がんばれ!「東京」 

砂町銀座


「東京新聞」を読み始めたのは蛇崩にいる時だから、もう40年になろうとしている。江東区に来てからは販売店(毎日の専売所)がだんだんおかしくなり何度も喧嘩をしたが、ついに社長がトンズラ、社員も総入れ替えしてなんとかまともになった。その話はまた後で書くこともあろう。
さて、「東京新聞」は3大紙の威光が剥落する中、メリハリのあるレイアウトと活気に満ちた紙面で読者を放さない。「東京はここまで面白い」という惹句は新聞と都市の両方に掛かっているが、それは作り手のマニフェストでもあろう。私は朝刊1面コラム「筆洗」、硬派の「こちら特報部」、匿名批評「大波小波」のほか、「本音のコラム」の竹田茂夫や斎藤美奈子を楽しみにしている。
「東京新聞」の弱点は販売網のほかに誤植が多いことで、よくすごい訂正記事を見かける。ところが、こういう指摘や問い合わせを受け付ける読者応答室というのがいささか問題である。かつて応答室には年季の入ったベテラン社員クラスが配属され、ヘンなことを電話してこちらが呆れられたり笑われたりもしたが、現在は(おそらく経費節減により)学校出たてみたいな若い女性たちが対応しており、人によってはかなりな場面もある。こういう窓口を設けていない新聞もある中では頑張っている方だろうが、それだけにスタッフにはもっと危機意識が欲しい。応答室が新聞の足を引っ張ってはつまらない。
今年の初め頃だったか、朝刊の最終面に載る「東京どんぶらこ」というイラスト入り街ルポ記事のイラストが潰れ気味で、手書きの文字がひどく読みにくい日があったので新聞を送って調べてもらった。すると担当責任者から電話があり、「多少インクが濃いけど版ズレでも潰れでもない。原画通り印刷されています」という返事であった。決して納得できる回答ではないが、こういうふうにきちんと返事をくれるところがいいではないか。
     

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ちちんぷいぷい 

亀高神社


土曜日は古紙回収の日だったので、例によって延べ2週間がかりで新聞の整理とスキャンに勤しんだ。特に今月の新聞で注目記事の多かったのはTPP(環太平洋連携協定)関係である。ファイリングソフトにTPPのフォルダーを作ってしまった。新聞整理の傍らテレビで衆院集中審議の中継なども観ていたが、この協定の議論ほど日本人のメンタリティをあらわにしたものはない。相変わらずバスに乗り遅れるなの主張ばかりで、実はそのバスの行き先も料金も乗り心地も不明なのだ。ハッキリしているのはTPPが米国による市場の囲い込みであり、米国の巨大資本に都合良くやられてしまうだけということだ。その国にのこのこ出掛けていって、私はどうしたらいいんでしょうと聞いてくる首相をおめでたいと言わずして何と言おうか。
TPP交渉はWTOの混乱に懲りて徹底的な秘密主義で事を進めている。既参加国の交渉内容に徹底した守秘義務が課せられるのはもちろんだが、遅れて参加した国にはそれ以前の議論をやり直すことも禁じられている。へっぴり腰の態勢で日本が参加すれば、国民にデメリットを隠したままの密室交渉が進められるだろう。悪名高いISDS(投資家・国家紛争)条項などTPPの本性をむき出しにする最たるものだ。ISDS条項は国内法を凌駕する効力を持ち、環境保護や反原発運動が槍玉に挙げられる可能性が高い。NAFTA(北米自由貿易協定)ではメキシコの産廃処理施設反対運動がISDS条項を楯に米企業に訴えられ、施設は存続、廃止を命じたメキシコ政府は賠償金を支払ったという。日本の皆保険制度もおそらく風前の灯火である。東京新聞の政治漫画がTPPを「ちちんぷいぷい」の略としたのは絶妙だった。軽率なまじないが日本をめちゃくちゃにする。
    

彼岸前 

清洲橋


    弟の遺影新しくする彼岸
                    
3月18日は下の弟の命日だ。命日とはいっても亡くなった日がはっきりわからないので父が決めたものだが、18日は牡羊座である弟の吉日だし彼岸前でもありいい日にしたものだと思う。命日に当たり気になっていた遺影を作り直した。銀塩プリントからスキャンし直したが、ネガのゴミが多く修正に結構手間がかかった。額も同じダイソーの商品だが新しいものに替えた。当時勤めていた渋谷の地下ボイラー室で撮った写真で、作業着姿の表情が気に入っている。この頃が彼の最も生き生きとしていた時期だったように思う。版画で愚安亭遊佐「こころに海をもつ男」のポスターを作ったのはこの頃だ。私が祐天寺に住んでいたので、時々2人で飲むこともありコミュニケーションは悪くなかった。 

弟は新聞店をクビになった後、人形劇団に入ったりウインドウ制作会社にいたりしたが長続きせず、土方をやって飯場に入り一時「行方不明」騒ぎを起こしたこともある。私のところへもよく金を借りに来たが、こちらも金がない時代で1万円を分けるのに大変苦労した。割と安定したボイラーマンを自分から辞め、友人たちと川崎に引っ越して注入工を始めた頃から弟との接点がなくなってしまった。人間関係では何かとストレスが溜まっていったのではないだろうか。突然植木屋に転職したという話を聞いたが、それも仕事がなくなったらしく、最後は警備会社に入ったが1か月も経たない内に辞めてしまった。「人に嘘をつかせるひどい会社だ」と憤慨していた。ついてなかったと言うしかない。
弟は都会との付き合いに悪戦苦闘し敗れた。適当に要領よくこなして生きていくことが彼にはできなかった。ついついアルコールに逃避したことが寿命を縮めたのだ。新しい遺影にコンビニで買った紙カップ黄桜「辛口一献」を供えた。暗い団地の森に春の嵐が吹きまくっている。