花柳老人もありか 

このところどうも身体の調子が悪い。6時間眠っても眠気がとれない。特にお昼ご飯の後の2時前後と、夕食後9時半から1時間ぐらいが眠く、実際眠ってしまっている。昼夕食の量を半分くらいに減らしているが効き目がない。消化力も落ちていることは間違いないようだ。ところが、先日のテレビで紹介された藤田紘一郎という大学教授の食事には参った。腸内フローラを増やすとか言って10品以上のおかずを食べて平気で仕事をしている。夕食もまた同じくらいの品を食べるのだ。77歳だそうだが、どういう体質なんだろう。
                     
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オリンピックの喧噪が止み何となくほっとしている。安倍は土管の中から這いだし五輪憲章無視の露骨な政治宣伝を行ったが、咎める者はいない。国内では20年に向け北朝鮮ばりの国威高揚ムードが醸成されそうだ。総裁任期の延長もほとんど決まりみたいだが、そうなれば五輪はともかく19年の消費税税率の再々UPに直面する。景気はとても回復しそうにないし、またG7で危機を演出し「新しい判断」で延期するつもりか。もう1人の出しゃばり人は小池百合子。和服のことを知らない私にも珍妙に見えたあのシーン。日刊ゲンダイによると、着付師がついて行ったのに何やってたんだろうということらしい。
        
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木曜日はベストセラー『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』を著した藤田孝典氏の講演(主催:市民の声江東)を聴きに行った。藤田氏は現在34歳と若く、私学の客員准教授を務める傍ら対貧困NPOを経営している。『下流老人』に続き、今年続篇とも言える『貧困世代』を上梓した。下流老人とは65歳以上で、1)収入が少ない、2)十分な貯蓄がない、3)頼れる人がいない、の3要素だという。収入は年金の受給額が生活保護基準に満たない状態だそうだ。高齢者世帯の16.8%が貯蓄なしで、4割以上が500万円未満とされる。頼れる人がいないというのは一人暮らしのことで、推定約600万人だが20年後には5人に1人が独居となる。反対に年寄りがいつまでも働いているのは日本だけだ、とも……。
一方、貧困世代は日本社会から強いられた貧困に直面し、貧困であることを生涯宿命づけられた若者世代で、15歳から39歳までを想定するとその数は約3,600万人とか。非正規雇用とブラック企業、教育機会の喪失、パラサイトシングル、住宅の貧困、ありがちな「若者」論等に翻弄されるこの世代はそのまま下流老人に直結する。担税能力のないこういう世代がずり上がっていけば、年金にしろ健保にしろどうなるかは目に見えている。終身雇用と年功賃金という日本型社会が急激に崩壊したことが、どれだけ大きな衝撃だったか分かる。非正規雇用を増やしたが社会保障を全く増やさなかった(むしろ縮小)のだから。話は多岐に渉ったが、厳しい実例もあり予告どおり大変暗い話であった。
貧困を増やさないためにどうするか。自虐的な貧困観から脱しソーシャルアクションを続けることで「暮らしにくさ」は変えられる。キーは発信と参加だ。
                    
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都制を廃止せよ! 

世の中オリンピックで沸き返っている。SMAP解散も大事件だ。そんな中で天皇のお言葉は8月8日、山羊座の陛下にとっての大吉日に発せられ、怖いもののない安倍晋三に顔色を失わしめたのが痛快事だった。「お言葉」と安倍の邪な企図は海外ではたいへん大きな関心を持って報じられているという。だが、皇室典範の改正で多少手間取ったとしても、安倍の改憲スケジュールは確実に進められるだろうとの見立てだ。
        
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金曜日はT君が9月に心臓と動脈で入院・手術するため、前倒しで激励会を開く。いつものカラオケだが思うように声が出ず、昨年末と違って点数が上がらなかった。考えてみると厄日であった。T君の手術は大変な難手術らしい。
例年の如く残暑見舞いをメールと郵便で数十枚発送した。返信が入り始めるときが楽しい。が、愉しい返信ばかりとは限らない。読んで私にはチト厳しい内容だったりもする。人生いろいろというやつだろう。同期生のS君からは電話が掛かってきたが、彼も満身創痍だとか。
7日の東京歌壇に私の短歌が掲載されただけでなく、知っている人の歌と金銀隣り合わせに載ったので、15日はその人がよく行くという池上線沿線のバーへ行く。残念ながらうまく連絡がつかなかったらしく、会えなかった。始まりの遅い店なので、帰りは珍しく終電一歩前になってしまった。
         
