写団かげろう 

団地の雪

昨夜は平井でW君と数か月ぶりに会って飲んだ。電器店を営むW君とは写団かげろうという写真クラブで知り合った。以前「雪は白いか」で書いたT氏も会員の1人である。写団かげろうは講師に下町の写真家Y先生を迎え、1986年5月に江戸川区平井で発足した。私も団地の下の階にいたS君に誘われて発足時から参加し、広報などを担当することになった。会費は1000円、隔月の例会は平井の集会所を利用し、皆の作品を壁に掲げY先生(我々は師匠と呼んでいた)の絶妙な講評で進行した。半年に1回は撮影会を敢行し、錦糸町テルミナでの写真展も成功裡に終わり、万事和気藹々の雰囲気の中で会は広がっていった。何かにつけて酒を飲むので酒団かげろうとも呼ばれた。かくして未来は薔薇色に見えたのだが、好事魔多し、師匠が結婚してマンションに居を構えたことから未来は大きく歪んでしまう。あるとき師匠が例会で爆弾発言を行ったのである。くわしい経緯は忘れたが師匠の提案はとても飲めるものではなく、私を含め反発した大半の会員は脱退して別の会を作った。私は気が進まないながら会長に祭り上げられたが、私の実力ではとても会を纏めきれなかった。1年かそこらでその会も解散の憂き目をみたのである。かげろうが上り調子の時、撮影会のモデルになったW君の娘は当時5歳、今は29歳で保母をしているがまだ独身だという。S君はその後黙って団地を引き払い所在不明である。

※前回、初めてポスティングをやったと書いたが間違い。間が空いたのでそう錯覚してしまった。
     

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詩人薄命 

夕焼け

あるブログで知った中村文昭編・著『現代詩研究(現代篇)』をとりよせて少しずつ読んでいる。『現代詩研究(現代篇)』は明治篇・大正篇・昭和篇に続く4巻目。文庫版で500ページ近い厚さがあり、前後の見返しには女性詩人の系統図を載せ、さらに戦後の主な詩雑誌を総合誌と同人誌に分けて系統図にし挟み込みにしている。まさに情報のてんこ盛り状態で、字も小さくこの歳になっては甚だ読みにくいし、残念ながら誤植らしきものも散見される。目次が巻末にあったりするのも含め、本の作り方としてもう少し何とかならなかったものだろうかと思う。

中村文昭という人はよく知らなかったが、詩集数冊の他に吉本隆明や賢治・中也などを論じた著書があり、えこし会という詩人の会を主宰している。本書は冒頭に中村の長い緒言を配しているが、これがまさに渾身の力作だ。声コトバであった日本語の起源から説き起こし、日本語の「波瀾万丈な経験」とポエジーの辿った道筋をダイナミックに描いていく。その上で現代詩人を女性詩人と男性詩人に分け、さらに女性は思想軸・実感軸・感情軸・暗喩軸で4分割し、総勢136人の現代詩人の作品を網羅しているのである。作品は17歳で自殺した長澤延子の「海」から始まって、吉本隆明の「十七歳」で終わる。読む前はとっつきにくいものかと思っていたが、そんなことはなく今のところすらすら読める。現代詩というものを概観したいと思う人にお勧めしたい。136人の中に御堂勝(本名・遠峰勝夫)が入っていた。御堂は私がこの仕事に入った時の先輩だったが、それから2年も経たないうちに自宅で首を吊った。9月11日だったという。享年41歳。死後、彼の作品を纏めた『御堂勝詩集』(漉林書房)が出版されている。

さて、今日は今年初めてのポスティングをやった。寒さは想像以上で、300ちょっと配っただけで冷えきってしまった。明日も寒いのだろうか。
      

十五少年漂流記 

北砂5丁目
残菊

2007年、父が亡くなった次の月のこと小学校の担任だったK先生が交通事故で急逝したことを知らされた。K先生は本来の先生が産休に入ったので来た代用教員だった。当時20歳そこそこだったのではないか。フランクで格式張らない兄貴のようなK先生はたちまち我々の心を捉えた。美術や写真が得意な先生の指導を得て我々の絵はめきめき上達した。いつもカメラを携え我々を撮ってくれたが、集合写真も我々を斜めに並べて撮るように既成概念に囚われない自由な性格の人だったのである。しかしそういう先生の振舞は学校当局には許されざる問題に見えたのだろう。楽園はつかの間にして終わった。次の年我々のクラスには有能かもしれないが歳のいった凡庸な教師が配属された。なにより美術に関心も興味もない人だったのが致命的であった。

そのK先生があるとき「お前のようにチャカシなやつはこの本でも読みなさい」と言って貸してくれたのが、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』であった。チャカシとはおっちょこちょいで短慮軽薄な性格を指す南部弁である。先生は私に『十五少年漂流記』の少年のように苦境にあっても冷静な判断と団結で乗り切る人間に成長してもらいたかったのだろうが、結果は逆であった。私はヴェルヌの創りあげたSFが正しい小説であると思い込み、毆外だの漱石だのトルストイだのドストエフスキーなどは読む価値なしとして排除したのである。かといって当時はSFもそんなにないし、ヴェルヌの作品の熱心な読者でもなく、結局文芸作品はほとんど読まずに成長してしまったのである。ただ、K先生の楽園から追放されたルサンチマンと、先生が教えてくれたSFの描くユートピア願望が私の人格をつくった(歪めた?)2大要素であることは間違いない。久しぶりに『十五少年漂流記』が読みたくなった。