菜の花忌 

早稲田
早稲田

月曜日の5時過ぎ、池袋の歌広場というカラオケ屋に入ったら満員で、しばらく待たされた。学生らしい男女がゴチャゴチャと群れて順番を待っている。相棒が冗談半分に「シニア割引はないの」と聞いたらあるという。半額近い割引になった。

最近こうして気持ちよくカラオケを楽しんでいるが、実は歌うということに屈辱的な思い出がある。中学校の時、私は行き場所がなく合唱部に入っていた。NHK合唱コンクールに向けて練習していたようだった。課題曲は1つが「白樺林細い道 落葉を踏んでここ過ぎて……」という白鳥を歌った曲、もう1つは「見よ今日も白き雲行く 日を浴びて輝くまなざし……」という、伊東静雄風の歌曲である。コンクール当日、部員約10名とN先生が汽車で青森へ向った。予選だからか私たちのほか1校か2校しか来ていなかったと思う。私は何の疑いも抱いていなかったが、直前になってN先生がいきなり「君は外れなさい」と言う。みんなが壇に上がって歌うのに私1人それを見るはめになった。他校のメンバーは気の毒そうに私に問い掛けるが、どうしようもない。私を外して純化を図ったにもかかわらず、予選は落ちたと記憶する。ともかく、言いようのない気分で帰ってきたのは事実である。N先生は自分にも生徒にも厳しい音楽家だったから、私のアナーキーな音声が交じるのは許せなかったのだろう。その気持ちはわからないでもない。数年前、中学の同窓会でお見かけしたN先生はまだ矍鑠としておられたが、そんなわけで話しかけるのは憚られた。

今週は初めての小川美術館で有元利夫展を観たほか、早稲田のビジュアルアーツと清澄白河のTAPギャラリー、神保町のメスタージャへ。小川美術館では有元が作曲したCD「RONDO」を買った。水・木は仕事だが、両日とも夕食前に終わる。
    
※遅まきながら調べてみると以下のことがわかった。
第24回(昭和32年度)NHK全国学校音楽コンクール課題曲
■中学校の部 
 「白鳥の歌」 藤浦 洸:作詞 京嶋 信:作曲 石河三郎:編曲
■高等学校の部
 「白き雲ゆく」 藤原 定:作詞 橋本喬雄:作曲 島村譲:編曲
NHKオンライン→Nコンのページから課題曲JukeBox:http://www.nhk.or.jp/ncon/juke_box/index.htmlで、「白鳥の歌」は聞くことができるが、「白き雲ゆく」は残念ながら聞けない。著作権の問題だろうか。藤浦洸は『別れのブルース』などで多数のヒット曲をつくり知る人ぞ知る名手だし、藤原定もけっこう名のある詩人だ。
    

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コメント:

精力的に廻られましたね

ところで、タイトルと写真と文面の繋がりが呑み込めないでいます(ーー;)
今や、司馬遼太郎の命日(2/12)が菜の花忌とされているようですし…苦笑。

Re: それほどでも

伊東静雄の命日が3月12日で、13回忌に菜花忌(さいかき)として弔ったが、のちに菜の花忌と変えて3月末の日曜日に行われているということです。この原則では今年は3月25日になるので、命日とはだいぶかけ離れますね。司馬遼太郎も菜の花忌でしたか。『菜の花の沖』は高田屋嘉兵衛を扱って野辺地も出てくるそうですが未読です。近所に先月から菜の花が元気よく咲いているところがありますよ。人様の敷地ですが……。

伊東静雄については http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura/
                   

歌アレルギー

小生の場合は、小5,6年の頃だったか定かでないが無理矢理合唱させられた時の事だ。声音のキーが高かったので女子のグループに一人だけ入れられ恥ずかしくて恥ずかしくて何度か脱走するが同級生に首なわで連れ戻され、その屈辱さは今でも鮮明に覚えている。以来40数年未だに歌は苦手だ。学校教育が人格を変えてしまう恐ろしさは今でも同じみたいだね。

Re: 歌アレルギー

へーそんなことがありましたか。いま女子のグループに入れられたらニンマリでしょうがね(でもないか)。私は会社勤めの頃、同僚数人と飲み屋で歌っていたところにベテラングループが入ってきて音痴がばれ、顔から火が出るような思いをしたことも忘れられません。ですが老化防止に極小人数のカラオケをお勧めしますよ。

