重巡インディアナポリス 

私は40年ほど前、ちり紙交換をしていたことがある。会社が調布という当時住んでいた祐天寺から通うにも不自然な場所で、いくら仕事がない頃と言っても無理があった。しかも古紙価格が谷底の時期で商売自体が芳しくなく、結果は定期券代にもならないボランティアに終わった。さて今月の10日ほど前、貞松瑩子という詩人の訃報が目に留まった。夫は文芸評論家の故遠丸立氏云々とある。ちり紙交換で調布の山の方を流している時、遠丸立の表札を偶然見かけたことがあったのだ。丘の下の小さな家の光景が甦った。
                   
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都知事選で鳥越氏のスキャンダルだけが叩かれるのはまさに異常である。日刊ゲンダイが言うとおりだ。他の候補のスキャンダルも報道するのならいい。たとえば小池氏には都議補選に立候補している元秘書への裏金疑惑が残る。在特会、それと要職にあった日本会議との関係も知りませんでは済まないだろう。増田氏には岩手県知事時代に残した負債の問題がはっきりしない。本人が明らかにしたくない部分を追及し、さらけ出すのがマスコミの任務のはずだ。鳥越氏だけを執拗に叩く裏には、このスキャンダルは官邸公認のネタだから絶対大丈夫という暗黙の了解が感じられる。もっと言えば権力が流す餌に易々と飛びつく現代マスコミの堕落がありはしないか。権力に餌をもらって生きるものをマスコミとは呼べない。ましてや選挙妨害まがいの策動に荷担するなんてあんまりだ。
                   
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東京新聞の読者情報誌『暮らすめいと』8月号が「紙面が語る 衝撃のあの日(特別版)」で、米国地方紙の1945年8月15日付紙面を紹介している。ヘッドに「太平洋で戦火やむ」とあるが、私が惹かれたのは原爆を運んだ重巡インディアナポリス沈没のニュースが半月遅れで掲載されていることだった。
インディアナポリスは日本へ投下する2発の原爆をテニアン島へ運ぶ任務に就いた後、グアムからレイテ島へ向かう途中、伊号58潜水艦に発見され3本の魚雷を食らって沈没した。7月30日深夜過ぎのことだ。しかし、波間を漂う乗員の救助が始まるまで2日もかかった。救難信号が日本軍の謀略と見なされたこと、極秘の単独任務だったこと、犬猿の仲だったスプルーアンス(海軍)とマッカーサー(陸軍)の管轄地帯の狭間で起きたことなどが原因に挙げられる。1200人弱の乗員の内、救助されたのは300人余であり、サメの餌食になった者もいたようだが、悲劇はそれだけではない。生還した艦長が軍法会議にかけられて有罪判決を受け、68年にピストル自殺を遂げる。再調査の結果、米国議会が彼を無罪と認め名誉回復したのは2000年、クリントン大統領の時であった。なお同艦撃沈が原爆投下前だったため、米国政府は秘密の漏洩を疑って驚愕し報道を押さえたのである。
               
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船番所資料館がおすすめ 

土曜日は平井・養老乃瀧で写団かげろうのメンバーW君と飲む。1年ぶりだ。彼は酒が強いのでペースを合わせると必ず二日酔いになる。この日は慎重の上に慎重を期したので、それほどでもなくて済んだ。電器店経営の彼は今エアコンの取り付けで書き入れ時。昔かげろうで撮影会のモデルを務めたこともあるお嬢さんが一流会社の社員と結婚したそうで、心からお祝いさせてもらう。岩手の花泉から出てきた苦労人、働き者の彼に弱点はない。
                       
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月曜日は中川船番所資料館へ行く。企画展『江東育ちの町工場』が始まったばかりで、明治以降、水運を生かして工場の町として発展し、戦後復興と高度成長も支えた江東区の歴史を展観する。私たちの団地が精製糖工業発祥の地であったことは前に書いたが、現在も稼働中の企業として電線・鋼線用ドラムなどを造る伊東鉄工所、ほうろう製品の野田琺瑯、介護に強いパラマウントベッド、合併してLIXILとなったトステムが紹介されている。野田琺瑯は砂町銀座へ行く途中にあるので昔からよく知る会社だ。
同資料館は中川大橋の袂に建てられており、中川と小名木川の合流点という元々の場所ではないが、旧中川を見下ろす眺望がなかなか。常設展ではかつての船番所と川の風景を再現(水はないが)し、ジオラマで移りゆく一日を見せる。川を中心にした歴史と暮らしがよく分かるようになっている。
                   
