大波小波または編集者の不在 

深川資料館通り
白河

東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」で「屑屋お払い」氏が、嵐山光三郎の評伝小説『美妙 書斎は戦場なり』(中央公論新社)が旧著を書き直したものにしては誤りが多すぎると呆れている。雅号の縁山を綠山とし、当時の戯作者名も半分は誤り、引用やルビの誤りも随所にあるという。「いさぎよし」と読む「屑とせず」の「屑」に「せつ」とルビを振った例を挙げ、資料を集めても読めなければただの紙屑と断じる。

身につまされる話である。これが本当なら編集者も校閲者も機能していないということになる。天下の中央公論新社がそんな雑な仕事をするものだろうか。嵐山光三郎という人はよく知らないが、この調子では他の著書も怪しくなってくるではないか。本来ならまず校閲者が固有名詞や引用文など当たれるところは当たって調べ、素読みを掛けた上で、編集者がさらに調べて判断するのでこんな事態にはなりにくい。なにより問題意識を持った編集者がいなければまともな本はできないという事実の証拠ではないだろうか。むろん、この場合の編集者には校正・校閲者を含んでいる。
三省堂選書の『中小都市空襲』という本を古本屋で買った。著者は八王子空襲を記録する会運営委員の奥住喜重。日本の中小都市に対する空襲を主に米軍の「作戦任務報告書」に基づいて解析した、一般受けしそうにない本である。終わり近くBAKAという言葉が数カ所出てくるが、著者は「何だろう」で済ませている。BAKAは海軍特別攻撃機「桜花」の米軍側コードネーム(BAKA BOMBとも呼ばれた)に他ならない。ちょっとでも日本の戦記を繙けば簡単にわかる言葉であった。米軍資料をほとんど咀嚼せずに本にしたことの弊害が表れた部分だが、ここでも痛感させられるのは編集者の不在である。
   

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コメント:

仕事人の不在

仕事の現場-労働の現場での日本の沈下の実感は、仕事人の不在である。設計から末端の職人に至るまで、手間を省いて仕事の質を落とすことが平然と行われる。要するに仕事に責任を持たないということでありプロ意識の欠如と言ってもいい。
高度化する資本主義の中で「忌避すべき労働」の側面が強まるほど、なるべく少ない労働でできるだけ多くの収入を得たいという人間の群れが形成されるのは致し方の無いことなのだろうか。少子高齢化による日本沈下という問題より本質的な沈下であり、処方箋などありそうもない。ごくごく少数の職人気質の仕事人もいるのだが、大きな流れの中でかき消され、むしろそうした人ほど生き残りにくい世の中になってしまったのだから。

スペシャリストより・・・

ゼネラリストをというのが私の勤め先でも使用者側の考え方として示されました。いまではさらにコーディネーターをという発想でしょうか。特に現業の技能職、技術職について少数職種の統合などとして進行しました。
専門性の解体が社会の基本的な枠組みのところから進行しているんですね。

  • [2012/08/25 23:36]
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Re: 仕事人の不在

仕事人の不在――それは個人の意識の問題なのか社会意識の問題なのか。あまり追及すると自分に跳ね返ってきますので、いずれまた。

Re: スペシャリストより・・・

> ゼネラリストをというのが私の勤め先でも使用者側の考え方として示されました。

私の考える編集者は存在ではなく意識です。効率一辺倒の「専門性解体」は危ないけれど、それが制度の解体にとどまっているうちはまだいいともいえるのでは。この本の場合は、コスト優先で校正過程を端折った以上の何かがあったようで怖い。著者の反論を聞きたいものです。

編集者の不在

例えば政治の世界、今日の混乱はまさに編集者の不在そのものではないか。読者(国民)そっちのけで自分たちだけの都合で校正・校閲していればいずれは誰も相手にしなくなるのは目に見えている。

Re: 編集者の不在

優れた編集者(政治家)がいなくなって、スポンサー(財務省)のちょうちん記事ばかりになっては……。

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