チラシ配り人の危機一髪 

砂町商店街にて
パチンコ店
 
チラシ配りもいろいろ問題がありながら続けている。先日、いつものコースでオヤジさんが呼んでいるので、また「ウチには入れるな!」と言われるのかと思ったら、「オレもこの前までやっていたんだよ」と言う。もちろん営業所は違うが、「なんとかかんとかで辞めちゃったんだ」。その「なんとかかんとか」が、どうも私には理解出来ない。彼とは問題意識がだいぶ違うらしい。私が地図にマーカーで印を付けながらやっているのを見て、「そんなことしてるの?」と言う。「配り漏れがあるといけないし、同じ家に二度配るのもまずいし」「なーに、チラシを受け取ったらこっちのもんだ。配り漏れようが二度配ろうが関係ないよ」「ま、ま、それはそうだけどね」。5、6分話したが、話がどんどんずれていくのには困った。
印を付けるのは私がきちんとした性格だから、ではなくこうしないと位置がわからなくなってしまうことがあるのだ。それだけこの地区は入り組んでいるし、似たような路地が多い。配布禁止の家もあり、そこは地図に赤で印がついているが私のはコピーだから黒くなっている。見逃してチラシを入れると即クレームが会社へ行くらしい。この季節、日向で地図を見るとてきめんに目をやられる。

いつも素通りしている角の建物が気になった。要塞のように窓が少なく生活感がない。郵便受けが別々に2つあって、いずれも名前は書いていない。勝手口のような段を上り掛金を外して柵を開けチラシを入れる。柵を元に戻し掛金を掛けようとするとすんなりいかず、カチャカチャと小さな音が出た。その間20秒も経たなかったと思うが、いきなり目の前のドアを開ける気配がした。私は身を翻して道路に下りた。別に悪いことをしているわけではないのにヒヤッとする瞬間だった。あとで地図をルーペで見ると小さな文字で「○○荘」とあった。入れてはいけない賃貸アパートだった。
  

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買い物 

銭湯が解体されていた
ふろ

3日に1回はスーパーマーケットで買い物をする。そのサイクルはパンの枚数によっている。6枚を2枚ずつ食べるので3日でなくなる計算だ。パンも何でもいいわけではなく、パスコのライ麦入り食パンというのを数十年食べ続けている。だからこのパンを売っているスーパーでなければ意味がない。売り切れていれば、やむなくレーズン入りとかクルミ入りとか、ときにはベーグルなどを買う。1回の金額は2500円前後だが、これを1つのポリ袋にぎっしり詰め込むのが楽しみである。バナナや野菜類は底に置き、豆乳などは真ん中にまっすぐ立てる。周りには豆腐のような平たいものを入れ、袋が損傷しないようにする。うちに帰り着く頃は手が痛くてたまらなくなる。
ところが、先日まずいことが起きた。1度使ったポリ袋をもう1度使っていたのだが、前回も同じようにぎゅうぎゅう詰めてかなり重たかったのであろう。持ち手の部分がぴっと縦に切れるいやな感触があった。かまわずエスカレーターで降りようとしたとき、降りきる前に突然持ち手が切れて買った品物をぶちまけてしまった。幸い卵もヒビだけで無事だったが、冷汗をかきながら品物を拾い集め、長い方の持ち手の残りと口を結ぶ小さなべろとを結んで仮の持ち手を作って何とか家に帰った。これ以来、余り無理せぬよう重い場合は2つに分け、反復使用は1回に留めることにした。
  

帽子店 

帽子店

  別れ来し静かな町の帽子店

ひょんなことで本駒込から駒込病院までの通りを何往復かすることになった。左右に路地が延び情緒のある家並みが続く通りである。その真ん中あたりに写真の帽子店がある。古ぼけたウインドウに帽子は飾ってあるが、営業しているとは思えない。すぐ冒頭の川柳が頭に浮かんだが、誰の作かグーグルでもヒットしない。確かに帽子店というのがミソであって、これが喫茶店では印象は正反対となろう。DOCOMO店ではさらに別の趣になる。日差しがまぶしい真昼間の通り。古ぼけた帽子店はそれだけで想像を掻き立てる。
  
追記:たいまつ社『明治j・大正・昭和三代 現代川柳の鑑賞』にあり。「遠くの町」ではなく「静かな町」であった。京都の人・堀豊次の作品。こいうのもある。

  絵の中に一つの椅子が置いてある