寺山記念館・三沢市内を巡る 

いつも野辺地行きは緊張する。しかし前夜に支度しておいたはずだが、朝使った肝心要の目薬と耳鼻科用のスプレイを入れ忘れてしまった。
天気は上々で4時前に野辺地着。不動産店で掛けてもらっていた写真はレイ変で撤去されたので、お礼を兼ねてお土産の夕月を社員に渡し、弟の車でお寺へ。草を取り軽く掃除して花を手向け、風が強いのでろうそくだけ点けて拝む。その後1人で写真を撮り歩く。旧姓Aさんの薬局へ寄って四方山話。彼女も介護してきた夫を昨年亡くしている。公民館でトイレを借りたり、暗くなるまで撮り歩いたので、帰ると弟はもう寝てしまっていた。

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次の日は早起きして三沢の寺山修司記念館へ行く。電車賃は三沢まで片道800円もする。駅からMISAWAぐるっとバスという無料バスが出ている(土日祝のみ)。三沢空港や航空科学館、寺山修司記念館のある市民の森などを回る。寺山修司記念館は平屋建てだが、平面形は柱時計の形をしているという。常設展は寺山ワールド全開の立体展示で、気がつかず見逃したところもあったのは残念。企画展は森山大道の写真展「裏町人生~寺山修司」と中居裕恭の追悼写真展「北斗の街――遡上の光景」。「裏町人生~寺山修司」は新著の発刊に合わせピンクのパネルに貼ったり、三沢の犬の写真を大伸ばしして壁に貼ったり。だが私の目当ては中居の写真の方だ。彼の作品は森山がセレクトしたものを、ホールの壁面だけでなく、文学碑のある森へ続く屋外の「短歌の径」にも点々と展示しているのが新鮮だ。館内では訛りの抜けない寺山の声がボソボソと答えている。ふとそれが中居の声に重なった。

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帰りは例のバスで一旦駅に出、それから三沢の市街へ写真を撮りに向かった。弟にシャッター通りが延々続くと言われたが、それ程でもなく人通りも結構あり、写真も撮れた。基地のゲートへ行けば以前OWLという反戦喫茶があった辺りも見られたろうが、高校や中学校を撮ったあと坂を上ると、偶然引き込み線の踏切に出た。かつて70年代に反戦労働者学生のデモ隊と機動隊が対峙した場所だ。引き込み線はそこで終わりになり、その先の線路跡が歩道になっていた。西日が斜陽の街に強い陰影を投げかけている。
駅に戻り反対側に回ると、廃止になった十和田観光電鉄の駅舎兼待合室が健在で懐かしい昭和ムードが目一杯漂っている。十鉄の電車に乗ったのは数回だが、こんな風景があることは忘れてしまっていた。今はバスの待合室となり、切符売り場とそば屋、自販機コーナーがあるが、大事にしてもらいたいものだ。その他、付近には寺山修司ゆかりのポイントがいくつかある。

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3日目は家の回りの草取りをし、I氏の不動産店へ写真送受の相談に行く。三沢は一握りの大地主が土地を押えているので流通は難しいのだとか。草は根っこが強固で取りきれず、除草剤を撒いておく。弟は樹は切るくせに草は取らないので、つい蔓延ってしまうのだ。しかし、予報では3日目は時々雨となっていたのが好天に恵まれ助かった。もう一度墓を拝んで帰路に着く。
宇都宮を過ぎた頃、新幹線の電灯がいきなり消えて携帯の緊急地震警報が鳴り電車は停止。これで13分遅れた。家に帰ると仕事のやり残しが5本あったのに加え、新たに4本入っていてうち2本は至急だという。大変なことになった。

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旧友と故郷の町を回る 

帰省前から抱えていた数本のメルマガが捗らなくて参った。ブログがなかなか更新できなかったのはそのためだ。ぽろぽろと体裁の不統一が判明して掛かりきりで直したが、最後は語句の重複が自力で解消できず、その原稿は後に回した。挙動不審なMicrosoft Wordの表組みにはだいぶ慣れたが、依然気の抜けない仕事だ。
   
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野辺地行きは3日~5日、大人の休日倶楽部を使っての旅だ。3日は少し早め10時半の新幹線で八戸へ。盛岡を過ぎると車内はだんだん東北弁が多くなり、いわて沼宮内の辺りで小雨が降り出す。八戸では雨ではないものの、冷え冷えとした大気に北へ来たものだと実感。うっかり薄いジャンパーしか持ってこなかったことを後悔する。
野辺地はもっと寒い。まず弟の車でお寺へ向かう。事前にお墓の草を取っておけと命じたのだが、彼は大のお墓嫌いだ。案の定全然やっていない。ボウボウの草を手でむしって埃を水で洗い流し、ようやく挿せるだけの花を供え、ろうそくを立て線香を上げる。掃除している間、弟は車でワンセグを見ているだけ。話にならない親不孝者だ。その後、写真を飾っているエーワンライズに寄ると、若い社員が入社して机のレイアウトが変わり写真のスペースがちと狭くなっていた。不動産屋は景気がいいみたいだ。夜は雨の音が聞こえた。

