自家本ミステリーを肴に 

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先日、東京新聞の「反響」欄(テレビ・ラジオの感想や批判の投稿欄)にTBSニュースキャスターのゲスト池谷先生への批判を書いたが、後で冷静に考えてみると彼の言っていたことはまっとうで、私の方がチト野党ボケだったかもしれない。難しいもので、どうしても局面では「イカンイカン!」という怒りに同調してしまう。小さな投稿欄だが、意外に人の目に留まるところなので後悔している。
               
                

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さて、最近知り合ったS氏から一冊の本が送られてきた。源氏物語を下敷きにしたミステリーで、安倍晴明を探偵役に陰陽道がらみの事件が展開される。話それ自体は新鮮だし、S氏のペダントリーも遺憾なく発揮されていると思うのだが、彼が一人でつくったらしい本の体裁が問題である。体裁といっても装丁などのことではない。私自身、本づくりで失敗し仕事でも失敗を重ねてきたので失敗には自信がある。だから自信を持って言えるのである。麻布でミステリー雑誌づくりの超末端に関わったこともあり、作家の生テキストが複数の編集者・校閲者との対話によっていかに作品へ整序されていくものかを知った。自分ではどんなに完璧な作品であると思っても、プロの目で見るとヘンなところが何か所も出てくる。それを1つひとつ潰して直してようやく一個の作品が陽の目を見るのである。
S氏の場合はメイン作品の完成度は高いので、あとは細部、仕上げと他の作品の盛り合わせ、組版原則の適用如何が問われるが、たとえば行頭字下げのようなお約束が統一され守られていないと読みにくくなる。全体に凡庸なフォントを使ってしまったこと、言い訳めいた後書きがごちゃごちゃしすぎた点も興をそぐ要因だ。せっかくの新鮮なテーマとペダンティックな世界像が十分生かされなかったのはまことに惜しい。もったいないと言わざるをえない。
なお、ミステリーではないが、中島たい子『ぐるぐる七福神』(幻冬舎文庫)に出てくる亀戸天神近くの喫茶店は、くらもち珈琲がモデルになっているらしい。この小説は「東京に御座す、さまざまな七福神をめぐりながら、恋と人生を思索する新感覚“プチロード小説”」とのこと。プチロードって何だ?
               
                

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三戸郡・八戸市をサービスエリアとする南部バスが11月28日民事再生法適用を申請、受理され、事実上倒産したというニュースが飛び込んできた。南部バスは南部鉄道を前身とし、八戸-五戸を結ぶ鉄道路線が十勝沖地震で壊滅的被害を受けて再建を断念、バスに転換した。負債総額は26億8000円。路線バス・高速バスの運行は継続するという。南部地方の公共交通に厳しい冬が到来しそうだ。
               
               

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『第四間氷期』 

外神田


正月休み(?)を利用して買っておいた安部公房の『第四間氷期』を読む。
「おそらく、残酷な未来、というものがあるのではない。未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである」と著者は「あとがき」に記しているが、この小説は未来予測の研究を主導しながら、未来を認められないがゆえに未来によって消される「私」の物語である。
異色とはいえ正統派のSFであり、『S-Fマガジン』の創刊が1959年12月だから、その1年前、星新一や小松左京が知られる前に『世界』に連載されたこの作品は、著者の驚くべき炯眼を証明している。コンピューターならぬ「電子計算機」の存在さえも一般には認知されていない時代である。ただし、今なおコンピューターが自在に思考し会話するようなインターフェイスは実用化されていない一方、陸上動物からエラを持った水棲動物を作り出す過程は、今日なら遺伝子工学で簡単にできるようにも思えるなど、時代的限界は感じるものの、それがさして気にならないのは思考実験の有無を言わさぬ構成力ゆえであろう。今年ももう少し安部公房を読んでみるつもりだ。

昨年末からのイレギュラー飲食が祟って胸焼け・胃もたれの現象が続き、どうにもならなくなった。竹之内診佐夫の『ツボ3分間療法』によれば、食後に起きる胸焼けは胃酸欠乏、空腹時に起きる胸焼けは胃酸過多によるものだそうで、押すツボが違う。私のはどちらでもなく、食後2時間前後に起き、胃がもたれて消化が進まず胃液が上がってくるようような気がする。やはりどちらのツボも目立った効果がない。そこでこんどは胃弱・食欲不振のツボ、癘兌(れいだ:両足人差し指の爪の小指側下角)を食後によく揉むとともに、中山式快癒器で背中と腰のツボを刺激してみた。同時にみぞおちのツボも押す。するとたちまち効果が出て不快感は一挙に解消した。何ということだ。
私は胃そのものは弱くない(強くもない)が、何年か置きにこういうことがある。思えばその都度同じツボ押しで解決してきたのだ。30年近く前にはもっとひどくなり、病院でX線写真を撮り薬も飲んだが根本的解決には至らなかった覚えがある。それがツボの簡単な押し揉みで治るのだから世話はない。年末にN氏宅の片付け作業で、冷蔵庫などを持ち上げて生じた腰痛も何とか治ったようだ。
  

