手を切った男 

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11日、運転免許の書き換えで江東試験場へ行く。新年開けの平日はがら空きである。昔は警官上がりの陰険なジジイが無茶な指示を出しイヤだったが、今は妙齢のお姉さんがやさしくやってくれる。免許証の写真撮影はDNPのカメラで行っていた。しかし、視力が0.7ぎりぎりで焦った。前の晩、遅くまで新聞のスキャンをしていたせいか、ランドルト環の切れ目がよく見えなかった。3年後はだめかもしれない。眼科でも毎月の視力測定は鬱陶しいが、検査結果はそんなに悪くないのだ。
30~40分ほど待って出来たものを受け取り、木場へ出て新田橋界隈を歩く。近所には従妹と従弟一家が住んでいるが、敬遠され気味なのでめったに立ち寄ることはない。須崎神社の前に、昔従弟とよく行ったプラモ屋があったけど、今はどうなっているのか。この日、黒猫の姿も見えなかった。

                   
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木場から三ツ目通りをバスで都現代美術館前まで行き、TAPギャラリーで今年最初の個展・佐久間元の『のすり』を観る。カラーによる『そこへゆけ』のシリーズに対し、こちらは6×6でのB/W作品。ノスリとは小型の猛禽類で、捕食の際、野を摺るように飛ぶことからその名前が付いた。ノスリの気分で撮り集めた光景は諧謔味とも言える。次に新宿三丁目のサードディストリクトギャラリーへ立ち寄り、関薫『白い息』を観る。同ギャラリーのメンバーはみな一筋縄ではいかない野武士タイプだが、関作品もある種パラノイア的な視線を貫くものだ。
別の日に観たものも挙げておくと、トーテムポールフォトギャラリー・宛超凡『水辺にて』は若い中国人作家の作品。重慶近郊の河の岸辺に寄る人々の姿を時間の断片として捉えている。この河原は殺風景で整備されているとは言えず、眺望もすっきりしない。とてもリフレッシュできる場所とは思えないのだが、中国人の考えは違うようだ。立ち寄っては去って行く人々を川の流れの喩のように撮ったその意図は伝わる。新宿エプサイト・みうら のりこ『Found Scenes』はピントがすごく浅い。と言ってボケがはっきり分かるような撮り方ではない。その曖昧さがどことない違和感につながる。本人と話をしてみたが、逃げをうつような受け答えが曖昧さに輪を掛け、いささか後味が悪かった。絞りはF11近辺だと言っていた。
今回の展示を最後に営業を終える新宿東口のコニカミノルタプラザ。思えば甲州街道沿いの島津ビルからだから私も二十数年お世話になったわけだ。最終回の3つの写真展では蔵人『さるく長崎-猫街散策II-』と、小池英文『瀬戸内家族』が印象に残った。蔵人の写真は猫をほとんど添景として扱い、猫がどこにいるか分からないようなものもあったが……。小池展はレンズの選択か画像処理の上手さか絵作りが絶妙である。


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誕生日プレゼントというわけではないが、セゾンカードのポイントでジョゼフジョゼフ三徳ナイフをゲットした。イギリスのキッチン・テーブルウェアブランドだとのこと。刃渡り約13.5センチ、グレーコーティングのステンレス刃でケース先端にシャープナーが付いている。切れ味は抜群。早速指を切ってしまった。


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人生いろいろでござる 

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11月末の東京新聞コラムに斎藤美奈子がこんなことを書いていた。09年酒井法子氏逮捕は衆院解散で政権交代への期待高まる直前、14年ASKA氏逮捕は、安倍が集団的自衛権を一部容認したいと発表した直後、今年2月、清原和博氏が逮捕されたのは、甘利明が辞任し野党が追及しようという矢先だった。同6月、高知東生氏が逮捕されたのは参院選公示の2日後、ASKA氏の二度目の逮捕の裏で国会会期が延長され重要法案が成立させられる。「警察も検察もメディアも、桶屋の一味じゃないでしょうね」と。事実、お昼のワイドショーは連日ASKAでもちきりだ。
桶屋さんといえば、甘利明の辞任劇はどうなんだろう。蜂の一突きに見えた告発の録音は何の役にも立たず、職権の行使はない、法律に違反していないとされた。甘利は大臣を辞め睡眠障害やらで入院しTPP議論の肝心な部分は封印。もし仮にこの告発がなければ、甘利を立ち往生させられたのではと思うと……考えすぎかもしれないが、現政権はこのくらいのことを簡単にやってしまいそうだからね。
              
