も古いので、前回からルートラボというサイトでつくっている。慣れないこともあって、適切なサイズのプリントアウトが難しい
高井戸駅の改札で待ち合わせ、午後3時過ぎ、環八を渡って井の頭線に沿って流れる神田川を歩き始める。風のないポカポカ陽気は暑いほど。川は両側に手すりの付いた歩道が完備しているが、車は来ないものの、ジョギングの人たちや自転車がひっきりなしに通るのでいささか煩わしい。右岸に白兎珈琲店という店があり、何と読むのか話題になったが正解はシロウサギだとか。
         
          

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東京の川はどこもコンクリートの護岸、しっかりした手すりと街路樹、工夫を凝らした橋……と同じような風景が続く。短い橋のデザインの違いを見たり、川沿いの民家の樹木や花を眺めたりするのも楽しみの一つ。したがっていちいち解説しないので画像を見て想像願いたい。途中休憩した塚山公園は、縄文時代中期の住居跡が発見された塚山遺跡が復元保存されているという。小高い台地に大きな池がありベンチやトイレがあったので、遺跡などに興味がない我々はお菓子を分け合い飲み食いしただけであった。
               
                 

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しかしそこはまだコースの3分の1の地点で、既に日が落ちかけている。始まりが遅すぎたのである。あとはしゃかりきで歩き、下高井戸に着いたときには真っ暗になっていた。下高井戸は事前に調べたとおり手頃な飲み屋(チェーン店)がない。山姥さんはここで帰った。残りのメンバーで電車で明大前に移り、改札を出ると目の前につぼ八と仙やがあったのは奇跡的だった。
                   
                      

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今回は腰の悪いH君に配慮してコースを短めにしたが、闘病中の山姥さんが歩くのにもちょうどよかったようだ。みんな5キロ以上は無理になってきている。集合が3時では遅いことも学んだ。闘病といえば私の肩の痛みはリハビリのおかげでだいぶよくなった。今日は兄さんに姿勢がまだよくないと言われた。
                 

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元荒川を歩く 

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24日は久々の川歩きの日。越谷駅から元荒川を歩く。常々歩きたいと思っていたコースだが、やっと実現した。この季節は天気が不安定で、1週間前の天気予報も当たらない。最初は17日に予定したのだが、雨の予報だったので延期したら17日は天気がよかった。24日は雨→晴れ→曇りで何とかもった。

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当日参加は結局4人。私、Oさん、Tさん、S氏である。Mさんは直前に体調不良で来られなくなった。越谷駅の周りは高架化のせいか真新しい店や建物が建ち並び、まったく歴史が感じられない。駅から元荒川へ向かうが、その道筋も同じような状態。川の手前、右に市民会館、左が市役所があり、市民会館はレトロ調の洋館風建物。すぐ元荒川を渡る新平和橋である。新平和橋は西側に葛西用水、東側に元荒川が流れていて両方を跨ぐ。細い方が元荒川だ。そこから元荒川沿いに上流へ歩く。

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やはり真新しい住宅街が続く。宮前橋・新宮前橋に出る。北側に久伊豆神社と植物園、天獄寺があり、入り口に天獄寺石塔群が見られる。奥の公園で休憩しハナミズキを見た以外、神社仏閣は割愛する。少し行くと元荒川と先ほどの葛西用水(逆川)が交差する地点に出る。この先、葛西用水は新方川や大楽古利根川に繋がっている。

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元荒川の川岸にはどこまでも黄色い菜の花が咲いているのが目立つ。青い矢車草もあった。大通りを過ぎ東武線を潜って更に歩き続ける。歩道がなく車がぎりぎりで通り抜けるので危険な場所が多い。いつの間にか町川から田舎の川の風情に変っている。大きく東側へ曲がるとその先に文教大学がある。敷地が大きい。大学を過ぎて北越谷方面へ渡る橋に「越谷で一番美しい風景です。……」という手作りのプレートが取り付けてある。バイパス反対派の戦術みたいだが、なかなかイキなやり方だ。眺めが美しいことは確かだが、日暮れとともにどんよりした天気になってしまった。そこからは太い桜の古木が続く。桜の季節はさぞ美しいことだろう。東武線の手前で右に折れ、北越谷の駅前に出るといつものようにさくら水産で打ち上げだ。

