サンクチュアリ2 

江古田


家のパソコンである仕事をしている。知人の会社が発行するメールマガジンの校正(兼修正)で、このメルマガは私も読者として3、4年読んできたもの。ただし本来の仕事と直接の関係はない。ギャラは現役時代の数分の1以下だが、いまの私にとっては貴重な収入源だ。A4・1ページのWord文書でアップされたものをダウンロードしてモニターで読み、「てにをは」や体裁などの単純な間違いは直に修正、それ以上のものは疑問出しする。いずれも上書きするときにその旨コメントとして書き込む。紙のゲラと違ってそれがかなり面倒くさい。表現に悩むと時間がどんどん過ぎ、1本2時間ぐらい掛かることもある。ともあれ、パソコン買い換えに併せてWordを買っておいたのが役に立った。

ベランダから見える大地主のTさんの敷地がすっかり片付けられ、向う側の大通りが丸見えになった。マンションでも建つのだろうか。その左側、どん詰まりの路地のしばらく無人だった木造アパートが取り壊され、ここもマンションになりそうな気配。隣の家の住人が顔を見せて、業者らしい男2人と話しをしていた。遠目だが 思ったより年配の男だった。彼の家の右隣にも古いアパートがあり、人の姿がないのでこっちも遠からず取り壊されそうだ(霜月荘という風流な名前が付いている)。以前「サンクチュアリ」として紹介した養魚池跡の周りが、いまなぜかプチ開発ラッシュになっているのである。ベランダからの見慣れた眺めが変わるのは何だか落ち着かない。

数年ぶりにスキャナを購入した。エプソンのGT-X820。値段は2万円台半ば。ニコンのフィルムスキャナがWin7で動かないことが判明したのと、これまで反射原稿のスキャンに使ってきたGT-9300UFのピントが怪しくなってきたからである。こちらは元々フィルムもスキャンできるのだが、その機能はとっくに壊れ、もっぱら毎月の新聞スキャンに酷使してきた。人間の歳にすれば120くらいではなかったか。新しいスキャナは新聞の取り込みに関しては残念ながらちっとも早くない。ボタンを押すと3、4秒考え込んでから動き出す。「もしもし!」と突っ込みたくなる。
    

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仕事はこっくりさん 

菱刈俊作展


hao123にやられた。haoは中国の検索サイト百度(バイドゥ)のポータルサイトらしいが、マルウェアみたいにパソコンの設定を変えて自サイトに誘導するソフトをばらまいているのだ。フリーウェアと一緒にダウンロードされ、インストールするときに入り込んでしまう。回避するオプションもあるのだが、それがいたってわかりにくい。現象としてはブラウザの立ち上げ画面がhao123になり、日本語入力がATOKからバイドゥIMEになってしまう。バイドゥIMEはユーザーのデータを勝手に本社に送っていたことがわかり、問題になった。アンインストールした後で、書き換えられた設定を元に戻す作業が必要だ。これを読んでいる人はあまりフリーウェアなど使わないかもしれないが、用心されたい。

土曜日、中目黒のウッディシアターで河馬壱公演『ピーターと狼と・・・』を観る。結果は失礼ながら、プロコフィエフの名作の後ろに伊勢物語と百人一首をくっつけたがうまくいかなかった……といっては身も蓋もないか。少なくとも昨年の『荒地伯ゴッケルの試練』、アラフォーの月石しのぶが分別のない少女を演じ、『ネバーエンディングストーリー』を思わせるピュアなテイストにまとめたのには及ばない。着想が悪いとはいえないにしても、百人一首から先の展開がいまいちであった。最年長のCOZYさんも大変そうだ。とはいえ、打ち上げではなぜか昨年横浜で開かれた「92歳の報道写真家 福島菊次郎展」の思わぬ裏話も聞くことができた。火曜日はトリフォニーホールで現代音楽のグループNEXTコンサートへ。現代音楽の刺激に慣れたわけではないが、演奏の中盤、かなり肝心の個所でついこっくりさんしてしまった。最近は仕事がないためダレ気味で、朝も早く目覚め二度寝するので眠りが浅いのだ。恥ずかしながら電車でもすぐ眠くなる。水曜日は六本木の菱刈俊作『レディー・メイド・メモリー』展初日。今回はコラージュのみだが、こぢんまりしたスペースに収まりがよい。絶妙のテキストとともに幻惑されつい何度も観て回ってしまう。

土曜日の昼過ぎはテレビの十津川警部シリーズ52を観る。既に何度か観ているのに引き込まれる。最近の高嶋政伸はどうもしっくりこない。
    

夢十夜5 

ソロ


青い猫がすり寄ってくるので撫でてやる。どこかで会った猫だが思い出せない。何となく汚れているようで、青い毛に付いた黄ばみが埃なのか地色なのか分からない。隣の母(顔が見えない)に、青猫ってこれかと訊く。Yさんの辞書を借りて調べようとするが、それは広辞苑ではなく、「楽しい広辞苑」みたいな本で役に立たない。自宅の階段の横に本やビデオが山のように並んでいる。階段に続く屋根裏みたいなところにも本が積んであり、入り込んでみるが、そこにあるのは面白そうでも当面の役には立たないものばかり……実家の庭にいるとどこからか電話があり、亡くなった弟に関する情報だというので喜ぶが、実は親戚のKさんからの電話だった。眠りの浅い朝にはとりとめのない夢の断片が散らばっている。

ソロは我が家で飼っていた雑種の雄犬である。確か私が大学に行っていたときに飼い始め、名前はテレビの「ナポレオン・ソロ」に前髪が似ているというので付けたらしい。ソロを飼ったおかげで仲の悪い弟たちが仲良くなったと、母が歌に詠んでいた。やがて我が家は店を閉めて浜町からバイパスの傍に引っ越し、ソロはスピッツ系のやかましさには閉口させられたが、ともかく皆に愛されて育っていった。アタマもあまりよくなかった。そのソロに恋人ができたのはいつだったか。すらりとした美人の野良犬で私も散歩に連れて行ったことがある。恋人とはいってもやってきて餌を食べる身の上だったらしい。狭量な祖母は彼女の存在を認めなかった。我が家はペットを含めそういう人生の機微にまるで疎かったのである。次に帰ったときは彼女は去り、しょんぼりと西空を見つめているソロが哀れだった。やがて私は上京し、ソロの顔を見ることもなくなった。なにしろ、祖母が亡くなるまでの数年間、一度も帰らなかったのだから。その後、ソロは父と散歩中にとらばさみに掛かって歯を失い、食事ができなくなって死んだと聞いた。衰えていくソロを詠んだ母の哀切な歌が残っている。今なら獣医の診断を仰ぎ、もう少し生きながらえることもできたかと思うのだが……。ここに書くことがせめてもの供養である。

駅の迷路をたどり、外国のような表参道の雑踏をくぐり抜けていったギャラリーで、その展示は来週からですと言われた。やはり厄日であった。金土日の3日間は中目黒で劇団河馬壱の「ピーターと狼と・・・」が行われる。私は土曜日に行くつもりだ。