                 

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写真ギャラリーの嚆矢となったツァイト・フォト・サロンが今月38年の歴史を閉じるというので、3月に亡くなったオーナー石原悦郎氏ゆかりの作家100人以上の作品を集めた壮大な規模の回顧展「le bal」が3回にわたって開かれた。le balとは舞踏会、ダンスパーティーの意味だそうだ。1年ほど前、久々に石原氏の顔を見たら思いの外老け込んでいて驚いた記憶がある。石原氏といえば声が大きい(口も大きい)のが特徴で、広いとはいえないギャラリーの中にいつも彼の声が響き渡っていた。
フォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)が医療機器の輸入販売を営む企業の一部門として、79年虎ノ門につくられたのに対し、石原氏はヨーロッパに遊学して写真市場の実情を知り尽くしたのであろう。帰国後の78年、日本橋室町八木長ビル5階にツァイト・フォト・サロンをオープンする。写真作品発表の場といえばメーカー系ギャラリーしかなかった日本に、相前後して本格的なオリジナルプリント展示・売買の拠点が出来たのである。石原氏なくして日本の現代写真はないというのは本当だ。
つくば万博に合わせ、石原氏は日本初の写真美術館であるつくば写真美術館'85を期間限定で開館したが、地の利が悪く多額の負債を抱え込んだと聞く。しかし、その時の仲間であった飯沢耕太郎、伊藤俊治、金子隆一、谷口雅、平木収、横江文憲の各氏はその後の写真界をひっぱるエンジンとなり、東京都写真美術館(現TOP)や川崎市市民ミュージアム、横浜美術館の開設につながってゆくのだからすごい。ツァイト・フォト・サロンはその後、日本橋から京橋に移転し、さらに女性オーナーの自殺が波紋を起こした白石ギャラリーの後に移って現在に至る。
         
            

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関西写真界の先駆者・安井仲治(なかじ)の写真集『仲治への旅』が出た時のこと、石原氏は例の大きな声で「ちゅうじ」「ちゅうじ」と連呼していた。ところで、石原氏に八木長ビルを紹介したのは、私の仕事仲間のS氏だったという。当時不動産屋に勤めていたのだが、なぜか辞めて宅建持ちのフリーターになった。彼にもしばらく会っていない。私は石原氏との接点は何もないが、彼の膨大な人脈のどこかできっとお世話になっていると思う。蠍座の石原悦郎氏、享年74であった。冥福を祈る。
             

屋須弘平――奇跡の写真群 

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見て読んでためになる「Fsの独り言・つぶやき」に面白い記事が載っていた。横浜の通称あーすぷらざで開かれている屋須弘平の写真展である。江戸後期に蘭学医の長男として現一関市に生まれた屋須は、江戸に出て医学・天文学を学び、紆余曲折を経て中米グアテマラのグアテマラ市に写真館を開設(後アンティグア・グアテマラ市に移転)、風景や人物の記録を残し彼の地で没した。だが、驚きは百年前のグアテマラが日本人の手で克明に記録されていたことだけではない。歴史に埋もれていた彼の業績が陽の目を見ることになったのは、1976年アンティグア・グアテマラ市の大地震の際、大量のガラス乾板が見つかるという東日流外三郡誌もびっくりの偶然だった。
屋須弘平については、1986年にSTUDIO EBISUで、92年には神田の平永町橋ギャラリーで写真展が開かれた。屋須のことを紹介したのは写真評論家の飯沢耕太郎氏で、グアテマラに渡って調査もしている。この時は屋須の代表作と共に羽幹昌弘が同じアングルで現代のグアテマラを撮った写真を展示していたが、今回の展示も一部これと同じ構成をとっている。ぜひ観に行きたいが、ネックは午後5時までという開館時間と横浜から電車でさらに30分近く掛かるアクセスである。夜明けとともに江戸を発たなければなるまい。

