踊る写真 

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9月に四谷のギャラリーヨクトで行われた西村陽一郎展「踊ル人」は、自主ギャラリーならではの刺激的な試みと言ってもよかろう。踊る人・キベこと木部与巴仁のダンス(キベダンス)を撮った西村のモノクロ写真が展示されているのだが、時間が終わる午後7時からはキベの生ダンスが1か月にわたる会期中毎日披露され、最終日にはピアノ演奏付きの特別公演があった。演目はすべて谷崎潤一郎『過酸化マンガン水の夢』。その踊りはモダン系でも暗黒系でもないと聞いていた。キベは全裸もしくは女性下着を纏う。私は最終日に拝見したが違和感はなく、会場は大入り満員(10人そこそこ)であった。なお、野辺地はモダンダンスの先駆者、江口隆也・乙矢兄弟を輩出している。小学校の頃見せられたがさっぱりであった。

                             
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原美術館で田原圭一の「光合成」with 田中泯 を観る。入館料は1,100円。都市や自然を舞台に踊るダンサー田中泯の裸体は、白黒の陰影の中で都市ではオブジェとなり、田園や自然に対しては人体の祖型を失い大地に同化するかのようだ。展示の中心を成す1978~80年の作品はなぜか未発表のまま眠っていたものだという。70年代からパリで活動していた田原は本展準備中に急逝している。原美術館は品川御殿山の奥にあり、実業家・原邦造氏の私邸だった建物を美術館に再生した、現代美術専門の美術館である。「光合成」は今月24日まで。水曜日は午後8時まで開いている。

                          
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Zen Photo Galleryで渡辺眸「香具師」を観る。「香具師」は「テキヤ」と読むが、ATOKでは変換できない。これは60年代後半、祭りや縁日を彩るテキヤの世界を「殺されるよ」と脅されたり「三号が欲しい」と口説かれたりしながら内側から撮った作品である。会場に年配の女性がいたので挨拶するとやはり作家本人であった。渡辺眸といい大石芳野といい命がけですごい写真を撮っているくせに、こういう「女流」写真家はみな小柄でおっとりとした風情。外見だけ一丁前で何もできない私とは大違いである。  

                           
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イオンが週刊文春を訴えた裁判で、東京高裁は「見出し以外の記事は真実」として1審の賠償金額を大幅に減額した判決を下したという(こちら)。当の見出し〈「中国猛毒米」偽装……〉はまずいとして、リテラの記事が記すように産地偽装した中国米の混入や検査体制の杜撰さ、商品の8割が中国産という文春の指摘が本当なら、私のよく行くまいばすけっとやダイエーも危ないことになるがどうなんだろう。イオンのSLAPP(いやがらせ)訴訟は食い止められたかに見えるが、最高裁に上告すれば逆転の可能性もないとは言えないとか。

はしだのりひこ死去の報道。1945年1月7日生まれの山羊座であった。
                        

空っぽの街/玉手箱の里 

夜中の0時過ぎ、風呂に入っている間にWindows10のupdateが行われ、書きかけて完成間近のブログ原稿がおシャカになってしまった。もっとも、0時過ぎてからは更新していいように設定したのは私であるが……。

マンションの建築現場と、右端はトークイベントの様子。左から平井・浜・北島の各氏
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人も猫もいない空き地の光景、「遠近法の教科書」と平井玄が評した空っぽの東京が延々と続く。これは新宿photographers'galleryで行われている浜昇「VACANT LAND 1989」の印象である。同名の分厚い写真集も出版されている。バブルで地上げされ放置された空っぽの都市は現在巧みに修復されたかに見えるが、多数の自殺者を生み共同体を崩壊させた時間は戻らない。写真家・浜昇に評論家の平井玄とphotographers'galleryを主宰する北島敬三を交えたトークイベントでは、これを津波ならぬカネがもたらした大災害の被災地とする捉え方が共有された。