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参院選の勝利でニタニタ顔の安倍政権に冷水を浴びせるかのように、NHKは天皇陛下が生前退位の意向と報じた。LITERAによるとスクープの元はNHKの秋篠宮に近い記者で、実は参院選前に報道しようとしたが官邸からストップがかかり断念した。普通ならそれで立ち消えになるところ公になった裏には、天皇サイドの絶対的な後押しがあったのではとLITERAは書いている。宮内庁関係者の間には、生前退位こそ天皇が安倍政権のもくろむ改憲に対して身を挺して示した抵抗の姿勢という見方が広がっているとか。自民改憲案では天皇を元首化し、国防軍を創設するほか、立憲主義の天地をひっくり返した前近代的な国家観があからさまに示されている。生前退位するならば天皇は定年退職もあり得る地位となり、元首という神格化したシンボルにはなり得ない。安倍も菅もこの報道に判断停止したのは当然である(官邸はNHKの担当者を激しく叱責したという)。玉音放送を阻止しようとする輩はしぶとく生き残っていたのである。
                    
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朝に弱いと出世できない 

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山姥さんブログ(時には本の話でも・・・)にすずらん通りだの明治・中央などという名前が出ていたので思い出したことがある。私は一時、白門刊行会という会社に勤めていた。勤めるというよりフルコミッション営業で、中央大学何十周年だかの記念紳士録を作る仕事であった。靖国通りの住友銀行とチケットショップの間に出る富士見坂の枝道。窓の少ない殺風景なビルの一室に男たちが詰め、電話を掛け続けていた。中大OBに電話でアポを取り、行ってOKとなれば1万円もらってくる。お昼はよく天ぷらの「いもや」へ行った。
何の仕事でもそうだが朝に弱いのがネックで、この仕事も成績は最低だった。よく我慢したものだ。弁護士にアポを取り北鎌倉まで行くと、女房が出てきて断られたのには参った。Tという北関東出身で同年代の男と気が合い、彼の主宰する読書会や合コンにかり出された。何年かして彼は軌道を外れ、宗教まがいのエセ科学にかぶれてへんな雑誌を発行し始めた。こればかりはとても食えず無視させてもらった。案内広告の会社に入ったのはここを辞めた後である。
                     
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先日のNHKスペシャル「介護殺人」にショックを受けて介護制度の実態が知りたいと思い、水野博達『介護保険と階層化・格差化する高齢者』(明石書店)を借りに古石場図書館へ行く。木場二丁目のバス停から歩いて10分くらいだ。図書館は文化センターの中(4階)にあり、5階から上は集合住宅になっている。1階の片隅に小津安二郎の資料室があり、吹き抜けの内側にも瓦屋根のダミーが突き出す凝った造りになっている(写真参照)。すぐ帰るつもりが、暮れることを忘れたかのような夏の夕日に誘われ、川を辿って赤い橋(新田橋)の付近まで歩いてしまった。30年前と同じように路地を黒猫が歩いていた。
                    
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9日の土曜日は世田谷美術館へ「写真の地層展」を観にいく。旧知の桑原敏郎氏が世話役になってまとめているもので、今年で18回目になる。分厚い地層の重なりが楽しい。ついでにメキシコの巨匠アルバレス・ブラボ展を観る。帰りのバスはすぐ来て用賀の駅に着いたのだが、なんと田園都市線が止まっていた。改札は人がごった返している。しょうがないので気の進まないドトールで小1時間時間をつぶし様子を見たが、動くのは20時30分の見込みだという。やむなくバスで成城学園駅まで出て小田急を使い新宿回りで帰った。大変な番狂わせで疲れ切った。調べると原因はケーブルが燃えたためで21時40分に運転再開したとあった。あのまま待っていたらさらにひどいことになったところだ。