妙正寺川を歩く 

妙正寺川(下落合付近)
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26日の日曜日は久々の川歩きの日である。当初天気は大丈夫との予報で安心していたら、いつの間にか傘マークが並んでいたのにはがっかり。しかし、通知した以上延期は難しい。結果的には晴れたり曇ったりで当初の予報通りだった。ただし、夜遅く、激しいにわか雨があったようだ。

さて今回の川歩きはリバイバル篇として、10年前に歩いた川をもう一度歩くという計画で妙正寺川を辿ることにした。西武新宿線下落合から同じく野方まで歩くつもりだ。集まったのは私を入れて6人。山姥さんにも案内を出したのだが、イレギュラーシフトで出勤となり参加は叶わなかった。前回来たA氏も不参加だ。地図はデジタルミリオンからA3に印刷したものを配るが、ものすごく細かくなって自分でも読めない文字がある。しかし粗いよりはいいだろう。妙正寺川は蛇行する典型的な都市河川で流域はコンクリートで固められ、家がぎっしり建て込んでいる。洪水も多かったと思う。しかし、平時の水は途中から放水して補っているというのだから、都市河川のコントロールの難しさが分かる。下落合駅の少し下流に神田川との合流点があるのだが、そこは割愛して上流へ進む。以下、写真は同じような川の風景が続くのは退屈だろうから、目に付いた印象的な風物を交ぜて掲載する。

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歩いて行くと高齢者の集会所みたいなところにコンサートか何かで人が集まっている。大樹が川を覆うように伸びている。次の駅・中井もやはり川沿いにある。中井から歩き出してもいいくらいだ。その先は公園を迂回するが、その際、目に付いた御霊神社に立ち寄る。この辺は北から下る短い坂が多く、それにいちいち名前が付いて標識が立っているのが律儀だ。目白学園の対岸に調整池が造られている。洪水の時に川水をここに逃がす仕組みだ。その先は哲学堂公園である。ここを散策すれば哲学の知識が知らず知らず身につくのだろうか。この対岸にも調整池がある。哲学堂でしばし休憩しおやつをいただく。哲学堂の先で川は新青梅街道に接近するが、その頂点に北から来る江古田川との合流点がある。一帯は15世紀半ば、太田道灌と豊島泰経らが激戦を続けた(享徳の乱)合戦の場であるという。「史跡 江古田原 沼袋 古戦場」という石碑が建っている。江古田川も辿ってみたい川の一つだ。道灌は東京人のお気に入りらしいが、私はあの冷酷さがどうも好きになれない。

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そうこうするうちに日が落ち、暗くなっていく。川はJカーブを描いて沼袋駅に近づくが、そこで切り上げようとの声が出た。まもなく午後5時。予定を1時間もオーバーしてしまったのは誤算だった。止むを得ない。ここで駅方面へ向かい、ちょうどよくつぼ八があったのでそこへ入る。打ち上げの生ビールがうまい。(同じ場所の画像が貼られていたので差し替えました)

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時には本の話など 

清澄白河・資料館通り


故郷の話ではなにかとご意見をいただいたが、問題があるから我がブログも賑やかになるのであって、これが何もなければそれほどの賑わいはあるまい。引きこもりの弟も賑やかし役として貢献しているのである。メタボの白クマ氏がエアトレーニングするのと同じ趣向で、メタボ体型が解消されたのではトレーニングの意味がなくなり、ブログの主要なネタが1つ減ってしまうであろう。仕事は相変わらずない。メールマガジンの仕事は先日誤植を指摘されたばかり。いま新規が5本入ってきているが、体裁に問題があり進められない。お得意先に問い合わせているが、返事は週明けになりそうだ。来週は古紙回収のためのスキャンが待っているし、かなりバタバタするのではないか。

