少し天狗になっていた 

砂町銀座・花祭り


天狗党の過激派、田中愿蔵の名誉を回復しようとする気運が高まりつつあるという記事が東京新聞に載っていた。栃木の町を焼き払ったことで評判の悪い愿蔵だが、若くして郷校の校長を務めたほどの秀才で、二世の藤田小四郎とはライバル関係にあった。愿蔵隊は天誅組の残党・土田衝平を参謀にして転戦し、髷を切り落とした風体から「ザンギリ組」と呼ばれた。小四郎のように頑迷な水戸学に囚われることなく、倒幕の端緒を掴んでいたのかもしれない。愿蔵隊は主流派に除名され助川で敗れた後、追い詰められ塙村で処刑された。舟で逃れ再起を図った土田も相馬で斬首されている。
私が天狗党に興味を持ったきっかけは、30代の頃、山口武秀の『水戸天狗党物語』(三一新書)を読んだことだ。山口武秀は戦後革命期に裸馬に乗り山野を駆け回ったという伝説を持つ農民運動の指導者である。本書は複雑きわまりない天狗党の全体像を、ともかくコンパクトな1つの物語として纏めている。だが若い友人たちは、甘いとか公式史観だとかいうかなり否定的な評価でいささかガッカリした。それでも天狗党に興味を持った数人で天狗党ツアーなるものを企画し、石岡の鈴ノ宮稲荷を見に行ったことがある。我々の天狗熱はそれだけで終わったが、殺風景な境内に集まった集団があれほどの騒乱を引き起こすことになろうとは、当時の人々にも予測できなかったのではないか。
それにしても天狗の物語は暗い。関わる者すべてが死んでしまう。松平頼徳のような大名ですら例外ではない。その中で山口が書いている松前藩士の娘・板東はじめという女性が気になる。愿蔵隊と行動を共にし長刀を振るって奮戦するが、やがて袂を分かつ。駕籠に乗り36人の親衛隊に囲まれていたというから、どういう関わりだったのかわからないが、彼女はいったいどこへ消えたのか。新宿で背筋の伸びた女性に会ったら訊いてみたい。「板東はじめさんじゃありませんか?」と。なお、三島由紀夫の祖母は松平頼徳の姪に当たるという。
      

スポンサーサイト

仲間を見舞う 

北糀谷


喉の症状はすっかり良くなった。まだ腫れはあるそうだが、もう何を食べても大丈夫だ。しみることもなくなった。今日は久しぶりに入浴する。なお、前回クリーム色の腫れと書いたが、腫れはその下の部分とか。かなり勘違いしていた。恥ずかしながら、人生この手の勘違いは結構ありそうだ。

日曜日は大腸がんで入院・手術したN君の見舞いに川崎へ行ってきた。月曜に行くつもりだったが、A君の都合が悪いというのでこの日になった。F君も一緒だ。京急川崎で待ち合わせ、15分ほど歩く。エレベーターを降りると本人が浴衣姿で歩いているのにばったり。入院に至る過程は彼特有の早口でよくわからないが、発端は健康診断で潜血反応が出たことらしい。手術は内視鏡によるいわゆる腹腔鏡下手術で、切るのは1センチかそこいら。創は既にふさがっているし点滴も取れ、手術4日目から重湯、5日目からお粥と考えられないような回復である。それで24日には退院と昔の盲腸手術並みだ。ただし腹腔鏡下手術はどうしても時間がかかるようだ。いつも行く飲み屋の女将が見舞いに来たという。今度のがんの原因は酒とタバコだそうだから、その辺の付き合いもほどほどにすべきだろう。病室は11階で眺めがいいはずだが、この日は雨催いであまり面白くない。病院を出て京急川崎近くのチェーン店で一杯。私はノンアルコールビールにする。初めて飲んだがこれは超まずい。早くノンアルコール日本酒が出ないものかと思う。
       

続・九死に一生三歩前 

枇杷野川(野辺地)
DSC_1563bg.jpg

前回書いた喉の異変だが、回復がはかばかしくなかった。先生にもやや想定外だったようだ。言われた通り入浴も飲酒も控えたが、腫れが引かず痛みが続く。熱い食べ物、酸っぱい食べ物が猛烈にしみる。酸味のあるトマトジュースが一番痛い。原因は当初風邪と言われたが特殊なウィルスだそうだ。ウィルスを殺す方法はなく、症状を和らげることしかできないという。火曜日に初診後、水・木と薬を飲みながら仕事をしていたがよくならず、声も変わってきたので金曜の朝一番でまた診察してもらった。内視鏡でもクリーム色の大きな腫れが居座っているのがわかる。前には見えなかった白い発疹が周りに出ているのも見えた。再び30分掛けて点滴をしてもらい、仕事に30分遅刻してしまった。その日も1日痛かったが、次の日には少し治まり、朝診察してもらうと少し腫れが引いてきたという。この日はネブライザーだけで済んだ。無理をしないよう念を押される。

仲間のN君が大腸がんで入院、手術した。経過は順調みたいだ。見舞いに行かなければならないが、こちらもこの調子でままならない。私としては週明けの月曜日あたりを目論んでいる。その頃には喉の痛みも落ち着いてほしいものだ。