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しかし楽しく飲んでいた打ち上げの席で、思いがけない知人の訃報を聞かされた。画家の戸田ミチノリ氏は私と同じ歳で、本業の傍ら警備員をして暮らしていたが、かつては絵を精力的に描き名前もそこそこ売れていたようであった。彼に最後に会ったのは橋口氏の個展のときだから4年前になる。その彼が入院したと思ったらあっけなく亡くなったという。昨年末のことである。病名は知らないが、脚の付け根からつま先に掛けて痛くて眠れないと言っていたとか。お骨は兄の家の墓に納められ、書きためた絵は仲間内で形見分けしたと聞く。ささやかな縁であった。冥福を祈るばかりだ。

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二ヶ領用水(上流)を歩く 

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木枯らし1号の吹いた日曜日は久々の川歩きで川崎まで出かけた。川崎の高津駅から宿河原駅まで歩く予定だったのだが……ま、その経緯は後述するとして、今回は参加者が少なかった。八王子のS氏はお母さんの面倒を見るため、方南町のH氏は腰痛が激しくてそれぞれ不参加、3人組のうちMさんも不参加で、結局4人だけになった。

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今回の川は二ヶ領用水。2002年に登戸まで一度歩いているし、下流も武蔵小杉まで2010年に歩いているお気に入りの流れだ。二ヶ領用水は家康の命を受けた小泉次太夫が14年掛かって多摩川から水を引いた農業用水で、川崎領と稲毛領の2つの領地を潤したからこの名前がある。川崎市最古・最長の用水路である。田園都市線・高津駅から上流へ歩き始めるが、用水は家並みの中を窮屈そうに流れる感じ。両側の歩道はきちんと整備されて歩きやすい。間もなく大石橋で大山街道と交差する。大山街道は江戸時代の重要な往還だ。続く濱田橋は昭和の陶芸家・濱田庄司に因み、「春去春来」の陶板が付けられている。246号線を用水は暗渠でくぐり我々は歩道橋で越える。

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少し行くと木立が見えてそこが久地円筒分水だ。前に見たときより周りが整備されてスッキリしたが、囲んでいる針金の柵があまりにもガッチリとしすぎて写真が撮りにくい。円筒分水とはサイフォンの原理で新平瀬川を潜った用水の水が、流量にかかわらず正確な比率で分けられるように工夫された装置だ。あふれた水がコップの縁を乗り越えるような状態を絶対水深と言うが、絶対水深の状態では円弧の長さに比例して分水される原理を使っている。当時の神奈川県多摩川右岸農業水利改良事務所長・平賀栄治の設計で昭和16年に完成した。これにより長年の水争いは解消したが、現在は役目を終え有形文化財として保存されている、傍らに平賀栄治の顕彰碑が建てられていた。写真の水草のある真ん中の円筒から用水の水が吹き出し、外側の円筒で分けられる。ペットボトルなどが浮いているのが興ざめだった。

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そこから新平瀬川を渡り久地駅まで歩く。だだっ広い風景になり、用水の水も増える。この水の円筒分水へ行かない分は新平瀬川へ流されるのだ。いい加減歩いてやっと久地駅前に着く。そこから支川を宿河原駅まで歩くつもりだったが、反対論が出てここで打ち切ることにした。久地駅前には飲み屋がないので南武線で溝ノ口まで出て、花の舞で打ち上げとなった。花の舞のあるあたりは何だかアジア風の飲み屋街で大衆酒場が並んで繁盛していた。

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今回は3.5キロくらいか。短いが充実していた。地図はいつものデジタルミリオンでは「圏外」になって大雑把なものしか出せず、別にグーグルマップを使って細かい縮尺のを用意したが、あまり使う場面はなかった。
       

中川を歩く 

区議・区長選には期日前でやってしまっていたし、ギャラリー回りも前倒しで済ませ、古紙回収に向けた新聞のスキャンをやっと終らせた。区議選では、29歳保育士の新人女性が江東市民の会から出る手筈で金子勝氏の講演会などイベントもやっていたのが、直前になって維新の党と民主党の推薦に鞍替えしたというので、市民の会は憤っていた。大した公約もなく人生航路の出端でこんなマヌーバーを弄していては先が思いやられる。維新・民主の株もさらに下がるというものではないか。しかしこういう人でもそこそこの票を取って当選し、一方、市民の会が擁立した元職は落選の憂き目を見た。今回の地方選はどこでもこういうビジュアル重視の「ミスコン状態」なんだという。区長選はご多分に漏れず自民系の多選現職vs共産党系新人の構図。私と同じ歳の現職は余裕で乗りきってみせた。