                 
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浜は70年代後半の自主ギャラリーPUTで活動し沖縄も撮っているが、その辺りのことはよく知らない。「VACANT LAND 1989」を撮るきっかけは、四谷に住む浜が町内会の記念誌か何かを出すために、住民に取材したことにあるらしい。四谷では兵隊から帰って築き上げた街がダメになった。浜は何もできないので写真だけは撮っておこうと思い、つまらない作業だが、裁判に使えるよう場所をきちんと記録することに務めた。葉っぱや草が写ると風景写真になるので夏は撮らないし、転居先や挨拶の記された立て札は画面から外したそうだ。昔、都市論や風景論が流行ったが、生きた人間が存在しない場所では都市論・風景論にならない。これらは個人の歴史が抹消された単なる空き地だという。浜は今、東京の工事現場をデジタルで撮りつづけている。
新宿に育ち今も新宿に暮らす平井は、著書『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)で写真集『VACANT LAND 1989』に一章を割いている。

                    
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六本木のストライプハウスギャラリーで行われた塚原琢哉「60年前の記憶 遙かなる遠山郷」はこれはこれで大変印象的な写真展だった。南アルプスの山襞に囲まれた下栗の里 遠山郷は、今でこそ日本のチロルと呼ばれ「にほんの里100選」にも選ばれているが、写真を始めて間もない頃の塚原が訪れたときは、秘境にも近かったのではないか。60年もの間、陽の目を見ることなく眠っていたネガからプリントされた写真は、霜月祭りなど伝統行事を守る当時の山村の暮らしを奇跡のように甦らせる。写真集が信濃毎日新聞社から刊行されている。

                         
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7丁目へ行ってみたが猫には会えず、代わりに東京新聞の兄さんにばったり遭遇した。向こうも「アレ?」という顔をしていた。帰りにテルに挨拶しようと思ったら、寄っては来たがチトご機嫌がよくないようだった。猫の心と秋の空か。そして、ざくろ小路の子猫に襲いかかった過酷な事件のことも取り上げようと思ったが、また来週だ。

                  
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手を切った男 

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11日、運転免許の書き換えで江東試験場へ行く。新年開けの平日はがら空きである。昔は警官上がりの陰険なジジイが無茶な指示を出しイヤだったが、今は妙齢のお姉さんがやさしくやってくれる。免許証の写真撮影はDNPのカメラで行っていた。しかし、視力が0.7ぎりぎりで焦った。前の晩、遅くまで新聞のスキャンをしていたせいか、ランドルト環の切れ目がよく見えなかった。3年後はだめかもしれない。眼科でも毎月の視力測定は鬱陶しいが、検査結果はそんなに悪くないのだ。
30~40分ほど待って出来たものを受け取り、木場へ出て新田橋界隈を歩く。近所には従妹と従弟一家が住んでいるが、敬遠され気味なのでめったに立ち寄ることはない。須崎神社の前に、昔従弟とよく行ったプラモ屋があったけど、今はどうなっているのか。この日、黒猫の姿も見えなかった。

                   
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木場から三ツ目通りをバスで都現代美術館前まで行き、TAPギャラリーで今年最初の個展・佐久間元の『のすり』を観る。カラーによる『そこへゆけ』のシリーズに対し、こちらは6×6でのB/W作品。ノスリとは小型の猛禽類で、捕食の際、野を摺るように飛ぶことからその名前が付いた。ノスリの気分で撮り集めた光景は諧謔味とも言える。次に新宿三丁目のサードディストリクトギャラリーへ立ち寄り、関薫『白い息』を観る。同ギャラリーのメンバーはみな一筋縄ではいかない野武士タイプだが、関作品もある種パラノイア的な視線を貫くものだ。
別の日に観たものも挙げておくと、トーテムポールフォトギャラリー・宛超凡『水辺にて』は若い中国人作家の作品。重慶近郊の河の岸辺に寄る人々の姿を時間の断片として捉えている。この河原は殺風景で整備されているとは言えず、眺望もすっきりしない。とてもリフレッシュできる場所とは思えないのだが、中国人の考えは違うようだ。立ち寄っては去って行く人々を川の流れの喩のように撮ったその意図は伝わる。新宿エプサイト・みうら のりこ『Found Scenes』はピントがすごく浅い。と言ってボケがはっきり分かるような撮り方ではない。その曖昧さがどことない違和感につながる。本人と話をしてみたが、逃げをうつような受け答えが曖昧さに輪を掛け、いささか後味が悪かった。絞りはF11近辺だと言っていた。
今回の展示を最後に営業を終える新宿東口のコニカミノルタプラザ。思えば甲州街道沿いの島津ビルからだから私も二十数年お世話になったわけだ。最終回の3つの写真展では蔵人『さるく長崎-猫街散策II-』と、小池英文『瀬戸内家族』が印象に残った。蔵人の写真は猫をほとんど添景として扱い、猫がどこにいるか分からないようなものもあったが……。小池展はレンズの選択か画像処理の上手さか絵作りが絶妙である。


