傍若無人 

野辺地


写真の引伸しはとりあえず終りにした。
というのも、暗室作業のせいか猛烈な老眼になってしまったからだ。ピントの確認に使うルーペが目に過重な負担を強いたのだと思う。ピントは露光のたびに見直さないと、光源の熱ですぐズレてしまう。たかが六切とはいえ疎かにはできない。これ以上続けるのは大事な目の為に良くないので、あとはスキャナーとパソコンのデジタルで作業することにした。やってみるとモノクロでもデジタルは格段に楽だしトーンもうまく出る。ただしプレビュー時の音はうるさい。では引伸機に灯を点し処理薬を溶いての暗室作業は、単なる自己満足だったのだろうか? 写真をやっているという手応えはもちろん印画紙の方だ。

30日は東京駅そばで仕事だったが、予想に反し5時過ぎに終わってしまった。この現場に限り出来高払いなので、早く終わるとリターンが少なくてガッカリする。30日はやはり山羊座の厄日か。仕事していると、前の空いている席に男女が座り、打ち合わせを始めた。見知らぬ女性が関西弁でしゃべる。内容は分らないが、関西弁というだけで身体が強張ってしまう。私たちの担当者の女性も同僚にはコテコテの関西弁を使っているようだ。小顔の美人だがあの関西弁だけは食えない。東北人の被害妄想かもしれないが、関西弁(関西人ではない)のKYな傍若無人さがどうにも我慢できないのである。関西弁と標準語の関係は、ちょっと軸は違うが津軽弁と南部弁のそれに似ていないでもない。津軽弁の冗談か本気か分らない話し方は、真面目な南部人の心理を翻弄する。それかあらぬか津軽人の就職先は警察が多く、南部人の警官もわざと威圧的ではったりの利く津軽弁を使うのだという。太宰・寺山と三浦哲郎の文学を比べてみれば、なんとなく分っていただけるかもしれない。

写真はかつて存在した日本燃料野辺地工場のなれの果て。機関車用練炭を製造していた。
     

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コメント:

なんとかコメントしたいのだが、いい回答が

私自身は、いつの頃からか北関東から、東北への旅を夢見ていたが、家庭の都合やらで、それが出来ずにいます。福島に一月近く学生村に滞在して、東北の奥深さを感じたが、それも45年も前のこと。宮城には一度、些細な用で行ったが、それも一泊。本当に何も知らずに、この年齢になっている。今住んでいる横浜も行ったことも無いところが多数ある。東京の大学にも行っていたが、友人の下宿を泊まり歩いていただけで、今はほとんどまるでわかっていない。
 大納言氏のブログを読むうち、南部と、津軽の溝のようなものを知らされた。それは江戸時代、いや、実はもっと昔から、子孫へ、さらに子孫へと、決して途絶えることも無く引き継がれて来た流れなのだろう。
 今回の大納言氏の提起(?)されている事は、深い問題だ。私にも何人か関西出身の友人で、関西弁使用者はいる。酒での激しいやり取りは何度かしたが、こちらも知らず関西弁になっていて、君はどこの人や、といわれて、溝がひとつうまった事もあった。関西弁はたしかに強烈だ。しかしすばる12の埋み火のように関西弁では成り立たぬ小説もある。
 いろいろな人と、知り合うことは時に怖いしリスクだが、喜びである。
 出身地による言葉の響きのうっとうしさをほとんど知らずにこの年齢に至ったのは、自分の生きてきたエリアの狭さや、環境にもよるが、この後、ほかの人からのコメントなども聞いてみたい。またコメントさせてもらいます。

Re: なんとかコメントしたいのだが、いい回答が

関西人がいうには、非ネイティブが真似る関西弁は虫酸が走るほどイヤだそうです。

猛烈な老眼と書きましたが、本当は左目の視界が歪む症状です。今日眼科へ行き眼底の写真を撮ったけど異常なし。暗室で無理してと話しても先生は完全に無視しました。病変がないのに起きる方がおかしいと言わんばかり。じゃ病気かな?

