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 2017-08- 

やるきマンマン 

残暑見舞いを送った後、亀戸の養老でW君と納涼の一席と言いたいところだが、こう涼しくては納涼も何もない。16日間も雨続きなんてどうなったのか。野辺地はストーブを焚きっぱなしだろう。酒は抑制したつもりだったが、帰って風呂にも入らず録画したテレビも観ずにぼうっとして過ごす。疲れ知らず酔い知らずのW君に煽られてしまった。

                   
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さて、8月15日に合わせて放映されたNHKスペシャルは、新しい証言と証拠を全面的に取り入れてなかなか見応えがある内容だった。籾井がいなくなったことと関係があるのかどうか、思い切った報道姿勢を評価したい。
12日は「本土空襲 全記録」。軍事目標に対する精密爆撃の成果が上がらず苛立った米軍は、都市・住宅地への絨毯爆撃に移行した。都市が焼き尽くされると、護衛任務のP-51戦闘機に地上目標への銃撃が加わる。米軍はP-51にガンカメラを取り付け、銃撃シーンの一部始終をフィルムに記録していた。軍事目標を問わず地上の動く物はすべてが攻撃対象になった。日本軍が行う特攻(体当たり)作戦に対する恐怖心が攻撃の激しさを倍加させた。元米軍パイロットは支給される興奮剤を飲んで任務に当たったと証言している。
13日は「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」。森村誠一『悪魔の飽食』の間違った写真掲載問題などが記憶されるが、この番組はハバロフスク裁判の証言のほか、個人の資料、大学の記録に重点を置いて報道している。当時の大学が軍の研究と資金面でも人材面でも不可分な相互依存関係にあったことが見て取れる。731部隊に最も多く研究者を出していたのは京都帝大だったという。

                            
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14日は「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」。樺太と呼ばれた地に40万人に及ぶ日本人が暮らしていた。終戦後の8月20日、ソ連軍が侵攻し、住民を巻き込んだ地上戦が7日間続いた。不可解な軍の「死守命令」は、北海道を分断しようとするソ連の企図を阻むため島を盾にしたのではないかという。保阪正康は、日本では下位の者ほど重い責任を取らされた、樺太戦の責任の所在は曖昧なままだと指摘していた。
15日は「戦慄の記録 インパール」だ。1993年に、NHKスペシャル「ドキュメント太平洋戦争」の第4集「責任なき戦場 ~ビルマ・インパール~」として放映されたことのある内容だが、今回は司令官牟田口廉也中将の肉声テープなど貴重な新資料を加えている。反省の色もなく戦局の挽回を図ったまでと言う牟田口。東條首相たち戦争指導部の中で反対論が封殺され無謀な作戦の決行が決まる。そのあたり、安倍政権もかくやと思わせる。だが後に大本営の服部卓四郎は、作戦は南方軍・ビルマ方面軍・第15軍が勝手にやったものと語っている。番組の最後に、牟田口の下にいて彼の言動を全て記録していた齋藤博圀元少尉が車いすで現れ、「よく(この資料を)見つけましたなあ」と語る姿が印象的であった。インパール作戦の戦死者は3万人、傷病者は4万人と言われる。元少尉も九死に一生を得て生還した。

                     
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9日のTBS「ひるおび!」が自民党の政調会長に就任した岸田文雄を生出演させ、「リテラ」は「“ポスト安倍忖度”」「自民党のPRに加担。これを“政権忖度番組”と言わずして、なんと呼べばよいのだろう」と論評している。私も観たが、ソフトな語り口の岸田が隠さない並々ならぬ野心に戸惑った。弛みきった安倍とは対照的だった。岸田への禅譲はあるのだろうか?

※以前放映されたNスペのタイトルが間違っていました。修正しました。放映年月日も正しました。
        
             

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