セルロイド 

西大島


あちこちで百日紅が咲き継ぎながらピンク色の花を揺らしている。なんだか今年は特に目立つようだ。父が亡くなった時も我が家の窓辺に百日紅が咲いていたが、今年は咲かないという。弟は母の介助が忙しくて、花を見る余裕もないようだ。思えば家の百日紅は、父が亡くなって以来一度も花が咲いたのを見ていない。あの年は9月に入ってからも一際暑かったからそのせいなのか、それとも父の死に繋がる特別な何かだったのだろうか。ところで、百日紅の華奢な花房は私にはなぜかセルロイド細工のように感じられてならない。触ればかさかさと軽い音を発しそうに錯覚するが、それはあくまで錯覚である。セルロイドの百日紅が現実にあったというわけでもない。あの人工的で造花っぽい花の色がそう思わせるのかもしれない。今風のプラスティックではだめで、セルロイドでなければならない。セルロイドは今や死語に限りなく近く、若い娘さんはセルライトと混同していたりするが、ダイナマイトと出自を同じくする過激な素材である。

今月のギャラは1日分だけで3千円ちょっと。さすがに愕然とした。今週は24日、25日と東京駅近くの高層ビルで仕事だったが、2日とも終りは想定外の10時、11時で疲れ切ってしまった。出来高制なので、これだけやっておそらく他の仕事の2日分に追いつく程度だろう。仕事の全体量や進み具合は世話役が把握していても私には読めないし、言われたことを唯々諾々とやるしかない。規定でがんじがらめのフラストレーションが溜まる仕事だ。26日、27日は土曜日の古紙回収に合わせ新聞をスキャンしファイリングする予定だったのだが、ここでも誤算が生じた。パソコンの調子がおかしくなったのだ。ファイリングソフトをバージョンアップしたのが原因かと思ったが、マウスの不具合だったらしい。チャタリングという現象とか。それで手間取って予定が大幅にずれ込み、結局寝たのは4時半だったが新聞を大分残してしまった。
    

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台風一過 

街が金色に燃え上がる
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朝、長い夢を見た。舞台はいずれも学校の校舎みたいなところ。鳴海氏の母上に2階で出会うが、お客さんの相手をして忙しそうだったので黙って通り過ぎる。時々行く皮膚科の先生に診てもらっている。だが相談しているのはなぜか裁縫みたいなことだ。包帯(?)が「上手く留められないんですよ」「ネットに書き込んで下さい」などと話す。この先生も相変わらず忙しそうだ。次は若いアーティストたちの作品が置いてある(展示ではない)場所。知らない男が声高に能書きをしゃべっている。名前を見ても知らない人ばかり。最後は仲間のコンパみたいなところ。後藤君が向こうで誰かとしゃべっている。金沢のS君だろうか。魚のフライが目に留まるが、飲み食いも会話もなし。2次会がどうのこうのという話が聞える……。夢だからもっと錯綜しているし、これに私の観念がかぶさりごちゃごちゃして展開するのだが、それにしても何年も前に亡くなった鳴海氏の母上が出てきたのはどういうわけだ。私の母親が酸素マスクを付けて呻吟している現実に呼応したのか。

今回の台風は南風だったので日よけのターフが1日中バタバタ鳴り続けてうるさかったが、直しようがない。結局下の針金が取れ、みっともない姿になってしまった。取り外し来年の夏までには新しいものを買って据え付けなければなるまい。台風が通り過ぎたあとの景色は(毎年同じだが)美しかった。遠くの街並みに夕日が差して金色に燃え上がったかと思うと、日没後は赤く染まった空を映して熾火のように燃え、やがて白い街灯が点る頃、鈍い金属光沢に変わって夕闇に融けこんでゆく。コンパクトデジカメではこの色のドラマをとても追い切れない。
   

写真展「過日」オープン 

秋の空


9月6日、父の命日に野辺地へ帰ったが、イヤなことよくないことといいことが交錯する3日間であった。まず、頼んであった墓石の裏の法名が彫り上がり、草ボウボウだった墓地の隅をコンクリートにしたのでスッキリとなった。しかし、それで空きが出来、ちょっとバランスが悪くなったかなと思った。住職が来て私の心を見透かすように、「お母さん(祖母のこと)が勝手に広げて花を植える場所を作ったので、奥の人が大変迷惑していたんです。今度ここを削って敷石を敷かせてもらいます。こちらで費用を持ちますから、ご諒承下さい」と一方的に言う。何だって! 30年も放っておいて5万円を掛けて整地した途端に削るなんて……。「もうちょっと早くおっしゃっていただければ……1か月くらいのところだったんですよ」と言ってみたが、どうしようもない。寺に刃向かっても勝ち目はない。なにか10倍返し、100倍返しする方法はないものだろうか。

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母は先日弟の判断で個室に移ったが、このところ痰の吸引が続いたせいか食が捗らなくてまいった。施設の食事はほとんど口に入らず、持ち込みの栄養ゼリーで何とか保っているような状態だ。それに両脚のむくみが依然ひどい。どうもスタッフとの意思疎通が上手くないようにも見えるが、弟に指図すると差し障りがあるのでこちらとしては今は傍観するしかない。弟は朝など寒いと言って石油ストーブを点けていたが、私の感覚ではそれほどの寒さとは思えない。上に何か着たらどうかと言っても全然聞いてくれない。

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肝心の写真展は段取りよく進み、土曜日の明るい内に準備が終わってしまった。作品の仕上がりも大きな破綻がなく、見栄えよく収まった。タイトルは悩んだ挙げ句「過日」とした。制作段階では無駄も多く余計な費用を使ってしまったが、飾ってしまえば苦労は吹き飛んでしまう。実は出発する6日の朝まで結果に納得がいかず、ガタコンガタコンとプリンターを動かしていたのである。印画紙やプリンターインクや用紙の費用は特別に予算を取っているのではなく、月の生活費から出しているので大変だった。飲み会や合宿の話は断った。幸か不幸かこの間仕事がほとんどなかったのも助かった。案内ハガキはこれから作らなければならない。3日目には弟のやってくれない家の周りの草刈りで疲れ切ってしまった。