案内広告 

団地

私が上京して初めてまともな就職をしたのは、三田にある案内広告の小さな会社だった。社長も先輩もともに蟹座で山羊座の私とはそりが合わない。果して6年後には退職を余儀なくされるのだが、それまで考えられないような失敗を何度もやらかした。我ながらイヤになってしまう。取引先にもさまざまに迷惑をかけてしまった。辞めるときは恨むしかなかったが、こういう私の失敗を黙ってフォローしてくれたのだから、本当は感謝しているのである。会社が入っていたビルのフロアはそのままカラオケボックスになっており、今でも時々当時の同僚Y氏とそこで歌っている。

さて、案内広告とはいわゆる三行広告のことだ。映画『ダーティハリー』で警察は、狙撃犯さそりから返事を案内広告に載せるよう要求される。日本の案内広告は明治31年、報知新聞の「職業案内」に始まると言われているが、初期には紛失、拾得、尋ね人などの広告を無料で掲載することが多かったという。身近な情報を載せることで新聞と読者の距離を縮める役割を果たした。関東大震災の後には立ち退き先や尋ね人が新聞に殺到し、いわゆる復興広告が続いた。案内広告は現代のツイッターなどと同じような位置づけだったのだろう。高度成長期には案内広告の需要は人事募集や不動産広告に集中し、市民の相互コミュニケーションの場という性格はほとんど消え失せた。別刷りで4ページすべて案内広告という今では考えられないような形態もあったのである。しかし、こうした人事募集は次第にリクルートや学生援護会の求人情報誌に移っていく。求人情報誌はビジュアルを生かして若者の周辺情報を盛り込み、新聞には出来ない「就活」・バイト探しのモード化に成功してその座を奪った。

案内広告は見出しに倍半活字を配し、2行、3行という小さな枠に情報を詰め込むために独特の表現を生み出した。細面・歴持参・社保完・交費給・普免有方……などなど。活字だけの灰色の紙面にはコリコリした生きた社会の手触りが感じられた。
      

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猫町 

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仕事があったり法事があったりで、このところチラシ配りは中断している。チラシ配りの大敵は犬で、これに吠えられると万事休すである。某所にそばを通るだけでメチャクチャ吠える犬がいるが、その顔と言ったら……ま、この世の終わりだ。聞いたところでは、チラシ配りを生業にしている人が犬に追いかけられ、転んでケガをしたが補償もなく大変な目に遭ったらしい。その点、猫は犬のように通る者に職業意識を丸出しにしたりはしない。むしろ人間を見ると何かされるのではないかとビクビクしている被害者意識がもどかしいけれど、それもまた彼らなりの処世術であろう。猫(とくに野良猫)はただ風景であることを望んでいるのだ。
朔太郎の『猫町』は方向感覚の錯乱が引き起こした幻想と説明されるが、猫派の人間なら誰でも猫だけが住む町に迷い入りたいと思っているはずである。この小説の前にブラックウッドの怪奇譚『いにしえの魔術』が存在するので、朔太郎はこれからインスパイアされたのではないかとも言われる。いずれにせよ、この中編で主人公を虜にする17歳の娘イルゼの魅力は猫のコケットリーそのもので、猫好きをにんまりさせるような描写が続く。日影丈吉の『猫の泉』も、ローライを下げた写真家が南仏の山中にある古い町を訪ねるという、前二者と似たようなシチュエーションで始まる。町の人々は口をきかないかわり、枯れた泉の周りに集うチベット猫が次第にその数を増していく。やがて「私」は教会の大時計が語る「予言」を聞き取るのだが、それはカタストロフィーを告げていた。猫町を書いて忘れがたい余韻を残す1冊である。

麻布十番での仕事 

二の橋より
二の橋

仕事のない5月だが、高校の同窓会誌の編集に引っ張り出され池袋に通ったりした。今週は4日間、本来の仕事である。麻布十番二の橋近くのB社で13時から。相変わらず広いとは言えないフロアに社員やアルバイターが群れて仕事をしている。私の仕事は推理小説雑誌の流し込みチェックだ。レイアウト通りになっているか、約物がきちんと入っているか、赤字が修正されているか、拡張新字体から正字への変換が行われているかなどをチェックする。デッドラインが決まっているので場合によっては非常にせかされ、そういうものに限って面倒くさいやつだったりする。面倒くさいものだから修正に手間取り、校正にしわ寄せが来る仕組みだと言った方がいいのか。作業の中で発行前の新しい小説が読めるのはメリットだが、基本的にエログロはなく真っ当なヒューマン作品が多い。1日目、最も忙しいときにメガネを忘れてしまった。仕事がないとこういうポカも起こりがちだ。

麻布十番は渋谷川の下流、古川(新堀川)に沿う街だが、幕末にはこの辺りでヒュースケンの暗殺や清河八郎の暗殺といった事件が起っている。ヒュースケンを殺ったのは清河八郎の仲間の薩摩藩士たちであった。いま古川の上には高速道路がのしかかり、ヒュースケンの居た善福寺の背後にはグロテスクなマンションがそびえ立っている。