中川を歩く 

区議・区長選には期日前でやってしまっていたし、ギャラリー回りも前倒しで済ませ、古紙回収に向けた新聞のスキャンをやっと終らせた。区議選では、29歳保育士の新人女性が江東市民の会から出る手筈で金子勝氏の講演会などイベントもやっていたのが、直前になって維新の党と民主党の推薦に鞍替えしたというので、市民の会は憤っていた。大した公約もなく人生航路の出端でこんなマヌーバーを弄していては先が思いやられる。維新・民主の株もさらに下がるというものではないか。しかしこういう人でもそこそこの票を取って当選し、一方、市民の会が擁立した元職は落選の憂き目を見た。今回の地方選はどこでもこういうビジュアル重視の「ミスコン状態」なんだという。区長選はご多分に漏れず自民系の多選現職vs共産党系新人の構図。私と同じ歳の現職は余裕で乗りきってみせた。

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さて、19日は久々に川歩きの会で中川を歩いた。天気がいいはずが当日朝は雨でがっかり。午後には止んでくれたものの、最後までどーんとした天気で写真映えしない。四ツ木の駅から青砥まで流れに逆らって歩くつもりだ。四ツ木の駅周辺は店が何もないのでビックリする。その秘密は商店街が駅から外れていること。ここは荒川の内側に綾瀬川が流れていて、中川との合流点まで道が3本ある。ちょっとそこでゴチャゴチャしてしまった。本当はいちばん外側の道を歩かなければならなかったのだが……。ここからは荒川越しにスカイツリーがよく見える。合流点手前に木根川薬師があり、高速道路のかつしかハ-プ橋、その先に上平井水門がある。

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ようやく中川の雄大な蛇行が始まるのだが、雄大すぎていささか面白味に欠けるかもしれない。天気が悪いのも原因のひとつ。むしろ川と反対の道路側に花が咲いていたり、着物の熟女とすれ違ったり、いろいろ興味深いことがある。平和橋を過ぎて行く。川には水の暴走族ともいえる水上スキーの集団走行が目立つ、というかやかましい。田辺製薬の跡地に私の地図にはない大きな公園ができていた。本奥戸橋のたもとに地蔵尊・馬頭観音・道しるべがある。荷風の『断腸亭日常』にも記述があるという。次は奥戸橋だ。少し行くと福森稲荷があり、ここから青砥駅に向い本日は終了。青砥の養老乃瀧で打ち上げする。今回は橋を渡るコースにしなかったのも眺めが狭まった原因かもしれない。.メモしておこう。

中川は下流を荒川にぶった切られ、盲腸のように残った部分が旧中川として竪川や小名木川につながっている。荒川に沿って流れる綾瀬川は昔は古綾瀬川と呼ばれ、堀切付近で墨田川に合流する方が新綾瀬川だったものが、今はこちらが本流で、堀切で荒川と墨田川をつなぐ部分が旧綾瀬川となっている。この辺りの川の変遷はまことに複雑で覚えきれない。家康の時代から江戸東京は、川の流路をコントロールすることで都市圏を拡大確保してきたのである。それにしても、荒川放水路(現荒川)の掘削はずいぶん思い切った大プロジェクトだったようだ。

猫町5丁目にて(オマケ)
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弟の街とメリーティラー 

16日、例によって今は亡き下の弟の街を訪ねた。彼が遺体で見つかったのは13日の金曜日だから例年13日に行くのを目標にしているが、今年は天気が悪かったのでこの日にした。早いものであれからもう14年が経った。小田急線よみうりランド前駅で降り高石神社めがけて丘を登っていく。街はずいぶん変わってしまったが、行けば何かしら発見がある。なかなか魅力的な街であることもわかってきた。

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今年はいつものコースではなく、地図を確認して少し線路沿いに行きそこから丘の方へ上ることにした。すると見慣れた角のガソリンスタンドの隅に小さな石碑があるのが目に留まった。碑銘は「農機具之元祖 細王舎創業之碑」。脱穀機や小型耕耘機などで国内第1のシェアを持ち、その製品はアジア諸国にも輸出された農業機械メーカー・細王舎のここが跡地だったのである。と言っても細王舎の名前は知らなかったが、戦後いち早く米国のメリー・ティラーと技術提携し、取り回しのよい空冷式エンジンの小型耕耘機メリーティラーを廉価で製造販売した三代目社長・箕輪嘉夫のことは、娘の箕輪徳子さんが写真展で紹介していたので、ある程度知っていた。国産初の小型耕耘機メリーティラーは戦後復興期の食糧増産要求によく応え、その名は小型耕耘機の代名詞となったが、細王舎は後に小松製作所と提携し今はコマツゼノアとしてコマツグループの一翼を担っている。