暇に任せて安部公房と尾崎翠を読む。文庫のタイトルで言えば『R62号の発明 鉛の卵』、『水中都市 デンドロカカリヤ』と『第七官界彷徨 瑠璃玉の耳輪 他四篇』である。安部公房は『第四間氷期』も買ってあるが、これを読み出すとかなり厳しい心境に陥りそうなのでまだ手が着かない。安部公房再読熱は劇団天然ぴえろの公演がきっかけだが、ミーハーなハルキ(読む気なっしー)なんかより安部公房の方がよっぽどノーベル文学賞に近かったのではないだろうか。寓話や変身譚によって日常を異化する安部公房の作品は、思考実験と呼ぶにふさわしく、サイエンスフィクションにも一辺を接している。尾崎は気になりつつ手の出ない作家だったが、岩波文庫に入ったのをきっかけに読んでみた。一読し稲垣足穂を連想したがそれとも違うようで、2、3回読まないと本当のところは分かりそうにない。安部公房の母親が尾崎翠の友人という因縁も知った。
安部作品について私なりにひと言つけ加えるならば、「デンドロカカリヤ」はキク科ワダンノキの、「チチンデラ ヤバナ」はハンミョウの学名から来ているが、これを欧文で表記するときはイタリック体(斜体)にするか下線を入れなければならない(下線はイタリックのない英文タイプを使う場合の便法)。新潮文庫ではこれがローマン体(立体)で印刷されており違和感がある。医学部卒という理系の安部公房にしてはお粗末ではないか。目が行き届かなかったのだろうか。なお、その後ろの命名者名は立体で表す。ここにL.と略字で書けるのはリンネだけだそうだ。

猫町4丁目
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故郷に憂いあり(3) 

3日目の午前中は庭の草取り。買ったばかりのステンレス製草取り器で草をガリガリ。弟が後からこれは斑入りのなんとかで雑草じゃないなどと言ってきたがもう遅い。いつもタイミングが悪いやつだ。もとはと言えば弟が日頃草を取らないからこういう苦労をするのだ。樹の枝も少し落としておく。

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午後また車でお墓へ行き拝んでから、斗南藩士の墓を撮影。その後、久五郎堤へ送ってもらう。久五郎堤は商人・野坂久五郎の造った防火用貯水池だが、今は防火にも灌漑にも役立っていないようだ。私はなぜか気に入って、ここ30年来ずっと写真に撮り続けている。わずかな水面に映る秋の空が美しい。その少し下の馬頭観音は鳥居も倒れたままで傷みっぱなし。これは昭和19年に馬喰が建てたものと言われる。愛宕公園の横から当てずっぽうに右手へ歩くと杉豊商店の三叉路に出る。右の道を行くと、中袋町集会所のところだ。平成9年に建て直したとかで立派な建物になっている。20年以上前に中の禅海堂を撮らせてもらった記憶がある。声を掛けると敬老会が終ったところということで、おばさんたちがたくさん後片付けをしていた。そこで改めて禅海様と稲荷様を撮らせてもらう。2階の縁起書も見せてもらった。禅海様とは即身仏である。先へ進むと女性が白い猫を散歩させているのに出くわした。名前はハクリュウ(白竜?)、オスの雑種だが手入れがいいので見事な毛並みだ。左右の目の色が違う。男と車が大嫌いだと言い、カメラを向けるとすごくビビる。残念だがそれ以上の接近は出来そうにない。いったん戻って三叉路を左に進む。3階建ての大きな住宅があったのでよく見ると原燃の寮だった。

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そこから若葉小学校の横を通ってはまなすラインに出て踏切を渡り、角の氷屋(今はやっていない)の前を通って、北野辺地駅(無人駅)を撮影する。氷屋さんの前の線路端に黄花の萩が揺れている。ご主人が萩の様子を見ているので、黄色だった氷の工場をなぜ青くしてしまったんですかと聞くと、ペンキの大きい缶が売っていなかったようなことであった。しばらく待ってまた列車が通過するのを撮ろうとしたが、光線が線路に真っ直ぐの西日でどう向けてもうまくない。踏切の端ギリギリのところで下りの快速しもきたを狙ったが、近すぎて結果はうまくなかった。光線にかまわず黄色い萩を入れてロングショットにした方がよかった。そこから石神様を撮り、新町からまた体育館前を通って駅に出、しばらく列車を撮影してから家に戻った。弟は酒を飲んでしまったので車は出せないという。

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上りの新幹線は雨の中を突っ走り、何とか夜10時に上野に着いた。野辺地は穏やかに晴れ、とろとろした初秋の景色が存分に楽しめたが、次の日から疲れがどっと出て往生した。