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14日は東京大空襲・戦災資料センターへ行く。もう数年行っていなかったので場所が分からず、だいぶうろうろしてしまった。狭い館内では15日前ということでトークイベントが行われており、中学生らしい少女2人が体験者の手記を代わる代わる朗読しNHKテレビが取材に入っていた。写真を観ていると、キャプションに「亀高国民学校」という見慣れない名前があったので係員に聞いたが、なかなか分からない。ようやく、今砂町中学校が建っている場所にあったことが分かる。現在の亀高小学校とはもちろん関係ない。昭和12年、東京市亀高尋常小学校として開校。同校内に東京市立城東工業学校開設。16年亀高国民学校に改編。18年都制施行により東京都亀高国民学校と改称。20年3月10日の大空襲により焼失、翌21年廃校となる。江東区の学校の歴史は空襲による空白が埋めきれないようだ。城東工業学校の行方も今のところ不明である。
それとともに、橋下徹のありがたがる都制は、戦時下に八紘一宇の中央集権を強化するために敷かれていることが分かる。地方創生などと言うならば、都を廃止して東京を市にするのが本当だ。
               
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小村井でオムライスを食べたら 

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9日の夕方、半ば衝動的に思い立って墨田区京島の田丸(稲荷)神社を訪ねた。亀戸はくらもち珈琲のマスターが東京大空襲の写真展で取り上げており、気になっていた場所だ。一帯は奇跡的に大空襲の被害を免れ、したがって大正・昭和の古い町並みが残る地域として知られる。田丸神社とそこに隣接する原公園には大空襲犠牲者の364人の遺体が仮埋葬されたという。地蔵尊の隣には戦災犠牲者の慰霊碑が建ち、たくさんの折り鶴が供えられている。
                    
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今回は日暮れ間近に亀戸線小村井駅から田丸神社を拝みに行ったのだが、曲がりくねった路地、古い民家や商店、工場、踏切などがつくる絶妙なタイムカプセル的空間に驚嘆した。常に視界に入るスカイツリーもすっかり風景に馴染んでいる。京島南公園という大きな公園はコンクリートで築山が造られ、長い滑り台で滑り降りられるのだが、子供が一人もいなかったせいか、公園というより遺構然とした佇まいがちと不気味であった。
なお、亀戸線には曳舟の手前に虎橋通という最寄り駅があったそうだが、大空襲で被害に遭いその日で廃止されている。今日歩いたのは京島のごく一部だが、行政的に見るとこういう街は防災に不適な危険地域として、無粋な再開発の対象になりかねないのが心配だ。
                  
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必要あって加藤典洋の『戦後入門』を読む。かなりの分量の本で息切れした。米国の外交資料などを子細に読み込み、米元大統領ウイルソンの国際連盟の理念などが、大戦と冷戦を経て現在の日本(または日米)にねじれとして結果していく経緯を説いた前3分の2は説得力がある。ただ、自衛権を国連に仮託するという凡庸な改憲論は現実的な解としても納得しがたい。現憲法は押しつけられたと言わんばかりのニュアンスで軽く流している。そのせいか、左派には評判が悪いようだ。いずれにせよ、このところ東京新聞的な「護憲」論に偏りすぎた自分の立場を定位し直さなくてはと思っている。誤植2カ所発見。
                  
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もうすぐ旧盆だが帰郷の予定はない。弟は草取りも墓参りもしないし迎え火も焚いてくれない。先祖の霊は彷徨うばかりだろう。そんな想いがあったからか、今朝、父の夢を見てしまった。父が何かの伝票を印刷して商売しようとしている。それだけの夢だが、生前の父には何の力にもなれず本当に申し訳なく思う。組合を退職してはじめたささやかな商売も、我々は理解することがなかった。切ないが何もかも終わってみて初めて分かるのである。