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誕生日プレゼントというわけではないが、セゾンカードのポイントでジョゼフジョゼフ三徳ナイフをゲットした。イギリスのキッチン・テーブルウェアブランドだとのこと。刃渡り約13.5センチ、グレーコーティングのステンレス刃でケース先端にシャープナーが付いている。切れ味は抜群。早速指を切ってしまった。


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人生いろいろでござる 

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11月末の東京新聞コラムに斎藤美奈子がこんなことを書いていた。09年酒井法子氏逮捕は衆院解散で政権交代への期待高まる直前、14年ASKA氏逮捕は、安倍が集団的自衛権を一部容認したいと発表した直後、今年2月、清原和博氏が逮捕されたのは、甘利明が辞任し野党が追及しようという矢先だった。同6月、高知東生氏が逮捕されたのは参院選公示の2日後、ASKA氏の二度目の逮捕の裏で国会会期が延長され重要法案が成立させられる。「警察も検察もメディアも、桶屋の一味じゃないでしょうね」と。事実、お昼のワイドショーは連日ASKAでもちきりだ。
桶屋さんといえば、甘利明の辞任劇はどうなんだろう。蜂の一突きに見えた告発の録音は何の役にも立たず、職権の行使はない、法律に違反していないとされた。甘利は大臣を辞め睡眠障害やらで入院しTPP議論の肝心な部分は封印。もし仮にこの告発がなければ、甘利を立ち往生させられたのではと思うと……考えすぎかもしれないが、現政権はこのくらいのことを簡単にやってしまいそうだからね。
              
                 

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写真ギャラリーの嚆矢となったツァイト・フォト・サロンが今月38年の歴史を閉じるというので、3月に亡くなったオーナー石原悦郎氏ゆかりの作家100人以上の作品を集めた壮大な規模の回顧展「le bal」が3回にわたって開かれた。le balとは舞踏会、ダンスパーティーの意味だそうだ。1年ほど前、久々に石原氏の顔を見たら思いの外老け込んでいて驚いた記憶がある。石原氏といえば声が大きい(口も大きい)のが特徴で、広いとはいえないギャラリーの中にいつも彼の声が響き渡っていた。
フォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)が医療機器の輸入販売を営む企業の一部門として、79年虎ノ門につくられたのに対し、石原氏はヨーロッパに遊学して写真市場の実情を知り尽くしたのであろう。帰国後の78年、日本橋室町八木長ビル5階にツァイト・フォト・サロンをオープンする。写真作品発表の場といえばメーカー系ギャラリーしかなかった日本に、相前後して本格的なオリジナルプリント展示・売買の拠点が出来たのである。石原氏なくして日本の現代写真はないというのは本当だ。
つくば万博に合わせ、石原氏は日本初の写真美術館であるつくば写真美術館'85を期間限定で開館したが、地の利が悪く多額の負債を抱え込んだと聞く。しかし、その時の仲間であった飯沢耕太郎、伊藤俊治、金子隆一、谷口雅、平木収、横江文憲の各氏はその後の写真界をひっぱるエンジンとなり、東京都写真美術館(現TOP)や川崎市市民ミュージアム、横浜美術館の開設につながってゆくのだからすごい。ツァイト・フォト・サロンはその後、日本橋から京橋に移転し、さらに女性オーナーの自殺が波紋を起こした白石ギャラリーの後に移って現在に至る。
         