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さて、高石神社への道はこちら側のほうが細く曲がりくねって分岐が多い。山道がそのまま舗装されている感じだ。そこに一応のお屋敷が建っている。太陽が出てないので方角が分からない。適当に歩いて神社の前に出、そこから下って弟のアパートを目指した。外階段を上がって咲き残る白い八重桜の写真を撮る。アパートの北側、かつての果樹園が宅地に変り、子供たちが遊んでいた。いつものように遊水池を見て、弟の友人が住んでいたもう1つのアパートを見に行く。この友人も弟の死後、自責の念に駆られたように会社を辞め、消息不明となった。今まで人の気配がなかったアパートの窓に、今日は珍しく電灯が点っていた。隣の土建会社の窓から中の額が見え、そこには弟の名前の1文字、「道」とあった。弟はこのことを知っていたのだろうか。前にも書いたが、弟の魂は故郷に帰らず、この辺りを彷徨っているというのが私の考えである。だからこそ、こんな偶然のような出来事にも意味を感じてしまうのだ。

弟を探す旅はまだもう少し続きそうだ。

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夢十夜7 

アンズはお疲れか?
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研修にマイクロバスで行くのだが、運転手が生意気なので気分が悪くなり乗るのを止める。次の日、バスを待っているとバッタリ会ったのは、目黒のTという20年以上音沙汰のなかった男。隣にはなぜか事務所の社長がいる。話ししているとバスが出そうになるので、慌てて外から窓を叩くが気付いてもらえない。何度も叩くのだが助手席の男も談笑していて気が付かず、バスは行ってしまう。これは大変だ。研修を休むとヤバイ。……地震で建物がひどく揺れる。空はよく晴れている……大きな黒猫がいて抱き上げてもじっとしているので、鼻をくっつけ猫流の挨拶をする……。

裏道にいつも2人のお婆さんが腰を掛けておしゃべりしている。……誰かに広い土地だか池だかを要らないかと聞かれる。そんなこと言われても資金はどうするのか、親たちに相談したら妥当な判断ができるだろうかと考える。亡くなったS君のことがふと頭に浮かぶ。家(私の家ではないようだ)の高い窓のところに電灯が点いているので消してと言うが、母は意味がわからないようだ。自分で消して見せて「ほら、この方がいいだろう?」と言うと、母はむやみに納得する。亡くなった母も夢の中ではピンピンしている。裏道のお婆さんがいつの間にか2人から3人になっている。だだっ広い水面を越える細長い橋を這って渡るが、途中で怖くなり後戻りしてしまう。

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私の夢はこんなふうにいつも不確かで危ういが、現実の物事もなかなか不確かである。今日は1か月ぶりに猫町四丁目へ行ってみたが、アンズはもう遊びすぎたのか何だか愛想が悪い。そう言えば今日は山羊座の厄日。猫にも愛想を尽かされたか(ちがうな)。2本目の通りでは、帽子の男が何かを見ているので何だろうと思ったら猫ハンターで、塀の上の猫をスマホで狙っているのだった。私はアマだが彼はプロ。どうやら猫もたやすく手なずけられてしまっているようだ。3本目の通りへ行くと尻尾のない鯖猫が鳴いて誘ってくるが、撫でようとすると撫でさせてくれない。追いかけっこしているうちに今度は三毛が出てきた。三毛を撫でていると、自転車で通りかかった若い男女が私の方を見て「ここはキャットストリートだね~」と言いながら過ぎていった。そういえばこの道でこんなに猫に会うのは初めてだ。猫を撫でてる内に1日が終ってしまうなんて、老後としてはどうなんだろうご。
プリントを頼まれていた故郷の知人から催促の電話が入った。予期せぬトラブルもありいささか時間を掛けすぎた。もっと早く連絡すべきだったが、何とか出来上がった。しかしオーバーホールしたばかりのプリンターの調子がイマイチだ。クレームは明日にしよう。