すると、私は虫唾虫ということなりますかな

今は付き合いがなくなりましたが、その互いに泊まり歩いていた友人とは、バンドを組んでいて、互いに出す音についてのぶつかり合いでした。いい音が出せたときは酒もうまく、虫酸虫は現れませんでした。互いにいい状態であれば、虫酸虫は出てこないと思います。どこの出自でも、関係ないと、思います。

 眼はかなめです。暗室作業は氏の文面からしか推察できませんが、きつすぎる印象であります。私は氏の作品であれば、暗室だろうが、pcであろうが、感銘は同じだろうと、思います。自分と十分妥協が可能なら、楽を選択すべきです。眼中に、虫酸虫が、往来せぬこと、願っております。

Re: すると、私は虫唾虫ということなりますかな

いえいえ、友人間でそんなことはないでしょう。それより、通りがかり人さんはバンドマンなんですか?

ありがとうございます。お言葉に甘えて写真は楽ちんな道を選びます。

愛されるのは無理かな

いつころまで稼働していたんでしょうか。まだ残っているのですか?
石炭産業の遺構は何か力を感じます。活気、頽廃、郷愁、汗、暴威、明解・・・・。富岡の製糸工場などの遺構とは違った感傷ですね。

  • [2013/08/04 00:27]
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Re: 愛されるのは無理でしょうね

> いつころまで稼働していたんでしょうか。まだ残っているのですか?

1955年操業開始ですが、終りはハッキリしません。この写真は93年。製品を搬出する臨港線もとっくに撤去されていましたから、何を作っていたのか。日本燃料は2006年に倒産したようです。

愛されるのは無理だと知りながら

愛されたいのですな。ううむ、暗号的かつ懐疑的表現ですな。

写真の工場、再稼動しないですかね。いいですな、臨港線を、も一度引き込めませんか? 懐かしいですな。「石炭産業の遺構は何か力を感じます。」そのとおりです。郷愁です。これなら、愛されるのは無理ではありません。こういう工場のまかないの昼飯はうまいんだよな。腹も空くだろうし。

暗室作業

酢酸の強烈な臭いと赤い電灯が醸し出す暗室作業はカメラをとおして自己主張を完成させる最終段階である。決して自己満足なんかではないのだ。処理液につけた印画紙から少しずつ画像が浮かんでくるときの快感はデジカメプリントでは味わう事は出来ない。眼が回復したらまた続けてほしいね。

Re: 愛されるのは無理だと知りながら

暗号的かつ懐疑的表現もいけますね。

練炭を止めたあと石油販売などしていたようでしたね。今は大半がまだ空き地の状態みたいです。まさに廃屋の町・野辺地です。

Re: 暗室作業

クリック1つで画像が出てくるデジタルは味気ない。月に1回は暗室に篭りたいものです。しかし、目の不調は長引きそう。

言葉と人格のあくの強さ

学生の頃、学友の中に大阪出身の者もいた。全国から集まる学生が地元言葉に染まっていく中で、この連中の関西弁だけは地元に染まることなく、むしろ周囲を関西弁化する勢いであることを驚きをもって眺めていた。郷に入っては郷に従え、どころではない、地元に対する配慮も何もない、傍若無人な関西弁。よほどあくの強い言葉なのだろう、というのが感慨であった。
 その後、大阪に住むことになった東北出身の友人の賀状に「大阪人は我々東北人とは違う人種のようです」という一文、さもありなん、大阪弁のあくの強さとは、むしろ、大阪人のあくの強さの反映ではないかと思い始めていた我が意に援軍を得た気持ち。言葉はそれを使う人間の生活感や人間性の結果と見る方がいいのか。
一方で、滑らかで労力少なく(なるべく短くということか)伝達できるものへと進化し続ける言葉の一つの進化形態が関西弁だという説もあり、判断は難しいところ。
 関西弁への分析には、対極にあるらしい東北人を以てするのが適切なような気がするが、大納言殿のように身構えると、冷静な分析にはやや不向きでしょうか。
 大納言殿に対するコメントは書き易い時と書きにくい時の差が激しい。今回は久しぶりということもあり、書き易い時。主題が散漫になってReが書きにくいという批判もあるので、主題別に3つ続けましょうか。 