            

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関西写真界の先駆者・安井仲治(なかじ)の写真集『仲治への旅』が出た時のこと、石原氏は例の大きな声で「ちゅうじ」「ちゅうじ」と連呼していた。ところで、石原氏に八木長ビルを紹介したのは、私の仕事仲間のS氏だったという。当時不動産屋に勤めていたのだが、なぜか辞めて宅建持ちのフリーターになった。彼にもしばらく会っていない。私は石原氏との接点は何もないが、彼の膨大な人脈のどこかできっとお世話になっていると思う。蠍座の石原悦郎氏、享年74であった。冥福を祈る。
             

屋須弘平――奇跡の写真群 

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見て読んでためになる「Fsの独り言・つぶやき」に面白い記事が載っていた。横浜の通称あーすぷらざで開かれている屋須弘平の写真展である。江戸後期に蘭学医の長男として現一関市に生まれた屋須は、江戸に出て医学・天文学を学び、紆余曲折を経て中米グアテマラのグアテマラ市に写真館を開設(後アンティグア・グアテマラ市に移転)、風景や人物の記録を残し彼の地で没した。だが、驚きは百年前のグアテマラが日本人の手で克明に記録されていたことだけではない。歴史に埋もれていた彼の業績が陽の目を見ることになったのは、1976年アンティグア・グアテマラ市の大地震の際、大量のガラス乾板が見つかるという東日流外三郡誌もびっくりの偶然だった。
屋須弘平については、1986年にSTUDIO EBISUで、92年には神田の平永町橋ギャラリーで写真展が開かれた。屋須のことを紹介したのは写真評論家の飯沢耕太郎氏で、グアテマラに渡って調査もしている。この時は屋須の代表作と共に羽幹昌弘が同じアングルで現代のグアテマラを撮った写真を展示していたが、今回の展示も一部これと同じ構成をとっている。ぜひ観に行きたいが、ネックは午後5時までという開館時間と横浜から電車でさらに30分近く掛かるアクセスである。夜明けとともに江戸を発たなければなるまい。

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虎視眈々と常任理事国入りを狙いながら、女性差別撤廃委員会にはごり押しのだめ出しを認めさせた。いったい国連というのは日本にとって何なんだろう。同委員会は先日、日本政府に対し慰安婦問題での日韓合意は元慰安婦中心のアプローチではない、夫婦同姓や再婚禁止期間など民法規定の改正勧告、ポルノ規制への努力、国会議員など主導的な立場に立つ女性の割合を20年までに30%にすること、等々の厳しい注文をつけた。スガは早速反発していたがそれだけではなかった。皇室典範の男系継承が女性差別とする記述があったのを日本政府が抗議して削除させたというのだ。審査過程で取り上げられず最終見解案で突如示されたことをもって、中国人主査の意向が働いたのではとの見方が出ているとか。スガは「歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得ている。女性に対する差別を目的としていないのは明らかだ」と語っていたが、世界のどこでも女性差別の歴史と伝統は根深いし、「目的としていない」で済まされるなら苦労はない。大して関心がない私でも皇室典範は差別だと思う。女性が天皇になって何の不都合があるのだろう?
これとは別に、子供の人身売買やポルノ問題を担当する国連のブーアブキッキオ特別報告者は日本に関する報告書を出し、いわゆるJKビジネスの「性的搾取を促進し、搾取につながる商業活動」の禁止を勧告した。この報告者は昨年、日本の女子生徒の13%が援助交際をしていると言ってスガに噛みつかれた人である。後に取り消したというが、その文書は公開されていない。ただ、日本が性差別大国であることがしだいに世界のコンセンサスになりつつある。

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