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虎視眈々と常任理事国入りを狙いながら、女性差別撤廃委員会にはごり押しのだめ出しを認めさせた。いったい国連というのは日本にとって何なんだろう。同委員会は先日、日本政府に対し慰安婦問題での日韓合意は元慰安婦中心のアプローチではない、夫婦同姓や再婚禁止期間など民法規定の改正勧告、ポルノ規制への努力、国会議員など主導的な立場に立つ女性の割合を20年までに30%にすること、等々の厳しい注文をつけた。スガは早速反発していたがそれだけではなかった。皇室典範の男系継承が女性差別とする記述があったのを日本政府が抗議して削除させたというのだ。審査過程で取り上げられず最終見解案で突如示されたことをもって、中国人主査の意向が働いたのではとの見方が出ているとか。スガは「歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得ている。女性に対する差別を目的としていないのは明らかだ」と語っていたが、世界のどこでも女性差別の歴史と伝統は根深いし、「目的としていない」で済まされるなら苦労はない。大して関心がない私でも皇室典範は差別だと思う。女性が天皇になって何の不都合があるのだろう?
これとは別に、子供の人身売買やポルノ問題を担当する国連のブーアブキッキオ特別報告者は日本に関する報告書を出し、いわゆるJKビジネスの「性的搾取を促進し、搾取につながる商業活動」の禁止を勧告した。この報告者は昨年、日本の女子生徒の13%が援助交際をしていると言ってスガに噛みつかれた人である。後に取り消したというが、その文書は公開されていない。ただ、日本が性差別大国であることがしだいに世界のコンセンサスになりつつある。

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「遡上の光景」をもう一度 

外苑前/渋谷
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風の冷たい日が続く。白クマ氏と違い寒さに弱い私には地獄である。
今日は氷雨の中、よせばいいのに品川まで出掛けてしまった。

土曜日はゴールデン街のnaguneで行なわれた中居裕恭展のトークショウに出掛ける。トーク情報はnaguneのサイトにも載っていないのに、口コミだけで結構な人数が集まるのは立派なものだ。中居展は昨年末のPart1で『北斗の街―遡上の光景』所収の作品を、今年のPart2ではそれ以外の作品を展示している。いずれも八戸周辺のモノクロ風景。トークはゲストにスチールカメラマンの体験をまとめた『映画の人びと』を出した渋谷典子を迎え、新宿2丁目にあった伝説のイメージ・ショップCAMPとその周辺のエピソードを、貴重な写真やパンフレットを見せながら語る。
70年代中盤はマスコミとカメラメーカーが仕切っていた写真界に対し、新しい表現を模索する流れが自主運営ギャラリーなどに結実していった時代である。森山大道が提唱して始まったCAMPは、真ん中にジュークボックスを据えたスタイルからわかるように、ギャラリーの枠には収まらない多様なアイディアを次々に繰り広げる楽しい(めちゃくちゃな?)場だったようだ。CAMPとはゲイのスラングでもあり、場所が場所だから何かと噂のタネにされたらしい。