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さて、19日は久々に川歩きの会で中川を歩いた。天気がいいはずが当日朝は雨でがっかり。午後には止んでくれたものの、最後までどーんとした天気で写真映えしない。四ツ木の駅から青砥まで流れに逆らって歩くつもりだ。四ツ木の駅周辺は店が何もないのでビックリする。その秘密は商店街が駅から外れていること。ここは荒川の内側に綾瀬川が流れていて、中川との合流点まで道が3本ある。ちょっとそこでゴチャゴチャしてしまった。本当はいちばん外側の道を歩かなければならなかったのだが……。ここからは荒川越しにスカイツリーがよく見える。合流点手前に木根川薬師があり、高速道路のかつしかハ-プ橋、その先に上平井水門がある。

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ようやく中川の雄大な蛇行が始まるのだが、雄大すぎていささか面白味に欠けるかもしれない。天気が悪いのも原因のひとつ。むしろ川と反対の道路側に花が咲いていたり、着物の熟女とすれ違ったり、いろいろ興味深いことがある。平和橋を過ぎて行く。川には水の暴走族ともいえる水上スキーの集団走行が目立つ、というかやかましい。田辺製薬の跡地に私の地図にはない大きな公園ができていた。本奥戸橋のたもとに地蔵尊・馬頭観音・道しるべがある。荷風の『断腸亭日常』にも記述があるという。次は奥戸橋だ。少し行くと福森稲荷があり、ここから青砥駅に向い本日は終了。青砥の養老乃瀧で打ち上げする。今回は橋を渡るコースにしなかったのも眺めが狭まった原因かもしれない。.メモしておこう。

中川は下流を荒川にぶった切られ、盲腸のように残った部分が旧中川として竪川や小名木川につながっている。荒川に沿って流れる綾瀬川は昔は古綾瀬川と呼ばれ、堀切付近で墨田川に合流する方が新綾瀬川だったものが、今はこちらが本流で、堀切で荒川と墨田川をつなぐ部分が旧綾瀬川となっている。この辺りの川の変遷はまことに複雑で覚えきれない。家康の時代から江戸東京は、川の流路をコントロールすることで都市圏を拡大確保してきたのである。それにしても、荒川放水路(現荒川)の掘削はずいぶん思い切った大プロジェクトだったようだ。

猫町5丁目にて(オマケ)
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立会川を歩く 

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30日は71歳の誕生日。例によってA氏に呼び出され、寒い中、立会川を歩くことになった。もっとも立会川を歩こうと決めたのは私である。なぜかというと短いから。開渠部は0.7キロと短いので川歩きの会の対象にはなりにくいが、一度歩いてみたかったのだ。しかし暗渠部は長く目黒区碑文谷辺りが水源とされている。暗渠の大部分は立会道路、立会川緑道などという緑道公園になっている。開渠部と暗渠部はほとんど別の河川というネット記事もあった。
今回は京急鮫洲駅から旧東海道を下り、立会川に入って東海道線をくぐり、そのあとは緑道を大井町駅まで上る予定で、鮫洲駅で待ち合わせする。歩行距離は約2.4キロ。蛇崩にいたときはこの先の運転免許試験場で免許の更新をした覚えがある。代書屋がずらりと並んで客引きをしていたが、今はどうなったか。旧東海道を南下するつもりだったが、勝島運河の堤防の上に歩道があるのでそっちを歩くことにする。見事に凪ぎた夕方の水面に水鳥たちが遊んでいる。船宿もあり、ヨットハーバーみたいでもある。

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立会川の河口付近に「土佐藩 浜川砲台跡」という標識が立てられ、礎石の一部が並べてある。立会川駅西側にあった土佐藩下屋敷から坂本龍馬もここに通ったとあり、稲荷神社前の商店街には龍馬の銅像がある。最下流の浜川橋が涙橋とも呼ばれたのは、鈴ヶ森刑場で処刑される囚人が別れを惜しんだからという。小塚原刑場に近い山谷の泪橋と同じ趣向のようだ。立会川は下流で高濃度酸素溶解水を注入する浄化作戦が行なわれ、またJR馬喰町の地下排水を月見橋で放出して水量を補っている。したがって水質はかなりいいようだ。きれいな水色の水面に水鳥が盛んに潜って餌取りしていた。護岸には黒っぽい溶岩レンガというヒートアイランド防止効果のある素材が使われている。浜川橋から上流へ弁天橋、立川橋、昭和橋、桜橋と続き、次の月見橋で開渠部は終っている。

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ビルや商店の間を流れる典型的な都市河川(二級河川)の立会川は、短いがなかなか風情のある川であった。私の好きな違法建築も多い。ぶらぶら歩いて大井町まで約1時間。予定通りだ。着込んで臨んだおかげで、寒さもそれほど気にならずにすんだ。打ち上げに大井町のさくら水産を探したが見つからず、ひもの屋とかいうちょっと高級な居酒屋チェーンで飲んだ。