東京から見た南部・津軽

 東京人から見ると、大納言殿の提起する南部と津軽の比較はどうにもピンと来ない。地元民でないとわからない微妙な感情というものがあるのでしょうか。
 津軽も南部も旅行する機会があったが、一番感じた違いは女性のきれいさ。津軽は、京都から流れ出た美人の系譜が、金沢-越後-庄内-秋田と移った終着駅なのだろうか。一方の南部は美人地帯など一つもない表日本の北限地。不利は否めない。が、この裏日本美人系譜説自体がどうだか。小野小町の出羽出身説など怪しい限り。あのころの出羽などまだエゾの地だったのではないか。
 されど、津軽を舞台にした歌謡曲がずいぶん多いのに南部を舞台にした歌が極端に少ない(八戸ブルースなどという曲があるのだろうか)ことが美人の多寡を語っているかもしれない。
 文化的豊饒さで言えば、津軽には太宰や寺山修司がいるが、南部にも啄木や宮沢賢治がいて互角というところ。
 津軽弁が権威的な言葉として響くというのは本当に意外で、確かに怒ったようなしゃべりに聞こえることがあるが全体として朴訥としたいい響きの言葉だと思っていました。南部弁も津軽弁も言葉の少数派としての悲哀をなめている点で同じという理解もありましたし。
ふるさとの なまりなくせし友といて モカコーヒーは 斯くまでにがし(寺山修司)
啄木の本歌取りでしょうが、東京中央語やあく強き関西弁に囲まれた孤立感の表現としては卓抜です。

Re: 言葉と人格のあくの強さ

別に私は関西弁を「分析」しようなどと思ってませんよ。
感じ方をいっているだけ。

Re: 東京から見た南部・津軽

>津軽弁が権威的な言葉として響くというのは本当に意外で、確かに怒ったようなしゃべりに聞こえることがあるが全体として朴訥としたいい響きの言葉だと思っていました。南部弁も津軽弁も言葉の少数派としての悲哀をなめている点で同じという理解もありましたし。

南部弁は少数派どころか平泉から下北半島の北端まで含めれば広大なサービスエリアを持ちますが、自己主張は苦手な部類でしょう。なお、啄木や賢治は南部弁文学としては扱われていないような気がします。南部弁文学として太宰・寺山に相対するのはあくまで青森県内の南部人作家です。啄木・賢治を南部弁の側面から論じてみるのは面白いとは思いますが……。

警察官の量産県

 以前の職場に、奄美大島出身の後輩がいた。彼からよく聞かされた話が「奄美では警官と教師はすべて鹿児島(薩摩)から来る」というもの。今回の大納言殿の文章を読んでまず思い出したのはこの件。
 彼の所属意識が完全に沖縄にあり、鹿児島に対しては全くないというのも意外だった。が、後から考えるとこれは小生の無知。戦前は奄美大島まで含めて沖縄県だった。そして彼の怨念とも言うべき反発は本土全体に対しては向かわず、ひたすら薩摩に向いた。
 鹿児島弁は確かに押しの強い言葉で、警官向きという感じはするが、それ以上に、奄美にとっての薩摩は征服者であり、その支配の機関として警官と教師があったとすればその反発は納得できるところ。それにしても、大人を管理するのが警察、子供を管理するのが学校、ということなのだろうか。
 一地方における警察組織の独占のような状態は反発を生むのだろうが、津軽-南部と奄美-薩摩では違うでしょうか。鹿児島県は警察官になる人の割合が破格に多いとも言われる。県人体質でしょうか。
 

Re: 警察官の量産県

青森では津軽人が警官、南部人が教員になることが多いとも聞きました。
薩摩人の特異な性格は分析不能ですが、戊辰戦争では薩摩から細君を娶っていた津軽藩が土壇場で同盟を離脱し、南部は窮地に陥ることになります。
あの戦争では気の荒い薩摩人が斬り込み要員、関西人は部隊マネジメント、東北人は炊事などの下働きと決まっていたそうです。山口にいるM君から聞いた話。

格調高い論争です。迂闊にものが言えなくなる。

南部、津軽については、そして薩摩については明治がいまだ尾を引いていること認識させられる。ひとつの藩から多数の子爵、伯爵が生まれて日清日露へと突き進むのだろう。鹿島灘の天狗党もそうだったが、うーむ、歴史は人間が創っているのですな。重いですな。

Re: どうでしょう

後藤氏のコメントは、コメントというより私の文章を換骨奪胎して自分の意見を押し込んでいるようで、いつも対応に苦慮してます。しかも日付が変わる頃にUPされるので、返信してからと思うと自分の時間をスポイルしかねません。コメントの意味をよく理解してもらいたいものです。

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