医者巡り 

北砂4丁目
北砂4丁目

年末に来ていくつか身体の不調が出て医者巡りをしている。まずブログでは書きにくい泌尿器の異常が出て受診し検査を受けた。前立腺肥大によるものであろうということで、薬をもらっている。同じ症状は25年位前にも出たことがあり、そのときは鬱血が原因と言われた。見た目ビックリするような症状だが、多くの場合心配はないとWikiにあった。もう1つは膝の異常である。仲間の忘年会のとき誰かに靴を履いていかれ店のサンダルを借りてやっと帰った。すると次の日から右膝が痛くて歩きづらくなった。3週間ほど経ってもよくならないので整形外科を受診したのである。X線では顕著な故障は見られないようだったが、摩擦が悪くなっているのだろうとヒアルロン酸の注射をしてくれた。しかし、次の日も高い階段などで力が加わると痛みがあり、膝を曲げるときよりも伸ばし切ったときに痛いことがわかった。もう一度診察してもらうと、変形性膝関節症の始まりであろうと言われ、湿布薬を3種類もらった。この内、温感タイプを4時間貼ってみたら格段によくなった。4時間以上続けて貼ってはいけないので、寝る前に貼るのはうまくないようだ。

川向こうの整形外科は中がちとボロいが、K先生は気さくだ。クランケの顔を見てきちんと話してくれるので安心できる。カルテしか見ていないような医者は困る。待合室で新聞を読んでいると、前のお婆さんがメガネを掛けなくて読めるのと聞くので、何とか大丈夫ですと答えると、こんどは70になってるのと聞く。まだです、来年ですというと「何だ、それじゃあ話が違う」と妙に納得している。戦争の記憶はないでしょ、私なんか空襲に遭ってうんぬんかんぬん。生まれは板橋で近くに軍の施設(造兵廠のことか)がありちゃんと照空灯が備えられていた……(そこで受付から名前を呼ばれる)。受付でもお婆さんの話が続く。帰り際に独り言で「リュウマチになると黙っていられないらしいよ。うるさくてしょうがない」自分のことを言っているのか。
     

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校正のユートピア 

共立学園
共立

土曜日の夜、水道橋で事務所の忘年会が行われた。参加者11人と最盛期に比べればなんとも寂しい人数だが、それも時の流れというものか。今年は去年の忘年会で大はしゃぎしていたS君が孤独死し、先輩のIさんが逝き、事務所に縁の深いMさんが病没した。Mさんは創生期の事務所が一時間借りしていた大家であり、事務所の会計システムを作ってくれた大恩人だった由。近年はなぜか沖縄に居を移し、柏木俊道のペンネームで『定本沖縄戦 地上戦の実相』(彩流社)という大部の書を上梓したばかりであった。

5月・8月に干上がった私をはじめ、今年は一同いい話が少ない。初孫が生まれた、俳句づくりにうち込んだなんてのはいい方で、ノロウイルスに冒されて欠席した人、心臓にカテーテルを入れて手術をした人、100万円掛けて自宅の床下を直した人、夫婦ともども老化を心配する人、自宅の鍵をなくして立ち往生した人、時の人・安倍晋三そっくりの顔になった人などなど、仕事の話がほとんど出ないことが現状を物語る。事実、仕事の環境は冷え切ったままだ。メンバーの高齢化も著しい。巷に仕事はないわけではないのだが、社長も高齢だし積極的に顧客を開拓するような経営はもう期待できない。あとは面々の計らいに委ねられているところが歯がゆい。我々が夢見た校正のユートピアも、結局は高度経済成長下の錯覚にすぎなかったのであろうか。二次会では孫が生まれて爺になったYさんが、なかなかの美声で「襟裳岬」を歌っていた。
    

「埋み火」 

大島
大島

水曜日は夕方から出て墨田区のあづま図書館というところへ行ってきた。『すばる』の12月号を読むためである。江東区のは貸し出し中で年末でないと帰ってこないという。あづま図書館へは、まず亀戸までバスで行き東武亀戸線に乗って小村井まで行く。亀戸線は東京では珍しいくらいローカル色たっぷりの路線で終点の曳舟でスカイツリーラインに接続する。たまに利用するくらいだが、この線のコリコリした感覚は堪えられない。

『すばる』12月号で読みたかったのは、八戸出身の作家・木村友祐の「埋み火」である。70年生まれの木村には既に「海猫ツリーハウス」(すばる文学賞)、「イサの氾濫」の諸作があるけれど、私はどれも読んでいない。「埋み火」は30ページ以上ありそうだから中篇と言えるだろう。東京で会社の取締役に就いている宮田政光の前に突然小学校の同級生・階上タキオが現れる。料亭の席でタキオは小学校時代の思い出話を始めるが、タキオの不自然なまでに変わらない南部弁で克明に語られるのは、政光がとっくに忘れていた過去である。タキオの話はそれだけで終わらず、想い出話は次第にタキオが知らないはずの転校生トモコと政光の行動を暴くまでに暴走していく。ついに政光が記憶に封印していた事件が明らかにされるのだが、「おべでらが?」(覚えているか?)と繰り返すタキオの問い掛けに政光は答えることが出来ない。会話、いやこの小説自体ほとんどが一方的にタキオが話す南部弁で成り立っている。馴染みの薄い南部弁だからこそ、政光ののっぺりした標準語の世界が揺らぐさまが強調されるので、大阪弁などではこうはいくまい。タキオの南部弁は私の経験からは、八戸より内陸の旧名川町あたりの方言ではないかと思われるが、違うだろうか。夢中で読んでいたら節電で温度を下げた閲覧室が寒く、すっかり身体が冷え切ってしまった。