渋谷・中居・高橋義隆(司会)
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帰省ついでに中居が本八戸駅前で営んでいたギャラリー北点を訪ね写真を観たことがある。オープニングには青森の写真集団イマージュのメンバーも来ていた。彼の写真はワークショップ写真学校とCAMPで得たものを駆使し、故郷南部地方をまとまった作品にした点で意義深い。北点は現在休業中で、中居はプレイスMのメンバーでもあるがここ10年以上新作を発表していない。息切れするには早すぎる。歳相応の故郷像をまた見せてもらいたいものだ。
なお当時の写真に写っているCAMPの紅一点、渋谷が可愛いのにはビックリした。可愛く写っているのだけを持ってきたのだろうか?(いやいや今でも彼女は魅力的です) 7時過ぎから9時頃までずっとnaguneの2階にいたら、風通しがよすぎて身体が冷え切ってしまった。中居裕恭展(Part2)は今月末日まで。
     

遠野の物語を巡って 

北区中央図書館/王子駅
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  ――勤労に大感謝して休みたり

日曜日は北区中央図書館へ本を借りにいった。赤レンガの建物は旧陸上自衛隊十条駐屯地275号棟を改装・増築してオープンしたものと聞く。北に中央公園が広がり、南隣りには工事中で入居前の都営住宅が灯りを点していた。行き帰り、音無川のそばを通る。音無川は石神井川の一部だったものを、本物の石神井川は飛鳥山公園の下を通し、音無川だけを江戸風の親水公園として残している。
北区の図書館へ何を借りにいったかというと、実は先日JCIIフォトサロンで観た森山大道「遠野物語」の図録を岩手の鳴海氏へ送ったところ、「遠野の写真は浦田穂一に尽きる。他の人の作品はみな浦田のパクリ」という挑戦的なメールが届いた。うらたほいちって誰だ、知らんぞ? なお鳴海氏は10年以上遠野に勤務していたので同地には詳しい。とりあえず「森山氏は天才だから他人の作風をパクったりしないだろう」と返信しておいたが、本当かどうか自信がなかった。そこで浦田の写真集を探しに行ったのである。

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年譜を辿ると、浦田穂一は1933年岩手紫波町生まれ。青森市の喫茶店に勤めていたとき、客として来ていた地名一二三と出会い写真のイロハを教わる。66年遠野に移住し、バー「CUSTOM」を営む傍ら遠野の写真を撮りはじめ、80年、遠野市立博物館開館に当たり研究員を委嘱され博物館の写真を撮るようになる。82年「第3回田嶋一雄賞アマチュア写真大賞」を受賞、浦田の遠野が全国に認められるきっかけとなった。2003年5月、70歳で急逝。今回借りたのは『遠野昨日物語』(河出書房新社)で、残された5万点のモノクロ作品から厳選して編まれ、石井正己の解説を付して2009年に上梓されている。
森山展の作品集(図録)は送ってしまって手元にないので、朝日ソノラマの現代写真文庫・森山大道『遠野物語』(1976)を引っ張り出した。写真の点数はこちらが多いが、いかんせんモノクロの印刷は普通の紙で階調表現はよくない(後に復刊されている)。JCIIの方は写真弘社がプリントしたそうだが、新しい作品を加え2枚組のレイアウトなどもだいぶ変更しているようだ。森山氏の『遠野物語』が1週間の撮影行で遠野に幻景のふるさとを求めたものであるのに対し、浦田の『遠野昨日物語』は端正な画面に、現実の遠野の山野とそこで生活する人々の姿をしっかり捉えたものと言える。両者のアプローチには大きな違いがあることが分かる。遠野に暮らす者ならではの視線が貴重なのだ。森山氏は本の後書きに事前に資料など調べたりしないと書いているとおり、浦田の作品を見たとは思えない。プリントの美しさが際立つ浦田の写真だが、では彼に写真を教えたという地名一二三なる人物はいったい何者だろうか。

墨田区文花/小村井駅
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この日はその後、亀戸から小村井へ出て「あをば荘」という長屋利用のアートスペースで大塚秀樹写真展「体温の箱庭」を観た。自分が慣れ親しんだ墨田区の家並みを6×6のフォーマットで切り取っている。順光の風景が清々しい。

追記:地名一二三氏は全日写連青森支部の会員らしく、数年前までコンテストによく名前が出ていた。