音楽ハラスメント ひと言言わせて下さい

ダイナー氏、鳴海さん 2012年3月のブログ読んでいたら、どうしてもひと言二言、否三言言いたくなった。時の流れを逆戻りさせるようで気が引けますが。
 読んでびっくり。これは明らかに子ども虐待であり、音楽ハラスメントだ。同じ目にあったら社会人になってから会う機会があったら思いっきり殴ってやる。マジメにそう思う。子どもをナメるんではないぞと。
音楽は上手に演奏するのが目的ではない。技術至上主義はまちがい。人と人が共感し合う媒体なのです。演奏会の場で、一人の人間を疎外することは断じて許されない。許しがたい。許すべきではない。許さるべからざること。
 千歩譲って、だれかの声質が全体のハーモニーを壊すのだったら、そのようになったのは指導した教師の責任だ。個人指導で声質はいくらでも変えられる。だからその教師は無能そのものだ。それをせずに、無神経にかわいかったダイナー君を客席に座られるなんて。断じて許されない。ザケンじゃないよ。たっぷり反省させるに値する。「おれはあのときどれほど傷ついたか知っているのかよ。それでも音楽教師かよ」と。土下座とまで言わないが反省文、でなければ教師を辞めるという約束をさせるくらい怒る。
 こっちは小学校3年からオーデションを通ってNHKの合唱団で歌って以来、音楽とは切っても切れない人生を歩んできたんだ。音コンでピアノ伴奏も経験した。こんなバカ教師がいるから、日本の教師はバカにされる。もっともその<音楽教師>をそのように育てた日本の音楽教育そのものがひどいということ。負の連鎖だけれどね。ある意味では被害者であることはわかるけど。
 O市にいたとき、関西の有名なの団体で歌った。そのときは、「そんな絵に描いたようなヘタクソは歌わない!!」「君たちはこの歌詞の意味を知っているの!!」この二言に抗議して辞めてやった。どっちも自分の指導力のなさを恥じろということだろう。こっちは江戸っ子より気短いんだ。何が合唱団指導者だと!くそくらえと。下手くそなのは指揮者の責任。歌詞の解釈を合唱団が共有できるかどうかも指揮者の責任。自分のいい加減さを棚に上げて団員を罵倒することで責任逃れをするなっていうの。バっきゃやろうだ。こっちは何十年もピアノをやっているし、正統的な指揮法まで習ってきたんだ。
 最近は「あなたの合唱団の音楽作りのポリシーと具体的な戦略を教えて下さい」と尋ねている。残念ながら、この質問に合格した合唱団は札幌にもなし。だから現在無所属だ。
 以前K市にいたとき、町内で合唱団を作った。それで、ぼく流のやり方をいろいろ楽しんだ。指導が面白いと、癌と闘いながら、15キロの道のりをバイクで通ってくれる60才代の京都の大学出身の男性がいた。病魔と闘いながら[楽しみだから」と来てくれた。鳴海さん、一緒に音楽をしましょう。きっと好きになるよ。今からでも大丈夫!
[歌う」ということは「詩」をもとに「作曲」するという音楽家の創造行為を追体験すること。子どもにこそ、その追体験を味あわせたい。きっと全員音楽好きになると、ぼくは確信する。
 というわけでした。これはすべて事実です。

 

Re: 音楽ハラスメント ひと言言わせて下さい

な、ながい。しかしありがとうございます。
言われてみると、N先生はマニアックすぎて生徒の能力を引き出すという思考はあまり感じられませんでしたね。N先生、元気かなあ。今頃くしゃみしてるだろう。

クシャミなんかシないで早く棺入りだ!

ダイナー君

 なんとやさしいダイナー君。ぼくなんかはきついお仕置きで、早く棺に入りなさい!と言ってやる、ダ。なんだかこの手の話を聞くと、無性に「怒」だ。沖縄の「怒」だ。音楽って魂を癒すもの。人間を差別するなんてやつに音楽をやる資格ないっていうこと。あゝ教師の権威に腹が立つ。

Re: クシャミなんかシないで早く棺入りだ!

おさえて下さい。おさえて、落ち着いて!
心臓に悪い。血圧が上がります。
ゆっくり風呂にでも入って下さい。
高い入浴剤でも入れて……。

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