人形の家 

港区海岸
港区海岸

河馬壱のNさんの厚意で、イプセンの『野がも』を俳優座で観ることができた。イプセンはまるで疎遠だったが、『ヘッダ・ガブラー』の演出を手がけるNさんに舞台で使う拳銃選びの手伝いをしたことから『ヘッダ・ガブラー』を観せてもらい、テレビでは勝村政信主演の『ちっちゃなエイヨルフ』(劇中継)も観たし、今度の『野がも』と合せ、イプセンとは結構な付き合いになる。『野がも』では写真屋を営む主人公の写真の修正(スポッティング)のアドバイスをした。なお、『ヘッダ・ガブラー』の時に買った拳銃が今回も使われていた。
イプセンは近代演劇の父と称され、全世界でシェークスピアに次いで上演回数の多い劇作家だそうだが、それにしては馴染みが薄いように思えるのはどういうわけか。イプセンの活動期は日本の幕末から明治にかけての転換期に重なり、その作品は鴎外・漱石をはじめ多くの文人に影響を与えた。特に歌舞伎の様式に安住していた日本の演劇界にとって、イプセンの近代演劇は衝撃だったらしい。歌舞伎には女優を使わないので、イプセンの上演にはまず女優の育成から始めなければならなかった。坪内逍遙の文芸協会が上演した『人形の家』でノーラ(ノラ)を演じた松井須磨子は、歌って踊れる女優の草分けとなった。目覚める女ノラは『青鞜』など当時の女性解放の主張と共鳴しているかに見えるが、平塚らいてうも与謝野晶子もノラに対して辛辣な意見を吐いているのが面白い。さて現代の東京では目覚めたノラは家を出ず、代わりに亭主が家を出て半放浪生活に入った。彼の姿は、足元の現実に目をつぶり遠大な夢想を語る、『野がも』の主人公ヤルマールそっくりに見える。

※駐日ノルウェー王国大使館発行『イプセン・ハンドブック』を参照しました。
    

関連記事
スポンサーサイト

コメント:

女系家族の時代

 現代のノラは家を出ず男が家を出る、それは人間本来の姿かもしれない。元来男は家庭と言う生活圏で重きを成したことなどなく半分風来坊の根無し草だったのだろう。柴又を動かぬさくらとフーテンの寅のように、あるいは「サザエさん」や「ののチャン」のように。親もまた(特に母親は)老後を娘と暮らすことをこそ求めている。言わば女系家族の時代と言ってよく、そのほうが社会における家庭のすわりもいいようだ。原始、女性が太陽であった時代に回帰しつつあるのかもしれない。
松井須磨子が歌って踊れるアイドルの草分けなら、「ゴンドラの唄」と並ぶ中山晋平得意の四七抜きの名作「カチューシャの唄」がアイドル歌謡第一号と言うことになるのでしょうか。それにしても日本の演劇はイプセンよりチェホフ、イプセンになじみが薄いのは大納言殿だけではなさそうだ。

まとまらない感想を‥

放浪の生活、私はあこがれるものの、性格的にとても実行は出来そうもありません。

さて、母子家庭という言葉はまだ生きていますが、母娘家庭という言葉がぴったりするような事例が私の身の回りに多いような気がします。離婚して男子は父親、女子は母親という選択なのでしょうか。理由はわからないのですが‥。男子と女子、基本的には同数生れますから、母子家庭で子供は男女半々と言う統計が当然なのですね。ということは一方で父子(男親と男の子)家庭という事例の割合が高まっているということでしょうか。しかし残念ながら私の身の回りにはそのような事例は見当たりません。私の周りの現象がただ偏っているだけなのかな。離婚して男親が女子を引き取るというのは、やはり難しいのかな。
そしてこの母娘家庭を見ていると、親離れではなく、子離れの困難な現象が取りざたされていますが、このような事例を散見します。
同時に母-娘、父-息子の関係が過剰なまでに濃密になってしまうのは、夫婦関係が破綻している家庭の特徴といってしまっていいのかな?乱暴すぎるいいかたかな?
一方で父-娘、母-息子の過剰なまでに濃密な関係はスポーツ選手によく見かけますよね。あの押し付けがまし過ぎるような親子関係の背後にある夫婦関係はどうなっているのかと、余計な詮索もしたくなってしまいます。

考えるとわけがわからなくなって頭の中が混乱してしまいます。

ただ男は家庭というところからは基本的に排除されるという風に感じます。家庭の基本的な絆を築いているのは母親なのでしょうか。そして母親は娘をやはり頼りにしますね。娘という立場では父親の介護より、母親の介護の方がやりやすいようです。

ちょいと気になってみたのですが、まとまらないコメントで失礼しました。

  • [2012/12/03 22:51]
  • URL |
  • メタボの白クマ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

Re: 女系家族の時代

それは穿ちすぎでしょう。私はただ、ある男が罪業の深さゆえ還暦をすぎてから家を出、荒野を彷徨わなければならないという1つの例を示しただけです。ヤルマールは娘の死をも都合よく自分の肥やしにしかねない俗物です。ある男氏も深く悔い改める心がなければ永遠に救われません。
須磨子の恋人島村抱月がトルストイの『復活』を悲恋物として脚色。その劇中歌「カチューシャの唄」が大ヒットしたんでしたね。抱月も須磨子も魚座で、奔放な恋愛が想起されます。いささか理屈っぽいイプセンは日本の風土になじみにくいかもしれませんね。

Re: まとまらない感想を‥

またずいぶん広げて下さった。「男は家庭というところからは基本的に排除される」、そういう力学はあるかもしれませんね。「その方が座りがいい」のでしょうか。それよりなにより、今後日本は独り住まいが増えて孤絶社会に入りそうです。それをしも社会と呼ぶならばですが……。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

この記事のトラックバック URL
http://dynagom.blog.fc2.com/tb.php/173-6bc1f0a7