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4日は母の三回忌でお寺へ行く。弟が支度に30分も掛かっているので、どうしたのかと思ったらネクタイの結び方を忘れたという。私も自分のは結べるが向きが反対になる他人のは難しい。適当にぐるぐる巻きにしておく。三回忌といっても2人だけなのでまことに寂しい。住職は阿弥陀経を唱えてくれた。しかしお墓に行くと雨が強く降り出し、お寺のビニール傘を借りて凌いだ。読経中、住職の線香箱が濡れるのを見ていた。午後は上小中野の開拓道路を散歩する。寒いのでもっぱら父の冬物ジャンパーを借りて着る。A氏から電話だ。メールにも書いておいたのに東京にいると思っているようだ。

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5日はお昼に同級生のO君と駅前で落ち合い、松浦食堂で私はホタテ丼(親子丼の鶏肉の代わりにホタテが入っている)、彼はカツカレーを食べ、コーヒーを飲みながらしばし語り合った。彼は下北各地で教員を務め、校長で退職して大湊に住んでいる。暫く音信が途絶えており、顔を見るのは久しぶりだが昔と変りがない。原因不明の胃の不調があったものの、ピロリ菌を退治したらすっかりよくなったとか。弟さんの理髪店も繁盛しているし、我が家とは対照的だ。その彼が結婚式を挙げたのが松浦食堂の筋向かいのK旅館だったことを忘れていた。大学を出る年の正月に松浦食堂の2階に同期生数人で集まったこともあった。

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その後、彼のアクアで廃校になった我々の中学校跡を訪ね、想い出にふけった。水神宮から浜町を通って水神宮公園を巡り、愛宕公園に寄って展望台に上ったが雲が多く眺望はイマイチだった。しかし下に降りると雲が晴れ夕日が輝きだしたので、競うようにカメラのシャッターを切った。彼とは駅前で別れる。これからも時々会いたいものだ。
18時06分、いつもの青い森鉄道で帰路に着く。来るときとは違って平日の上り新幹線はガラガラだ。待つ者は誰もいないが急に東京が恋しくなった。

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故郷に猫を探す(後篇) 

3日目は前回確認できなかった祠を探しに行く。場所は野辺地ではなく東北町大撫沢になるが、前に何度も行っていたのに、新しい道路が出来たこともあり分かりにくくなった。天保年間の石仏が2体、その左右に馬頭観音と稲荷神社が建っていたと記憶する。行ってみると簡単に分かった。しかし直接の道はなく、そう高くはないが崖に薮が生い茂って近づくのも一苦労だ。やっと上りきると、林の中、石仏は無事だが2つの祠は相当に傷んで完全な廃屋になっている。以前読み取れた馬頭観音という文字も朽ちてしまった。ここは豪商・野村治三郎が造った大平牧場、私設野辺地競馬場へ行く道のそばだし、いずれにせよ野村家の土地だったわけで、石仏には明らかに野村治三郎の銘がある。

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ブラブラと歩いて野辺地川から下町、たつみ小路、大平などを通って鳴子坂まで足を延ばした。ここからは野辺地の町が一望できるはずだが、樹が生い茂って見通しが悪くなっている。営林署の跡地やその周辺を歩き撮る。天気はいいがあいかわらず風が強い。野辺地特有の断雲が日を遮るので、再び日が差すまでしばし待たされることもある。野辺地川を下り途中の与田川を上ると代掻きが終って水を張った田んぼが3、4枚あった。田植えは今月半ばだという。野辺地は宅地化が進んでこういう風景はめっきり減ってしまった。米を作っても金にならないのだとか。小川の岸にツツジなどの花が咲き乱れている。

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通りに出て駅の方へ歩きながら小路に入ると、またしても猫が下駄箱の上から外を見ている。表札に目をやると、T・M……何と小学校の同級生の家であった。声を掛けるとまあまあ上がれということで、ビールなど飲むはめになった。猫は1歳位の茶縞のオスで名前はライトだという。好奇心旺盛で動きが活発だ。ジャンパーの後ろにじゃれついてくるくせに触らせてくれない。しかし、部屋が暗いので猫の写真はほとんどが失敗だった。四方山話をしていると列車の時間が迫ってきた。息子さんが車で送ってくれるというので甘えることにする。玄関に夫婦揃ったところでカメラを向けると、「ひーーっ!」奇声を上げて奥さんが逃げた。

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故郷に猫を探す(前篇) 

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野辺地から帰ったらなんだかぐったりし風邪気味で外出する気にもならず、耳鼻科とコンビニには行ったが、あとはリハビリに専念する風になった。布団が違い食事が違い、気象も違えばこれはしょうがない。それにいつも野辺地では飲まないお酒も飲んだ。何より、薮をかき分け野を駆けるようなことは野辺地でしかやらない。