ワレワレハ…… 

仙台堀川2
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土曜日、やっと古紙回収が終ってほっと一息。しかし、どうも具合がよくない。ひと言で言えば風邪気味である。耳鼻科へ行ってそれ用の薬をもらったが、まだよくならない。このところ私はこの手の体調不良が多いような気がする。

ところで、前回の記事の仙台堀川は清澄庭園に隣接する深川図書館近くの橋から撮ったものだが、なぜ深川図書館へ行ったかといえば、「あやしい、人たち」の元ネタが安部公房の作品にあったような気がしたからである。それは『人間そっくり』という作品で、新潮文庫に収録されているが元々はすべて書き下ろしの早川書房「日本SFシリーズ」の1冊として、1967年日本SFの草創期に出されたものだ。私はこれを今まで読んだことがなかった。「気がした」というのは、記憶していた宣伝文句がそっくりだったのである。カバー裏に記された文章はこうなっている。「《こんにちは火星人》というラジオ番組の脚本家のところに、火星人と自称する男がやってくる。はたしてたんなる気違いなのか、それとも火星人そっくりの人間か、あるいは人間そっくりの火星人なのか?(後略)」。脅したりすかしたり、揺さぶりを掛ける男に翻弄され脚本家は次第に正気を失い……。「あやしい、人たち」では、宇宙人が私たち人間に交じって暮らしていたら、という設定でドタバタ劇を演じる。「私は宇宙人です」と言われても、それを原理的に否定することはできない。『人間そっくり』の「火星人」はトポロジーを持ち出して解説している。

画像は仙台堀川の北東端。埋め立てられたが、かつて砂町運河と呼ばれていた部分だ。この背後100メートルほどで小名木川に流れ落ちている。
      

大波小波または編集者の不在 

深川資料館通り
白河

東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」で「屑屋お払い」氏が、嵐山光三郎の評伝小説『美妙 書斎は戦場なり』(中央公論新社)が旧著を書き直したものにしては誤りが多すぎると呆れている。雅号の縁山を綠山とし、当時の戯作者名も半分は誤り、引用やルビの誤りも随所にあるという。「いさぎよし」と読む「屑とせず」の「屑」に「せつ」とルビを振った例を挙げ、資料を集めても読めなければただの紙屑と断じる。

身につまされる話である。これが本当なら編集者も校閲者も機能していないということになる。天下の中央公論新社がそんな雑な仕事をするものだろうか。嵐山光三郎という人はよく知らないが、この調子では他の著書も怪しくなってくるではないか。本来ならまず校閲者が固有名詞や引用文など当たれるところは当たって調べ、素読みを掛けた上で、編集者がさらに調べて判断するのでこんな事態にはなりにくい。なにより問題意識を持った編集者がいなければまともな本はできないという事実の証拠ではないだろうか。むろん、この場合の編集者には校正・校閲者を含んでいる。
三省堂選書の『中小都市空襲』という本を古本屋で買った。著者は八王子空襲を記録する会運営委員の奥住喜重。日本の中小都市に対する空襲を主に米軍の「作戦任務報告書」に基づいて解析した、一般受けしそうにない本である。終わり近くBAKAという言葉が数カ所出てくるが、著者は「何だろう」で済ませている。BAKAは海軍特別攻撃機「桜花」の米軍側コードネーム(BAKA BOMBとも呼ばれた)に他ならない。ちょっとでも日本の戦記を繙けば簡単にわかる言葉であった。米軍資料をほとんど咀嚼せずに本にしたことの弊害が表れた部分だが、ここでも痛感させられるのは編集者の不在である。
   

花の命は短くて 

北砂4丁目
北砂4丁目

月曜日は東京駅近くのFBI本部並にセキュリティが厳しい例の高層ビルで仕事。終了間際になって世話役から、この仕事は今月で終わりと言われた。ということはこの日で終わりということである。月1日か2日のものだが、それでもこっちへ移ってから3年は続いたのではなかったか。まったくもってガッカリだ。お得意さんの担当者に挨拶をする間もなく逃れるように外へ出て、その足で新宿のコニカミノルタプラザへ向う。大倉将則「PRIMROSE 選んだ風景」と池口正和「東京の片隅で」。後者は期待していなかったがちょっとした拾い物であった。東京の繁華街やビルの谷間などに生きる猫を撮ったもので、ありがちなテーマだし先日もルーニィで似たような写真を観たばかり。だが、池口の写真は人間の知らない猫の生活圏に深く入り込み、といって決して密着することなく撮られている。私自身が1つの仕事(=食事)にあぶれた直後だからか、猫たちの厳しい世界にすんなり共感できた。特にビル街のどん底、夕日の渋谷川を渡る猫の姿が印象的だ。