風薫る 

砂町

チラシ配りを始めてから夜が早く眠くなって困った。歳のせいもあるのだろうが、以前は2時に就寝というパターンだったのが、今は1時から1時半就寝の毎日である。その代わり朝は7時半頃目が覚める。悪いことではあるまい。成り行きに任せることにした。昨日は渋谷鶯谷町の古書店で行われている写真展を観に行ったのだが、ハガキの地図が細かい欧文でしかも黒地白抜き。読みにくいこと限りがない。何とかなるだろうと思って出かけたが、夕闇迫る中、余分なウォーキングをさせられてしまった。最近の案内ハガキはこの手のデザインが多く老人には大変つらい。考え直してもらいたいものだ。

今日から連休だが、毎日が連休の身としては何の感銘もない。5月1日には久々に川歩きの会をやることにした。3時に井の頭線・高井戸駅に集合し、吉祥寺まで神田川を歩く予定。気が向いたらぶらりとご参加いただきたい。2日には高校の東京同窓会会報の編集作業を手伝うことになった。初めてなのでどういう段取りかまったくわからない。5~7日は野辺地に帰る予定だ。母の日を前倒しで祝いたい。新幹線は復旧したが青い森鉄道への接続がよくない。しかも新幹線は徐行などでまだ1時間弱余計に掛るという。重厚長大システムのダメージは大きい。
  

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四十町 

四十町

 ――小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす

人口に膾炙した土屋文明の歌である。四十町は昔の八郎右衛門新田。舟入川の両側に家が20軒ずつ40軒あったので四十町となった。現在の東砂6~8丁目に当たる。葛西橋の手前から荒川に平行に南へ延びる道が、四十町通りと呼ばれている。今は写真のように小工場もなく、酸素熔接のひらめきなど見るべくもない静かな通りである。この地に文明の歌碑くらい建ってもいいと思うのだが……。

この歌は『短歌研究』昭和8年新年号に発表された。前年、東京市が隣接5郡82町村を合併して35区になったことを記念して歌人たちの競作を試みた時の作品で、城東区を受け持ったのが分明であった。『ふゆくさ』で叙情歌人として出発した文明だったが、この頃から無機質な叙景あるいは即物的な描写に新たな短歌表現を求める傾向が強まっていく。字余りなど破調を多用した晦渋ともいえる歌が数多く生み出されるのである。城東区というテーマは文明にとって天の配剤とも言えた。ゴツゴツした晦渋な表現は、近代文明が発展する一方で治安維持法が敷かれ共産党が徹底弾圧されるなど、戦争の兆を孕んだ時代へのコミットメントであり違和の表現だったのではないだろうか。この年の1月にはヒトラー内閣が成立、2月、小林多喜二虐殺、3月には三陸地震・津波で死者3000人余。日本は満州撤退勧告案可決を不満として国際連盟を脱退。東京音頭が大流行するなかで、治安維持法の検挙者は最多となる。日本の綿布輸出量はイギリスを抜き世界第1位となるが、低賃金を武器とするソシアル=ダンピングに非難が巻き起こっていた。
  

アイスクリーム断ち 

野辺地田んぼ

薬局の待ち時間におふざけで体脂肪を測ったら、体脂肪30パーセント・隠れ肥満と出た。肉も食わないのに、身体の3分の1近くが脂肪だというのか? 信じられん。さては甘い物の食いすぎだな。今日からアイスクリーム断ちの刑だ。失恋の我をしばらく刑に処す……というやつだ。べつに失恋はしてないけどね。

大震災による自粛ムードの中、目黒区美術館が今月9日から開催を予定していた「原爆を視る 1945-1970」展が急遽中止されたという(以下、東京新聞4月21日付「TOKYO発」による)。被爆の記憶が生々しい投下後25年間に、原爆がどのように表現されてきたかを検証することを目的に掲げていた。広島・長崎を中心に全国から絵画や漫画、映像など500点もの作品が寄せられる予定だった。展示の目玉となるはずの丸木位里・俊夫妻の代表作「原爆の図」は、「原爆の図丸木美術館」が作品を貸し出す前日に中止の連絡を受けた。中止の理由は「福島第1原発の事故や、被災者の心情の考慮」だとし、館長は今は、福島原発事故の観点が強調されてしまう。落ち着いた状況で見ていただきたい。政治的な配慮や圧力はありえず、あくまで運営上の問題だと述べている。

世俗のレベルでならば館の言い訳に頷いてしまうかもしれない。なにしろ、福島の車だというだけで落書きされたり、放射能がうつるといじわるされたりしている時勢である(日本人は震災に際しても秩序を守って立派だと言われながらのこの愚行はなにゆえか、理解に苦しむものがあるのだが)。しかし、表現の側から考えればどうであろう。アートや表現に求められるのは現実を相対化することでありタブーの解体である。目黒区美術館の展示に単なる表現物の羅列ではない個々の表現を包摂するコンセプトがあったなら、安易な世俗への妥協ではなくもう一踏ん張りしてもらいたかった。タブーを超えることなくして本当の慰藉はありえない。はたして誰が言い出した「中止」だったのか。

今日は例によって古紙回収の日であったが、朝から雨。古紙を出したままどうなるのかと思っていると、午前10時、雨の切れ目を縫う抜群のタイミングでMさんが現れロール紙を置いて行った。