孤立の冬 

浅草
浅草

3月11日。追悼の意味でポスティングは控えよとのお達しがあった。本来の仕事があり雨も多かったので日程は厳しくなるがやむを得まい。おかげで、できる日は午前と午後のダブルで配布するハメになった。

元祖バイリンギャルの山口美江さんが亡くなったというので、マスコミ各社は「孤独死」と書きたてている。TBSの「サンデージャポン」では、昨年11月に孤独死を取りあげたドキュメンタリー番組に山口さんが出演し、孤独死について語っていたというのでそのシーンを流していた。山口さんは「独身だから孤独死がホントに怖い」と言い、スーパーに行かず近所の店を使うようにし3日来なかったら気づいてもらえるようにしている、などと話していた。皮肉なものだ。この冬、家族で亡くなるいわゆる「孤立死」も相次いで発見されたが、部署同士の情報交換も禁ずる個人情報保護法の縛りが問題だという。それならば改正を検討してはどうか。

12日の参院予算委員会で自民の世耕弘成が、政権交代後に厚労省が出した生活保護に関する通達を追及していた。「保護の決定は申請者の窮状に鑑みて可能な限り速やかに行う」とした厚労省通達が自治体にとっての金科玉条になり、年間予算が7千億円膨れあがったというのだ。これでは消費税率を引き上げても意味がないとの世耕の主張に、小宮山厚労相は「基準を甘くしたわけではない」と弁明していたが、支給されるべき人に支給されていれば問題はない。ところが昨年末に旭川で発見された姉妹の孤立死では、基準のはるか下であったが支給されなかった。申請主義の限界である。日本の役所は住民が飢えようが死のうが絶対に矩を越えようとしない。
   

関連記事
スポンサーサイト

コメント:

3.11

1年が立ったのに遅々と進まない復興も、無責任な官僚の自己保身が原因だということは周知の事実で、まさに申請主義そのものだ。自ら動くとそこには必ず責任が発生するわけで、責任を絶対に負わない彼らは「住民の事なぞ飢えようが死のうが」屁とも思わないのは全くその通りだ。政治とはそんなものか・・・

Re: 3.11

生活保護の申請問題は、20世紀末から同じことが悲劇を招いてきているのに改善されません。世耕が言うと心配なのは貧民より財源だと思えてしまいます。震災では無能な政治家たちもさることながら、真犯人の東電が威張りくさっているので自治体の協力が得られない。

本来は権利であるべき

「福祉」という言葉に、憐れみや情けをかけてやるかのような上から目線がついていますよね。
それに加えて生活保護に関しては、悪名高い北九州方式(申請すら受け付けない)や最近発覚した宇治市のように誓約書に署名させるなど、運用する側の基本的姿勢が先ず問題なのでは。
例えば不正受給にしたところで、仕事量に見合っているとは言い難い議員センセの歳費に比べれば…微々たる金額ではないでしょうか。
何やら社会的弱者が足を引っ張りあって、暮らし向き(社会福祉関係ばかりでなく最低賃金なども含め)をより下へ向かわせようとする力が働いているように感じられてなりません。

Re: 本来は権利であるべき

国民ももっと主張しなければならないのに、行政のお世話になるのは恥という意識が上手くつくられてきていますからね。かつての北九州がなぜ突出したかは不明ですが、国の「適正化」方針を受けて窓口に警官や刑務官などの出向者を配し、申請を食い止めることに腐心していたというのですから、あきれます。いまは立川がやり玉に上がっていますが、モグラ叩きに終わってもらいたくない。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

この記事のトラックバック URL
http://dynagom.blog.fc2.com/tb.php/132-c8ba7e4e