明日はカレーだ 

江古田
江古田

2月22日ねこの日、みなと*しごと55で「元気で働くために加齢を理解しよう」というセミナーを受講した。みなと*しごと55はアクティブシニア就業支援センターの1つだ。なぜ港区かというと、江東区などには同じ施設がないから。要するにハローワーク(どうも好きになれないネーミングだね)の高齢者版である。登録しておくと時々メールを送ってくれる。講師は堀内裕子氏で、日本応用老年学会主席研究員などの肩書きを持つ老年学の第一人者だ。

老年学とはGerontology(ジェロントロジー)の訳で老人学とも訳されてきたが、日本で専門の講座は桜美林大学にあるきりだとか。老年学は加齢変化の科学、中高年問題、人文学からの研究、高齢者に役立つ知識の応用、世代間問題などを全分野から横断的に扱う総合科学だという。日本で老年学の普及拡大が遅れているのは、なかなかビジネスにつながらないため。唯一成功した老人向けビジネスモデルは振り込め詐欺だそうだ。加齢と老化はどう違うのかというと、加齢は出生直後から始まっているが、老化は成人以降の変化。また加齢は歳をとる過程、老化は歳をとっての衰えを表す。子供は成長のステップがはっきりしているのに対し、高齢者はそれがバラバラで経済格差も大きく、ビジネスモデルが成り立たない。かつての老化モデルはだんだんに老いて死に向う直線的なものだったが、今は「ぴんぴんころり」が理想とされる。元気で暮らしてころりと逝くのがいいといわれるが、これは周りが大変で、むしろ「ねんねんころり」(ある程度床についての死)がいいのではないか。老年の生活は有償・無償の労働、ボランティア活動などのほかセルフケアが重要で、自分の意義を見出し社会的役割意識と達成感を得ることがいわゆる生き甲斐につながる。しかし、この生き甲斐という言葉はほとんど日本語にしかなく、英語には存在しないそうだ。会場は40前後の席が満員で断られた人もいたらしい。

今週は古紙回収もあり仕事も追加があって多忙だった。そんなわけでブログの更新もままならなかった。今日は江古田のギャラリー水・土・木の「三島のミ、遠野のトー」(写真:篠原誠司・テキスト:川島健二)に最終日ギリギリで駆けつけた。篠原誠司は足利美術館学芸員、川島健二は谷川健一の日本地名研究所職員とのこと。
    

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草食系じじいの危機一髪 

猫の恋

今週は例の雑誌の仕事が水・木・金、土曜日には急な飛び込み仕事が入り、来週は別の仕事が追加になって結構忙しい。水・木・金の仕事は時間に追われ大変だった上に、遅くなってスーパーでの買い物ができず、冷蔵庫が空っぽになった。今日、スーパーへ寄ったが、節約しすぎて結局料理の見通しが立たない食材ばかりになってしまった。節約というのはお金だけではなく、重くなるので量をセーブしたのだが……。

さて、私は自慢ではないが草食系じじいである。肉が食べられない。特に鶏肉が苦手だ。コンビニへ行くと弁当コーナーには若者向けの脂ぎった肉の弁当がこれでもかとばかりに並んでいるし、街は唐揚げの店が大繁盛である。食肉でも鶏はほとんど工業製品で、なんだか酷いところへニワトリを押し込めて太らせ、流れ作業で殺して人に食わせる。私に言わせれば、よくそんな物が食べられるなという感じだ。コンビニでもベジタリアン(私のような準ベジタリアンを含む)用の弁当はほとんど選択肢がないのが現状である。肉を先験的に価値と考えているふしがあるのだ。肉を食わせてやるから有り難く思えというのが大方のセンスだ。以前、つけ麺店で「野菜つけ麺」というのを注文したら、野菜は確かに入っていたがその上に半生肉がべちゃーっと置いてあり、往生した。店員は私の苦悩がさっぱりわからないようであった。つけ麺店などは私を苦しめて楽しむサディストの館であろうか。

ところが悩みはそれだけではない。肉は日常の至る所に密かに侵入している。たとえば野菜サラダをコンビニで買う。原材料に鶏を含む、とある。フーッ、危ないところであった。カレールー、これまたチキンエキス、牛脂などを含む。したがって高いがアレルギーフリーのものを買うしかない。焼きそばもソースにチキンエキスを使っているし、スープもコンソメだけではない。煮豆にまでチキンエキスが使われていることがある。スーパーで売られている餃子もほとんどは豚+鶏で、豚肉だけだったとしても必ずチキンスープが使われているので油断できない。なお私は豚肉だけの餃子や粗挽きソーセージはなんとか食べられる。
     

電車のアナウンスはなぜ濁る 

布団干し

半蔵門線に乗ると、九段下の手前で「次は九段下」というアナウンスが流れるのだが、この「クダンシタ」のシの音がスともツともつかないとんでもない汚い音で、驚いて座ったイスから飛び上がるところであった。その後の英語のアナウンスはまことにきれいだから話し手の問題だろうが、いやしくもプロのアナウンサーがこんな発音をするなんて信じがたい。この車輌は乗り入れする東急のものだったから東急の問題かもしれないが、それはどうでもよい。都営新宿線でも九段下はやはり「クダンスタ」と聞える(かなり濁る場合と少し濁る場合と2種類ある)。またこの人(新宿線のアナウンサー)は森下のシの音も濁る。続く英語のアナウンスはきれいだから、なおさら汚さが際立つ。いずれも住吉や新宿のシはきれいに発音するので、問題は「下」という字を発音するとき、スのように言葉を濁らせる要因が働くということだろう。この人(たち)は下町というときにもスタマチみたいに発音するのだろうか。それとも何々下というときは濁るというコンセンサスが生まれつつあるのだろうか? 

似た話をだいぶ前、東京新聞のサンデー発言という欄に「日本語のシが濁るとき」と題して投稿したことがある。その際は主にテレビで「この番組は何々の提供でお送りしました」と言うときの、シマシタがひどく濁る現象を取りあげた。拙文が効いたわけではないだろうが、その後シマシタがスマスタに聞えることはなくなった。なお、東京メトロの車内アナウンスはアナウンス学校の学生がやっているということだ。