さて、実は出掛ける寸前に弟に、セーターは要るか、パジャマは厚いものが必要かと聞いたら、ベストでいいし夏物パジャマでいいとの返事だったが、それが1つの誤算で、2日目は風が吹いて結構寒くなってしまった。1日目、金曜日だから快速しもきたの座席は空いている。4時野辺地着。駅前ロータリーの工事は終っていた。すぐ弟とお墓へ車で行き花を供える。野辺地はどこもツツジが盛りである。弟に伐られた庭のヤマザクラも寂しげな花を咲かせている。天気がいいので帰りは歩いて写真を撮りながら……。夜中に雨が降り出した。

次の日は明け方、下の部屋で弟がタバコを吹かすので煙たくて目が覚めてしまう。そこで外に出てパジャマで日の出前の近所の風景を撮り歩く。しかし太陽はなかなかすぐには昇らないものだ。弟は下の部屋の煙が上に行くわけはないと譲らない。二度寝してまた町の写真を撮りにいく。高校や種畜場にも足を延ばす。天気はいいが風が吹き出して肌寒い。午後、お墓へ行くと、風のせいか昨日の花がしおれ気味だ。浜のグラウンドでは少年野球の練習が終ったところで、監督が子供たちに偉そうなことを話している。お母さん達も来ている。線路の反対側の中学校は建て替えられて新しくなっている。弘大分校時代の体育館も新しくなって、昔を偲ぶよすがは皆なくなってしまった。
歩いていると二階の美容室の窓に目が行った。今日は休みだ。猫がこちらを見ている。置物のようだ。しばらくすると耳がピクリと動いた。

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去年会った白竜という白猫に会えないかと行ってみるがいない。どの家か分からないので近所で車を洗っている若者に聞くが「さあ……」と無愛想。踏切そばの黄色いペンキが印象的だった氷屋を訪ねる。今は青いペンキを妙な具合に上から塗りたくっている。お爺さんは去年私と話したことなどすっかり忘れ、耳もさらに遠くなって要領を得ない。写真を撮らせてもらい、住所氏名を書いてもらったのはいいが、後で追いかけてきて、何と勘違いしたのか「写真は送らなくていい。お金がないので」とジェスチャーするので、メモ用紙を破って返す。写真を撮って送りつけお金を請求する……商売になりそうだ。

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夜は写真を飾っている不動産屋の社長と、その友人の獣医S氏と飲み。野辺地で酒を飲むのは珍しい。話が弾み3時間以上楽しんだ。S氏も猫を飼っており奥さんが大の猫好きだというので、私のブログに招待しておく。
    

ビート後始末記 

大島


ふるさとは雪の天気図年始め。雪が降ると思い出す。私の最初の赴任地が三戸であったことは前に書いた。上司先輩の半分が軍隊上がりであったことも。さて働き出して2年目に大事件が起こった。畑作の有望株として国・県を挙げて推進されていた甜菜(ビート)栽培事業が、粗糖の貿易自由化を受けて大赤字となり頓挫したのである。引受先のフジ製糖青森工場が創業5年も経たずして閉鎖された。砂糖の自給という国策として推進された事業はあっけなく覆り、有利な換金作物に望みをかけた畑作農家はハシゴを外されてしまった。多聞に洩れず政治に振り回されて終った例だが、その責任を取った者は誰もいなかったとか。ビート栽培の指導に意欲を燃やしていた中堅のNさんがガックリと肩を落とし、講習会中止の電話を掛けていたのを覚えている。山間地を抱える当地区ではビートに取り組む農家が結構多かったのである。
そこでどういう経緯だったか覚えていないが、育ったビートを収穫するのではなく、栽培面積を測って収量を割り出し相当金額を農家に支払うことになり、農改普及員を総動員してそれぞれの担当以外の町村で一斉に計測する事態になった。時は真冬。工場閉鎖の発表が3月10日、ビートの収穫期が10~11月だというから、収量の確定がなぜこんな時期になったのか不明である。ともあれ私は先輩のTさんと一緒に七戸へ行くことになった。Tさんはアメリカにも研修に行ったベテランで、背高く渋い声のイケメン。仕事はバリバリこなすタイプで私など逆立ちしてもかなわない人であった。4日ぐらいだったか旅館に泊まり込みで、Tさんと手分けし雪の積もった栽培地をバイクで回るのである。2日目までは順調だったが、3日目にどか雪が降って普通のやり方では対処できなくなった。そこで片方の辺を測り、農家の言う面積を割ってもう一方の長さとして書き込んだ。ところがその計算が間違っており、後で県から電話が掛かってきてすっかりバレてしまった。叱られはしなかったが冷汗三斗の状態であった。七戸でのお役目が全部終ったのは土曜日だったのか、ついでにそのまま野辺地の家へ寄ることにして吹雪く峠道にバイクを走らせた。家に着くとヘルメット姿で雪まみれの私を見て祖母が言った。「郵便屋さん?」(ちがーう!)。

東奥日報のWeb東奥ではこの顛末を詳しく報道しているが、我々普及員が後始末に走り回ったことまでは書いていない。なお、六戸町のフジ製糖青森工場の現地雇用者は全員解雇となり、争議の解決に長い年月を要した。今、国鉄(現青い森鉄道)向山駅から専用線を引いた広大な工場跡に当時の名残は何もないという。