我が「追憶の風景」 

川崎市麻生区


以前「関係の写真家とは」で取り上げた「いっちゃん」こと鈴木一郎氏が亡くなっていた。享年69。昨年1月のことで、今年の一周忌には親族・友人など14人が参列し、従兄が「一郎は少年の頃、学校に通うことも容易ではない不幸な時代を送った。好きなように生きたのだから、彼の人生は大いなる幸福の中にあったと思う」と挨拶したという(『置文21』17号)。
いっちゃんは造園会社を定年で辞めたあと、軽トラで焼き芋屋をしているのが目撃されていたが、他に配送などもやり無理を重ねたらしい。喜怒哀楽が激しく、付き合えばなんとなくうざったい「過剰」な人であった。ある時、吉井と名乗る知らない男から電話があり、難癖を付けるような詰るようなことを一方的に延々と言い続けるので閉口したが、それは彼が声色を使って掛けているのだと、彼を紹介してくれたM君から聞いてビックリしたことがある。三宅島の生闘学舎というコミューン運動から離脱した彼が、晩年は社労同の流れを引く『置文21』の同人になっていたのも意外だった。彼と撮り飲み歩いたつかの間の日々はもはや陽炎のように遠い。「関係の写真家」の名はどうやら私が引き継いでいかざるを得ないようだ。

なお、「追憶の風景」とは同年代の福島泰樹が東京新聞に毎週土曜日書いているコラムで、今は亡き友人や先輩後輩との交誼を熱く綴っている。私のブログも亡くなった人の回想が多くなるのは必然か。
    
   

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コメント:

うんむんむ、すごい人がいるのですな

なんともコメントが難しいのですが、写真の歌の文句が気に入りました。そうですな、一歩しりぞかにゃあ、あかんのです。しかし、退きすぎてもなめられるし、ここいらは本当に長生きしたい人は苦悩するところですな。

前回の写真家の話に投稿したかったのですが、私は写真家にも疎くて。

インディアンの話も、アイヌの話も、そして今でもいろんなところで起こってますが、蹴散らされて、散り散りになる先住民の悲哀はつらいものがあります。蹴散らすばかりで、何も感じない人たちが、いつの世でも存在しているということですな。

Re: うんむんむ、すごい人がいるのですな

この写真は毎年亡くなった弟のアパートへ行く時に目にする看板です。土建屋みたいな会社の前に立っているんですが、これが歌かどうかは……? 私は格言と受け取っていました。いつかゆとりが出来たらうんぬんというくだりなど本当に身につまされます。一度誰かに見てもらいたかった写真です。素早いレスポンスありがとうございました。

ボケたらあかん…

ずいぶん昔、どこかのお寺で見たような…。
確か、松下幸之助が世に広めたのではなかったでしょうか。

Re: ボケたらあかん…

なーんだ。社長のオリジナルではなかったんですね。でも結構説得力がありそうな……。

松下幸之助作ですか・・

途端につまらないものに見えてきました。残念だな。
中一の頃PHPを読んでチョット注目したけど、江戸時代の心学の受け売りで「オリジナル」ではないと聞き、止めました。
その批判が当たっているかどうかは検証してません。

  • [2013/04/15 00:46]
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Re: 違うかも

杉良太郎の「ぼけたらあかん長生きしなはれ」は、ほとんどこれと同じながら作詞・天牛将富となってます。天牛将富は天牛書店の創設者・天牛新一郎と混同されがちだが別人で、市井の詩人だそうです。幸之助作というより天牛さんの作といった方が夢がありますね。幸之助が広めた、というのが真実かもしれません。

うーむ、この詩は、読み直してみると…

本当に、こう生きられるのか、もう一度読み直してみました。これはかなり、無理しないと。逆にストレスためそうですな。なかなかここまではなれしまへん。我慢しすぎると、突然変なところで爆発します。ですから小出しにしていかないと、やはり私には難しいですな。こんな年寄り、どこにもおらんで、といいそうです。
 しかし、寝る前に読み直したりするのはいいかも。たとえ、このとおりには生きられなくても。ぬふんぬぬ。わけえ奴らに負けたくねえが…ぬふんぬぬ。白くまのたくましい太ももとふくらはぎに、がぶがぶって、突然、喰らいついてやりたくなった。

Re: 通りがかり人さんの前世は

オオカミ? ま、こういうのはたまに読み返すくらいがいいので、生身の人間はなかなかこうは生きられません。我と我が現実との落差がある分、効くという仕掛けでしょう。

遠き時代の思い出

鈴木さんと知り合ったのは生闘学舎が日本建築学会賞を受けた記念の集会にM氏に誘われて行った時が最初だった。そこで語られた生闘学舎グループの思想には全く共感なく、こんな集会に参加したがるM氏の感性を疑った。ただこの集会でセルフビルドという考え方と「群居」という建築雑誌に拠るグループを知ったことは収穫だったのだろう。
そして、鈴木さんだけは気軽な飲み仲間として新小岩辺を飲み歩いたが、酔ってグループの思想を批判して気まずくなることも何度かあった。彼が写真をやっていたというのは全く知らなかった。私が彼と付き合っていた日々と大納言殿が彼と付き合っていた日々は全く重ならないから、その後ということでしょうか。
生闘学舎は本格的なセルフビルドとしては嚆矢で、その後こうした試みは広がりを見せ、ご存じDIYというセルフビルド応援商売も成立した。
友人とスポーツハウジングなどと言いながらセルフビルドで遊び小屋を建てる道楽もやったが、その友人も今は鬼籍だ。あの時代ははるかに遠い、という実感は強い。
鈴木さんと鬼籍の我が友人に合掌です。
 

Re: 遠き時代の思い出

生闘学舎が受賞したのは80年、写団かげろうが発足したのが86年ですから、5年くらいの差があるかもしれませんね。毛沢東主義の焼き直しみたいなコミューンがどうなったか知りませんが、建物だけは残ったらしい。今は亡きO氏の別荘も後藤氏のいうその「セルフビルド」という思想に繋がっていたとは……。

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