修学旅行 

奥羽本線


ちょっと前の話になるが、鳴海氏が夫婦で伊勢・京都を旅行し、ついでに高校時代に修学旅行で泊まった京都の旅館を訪ねたそうだ。私はすっかり忘れていたが、宿賃代わりに米を持参したのだという。娘のような歳の若女将には、そういう話は聞いた覚えがあるが記録は残っていないと言われたとか。
思えば昭和35、6年、我々の修学旅行は青森から東京、大阪、京都・奈良、さらに四国に渡り、栗林公園、小豆島に至る強行軍だった。鈍行列車の車中泊も多く、旅行の嫌いな私は身体が痛くてたまらなかった。おまけに京都の旅館では、同級生にわけのわからないプチイジメを受け頭に来た。舟木一夫の歌う「修学旅行」のような心弾む想い出はほとんどない。ただ鉄道が好きだったのでいろんな列車に乗れたのは収穫には違いない。青森が黒い蒸気機関車だった当時、裏日本を行く列車がディーゼル機関車に牽かれていたのには感激した。小豆島では「オリーブの歌」というご当地ソングを覚えた。二葉あき子が歌う名曲でYouTubeにもアップされている。小豆島だったか、船を待っている間に休憩した船宿の二階のうら寂しい景色が妙に記憶に残っている。
    

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コメント:

修学旅行の思い出

中学・高校ともに京都&奈良という、見映えも代わり映えもしないものでした。
他所の中学では夕食にすき焼きが出たそうですが、我が母校はそのようなこともなく…。
高校の修学旅行で、「またすき焼きだよ~」と言う同級生の声を不思議に思ったものでした。
実は、それまですき焼きを食したことがなく、もしかしたら御一新の後に初めて牛鍋屋に足を踏み入れた日本人の気分に近かったかもしれません(笑)。
手慣れた同級生が、「割り下がない」とボヤきながら薬缶のお茶を割り下の代わりにしたことを懐かしく思い出します。

割り下とは

ううむ、割り下とはすき焼きの汁のことか?
山姥さんの修学旅行は、私よりも一回りも後の時代だから、これまた大納言氏のとはずいぶん違う。

私の高校のときはすでに三段ベッドになっていた。九州であった。あれっ、前にも修学旅行の話、したような気がする。

 大納言氏の旅行はほろ苦い思い出である。
奥羽本線は良いなあ。人の指らしきものが見えたり、人の頭らしきものも見えている。煙がないからジーゼルか? 移りゆくかな田園風景。田んぼに水が張っている。ううむ、心の旅に出るしかない。心の旅を続けるしかない。

Re: 修学旅行の思い出

我々の時には幸か不幸かすき焼きなどは出ませんでした。すき焼きだったら家でも食べないので往生したでしょうね。割り下というのは初めて聞きました。

Re: 割り下とは

おっしゃる通りDF50、日本最初の幹線用ディーゼル機関車です。Wikiには比較的新しい塗色のしか載っていませんが、これはチョコレート色に塗られた古いタイプ。トルコン技術未成熟のため、電気式駆動になっています。
しかし、写真を見ると真ん中辺で誰かがスーツケースを投げ落とそうとしているように見えますが、何でしょうね。心の旅は明日も続く……。

初めてのカメラ

 高校の修学旅行の時初めてカメラを持った。フジカ・・・とかいう1900円のカメラだったか。物価の違いを考えればそんなに安いカメラでもないはずだが、シャッターを1、2と押す悠長なカメラ。シャッターチャンスもずいぶん逃がしたろう。
 カメラ持参の目的はもちろん景色撮影に非ず。舟木一夫の唄でも「僕のカメラで写した君を忘れないだろ、いついつまでも」とあるとおり、目当ての女の子を撮る下心。そんなシーンがあったような気はするが、写真もなく、記憶も定かでないとなれば霧の中。その人の顔だけはよく覚えているが、今会ってわかるかどうか。
 変貌も激しかろう。すべてはセピア色の思いでの中だ。
 大納言殿は、舟木一夫の高校三年生を、高校三年の時に聞いた世代でしょうか。

Re: 初めてのカメラ

調べてみると「高校三年生」も「修学旅行」も昭和38年の発売。つまり私が卒業してから出た歌なんですね。これは意外でした。

フジカではなくフジペットではないでしょうか。1950円で売り出された初心者向き入門機とあります。ブロニーフィルムを使う6×6判でレンズは70㎜(75㎜の説もあり)・F11の固定焦点カメラですね。後に露出計付きのも売り出されました。名機の1つです。

割り下

お好み焼きや鰻と同じ様に、すき焼きも地域によって作り方が違います。
関東(東京)風は割り下(主たる材料は、出汁・醤油・みりん・砂糖・日本酒)を用いて焼き煮するのがスタンダードだったようです。
ただ私の場合は、所帯をもった相手が福岡出身でしたから、割り下を用いない関西風ばかり食卓に供していましたが…。

1980年前後の都立高校の修学旅行は、集合から解散までが96時間以内であれば場所についての規定はなかったはずで、東北か九州が割に多かったような気がしますね。

修学旅行

確か9泊10日の行程だったと思う。こんなに長い日程は後にも先にもこの時だけだと聞いた。行程がどうなのか試験的にやったとも聞いた。しかし、そんなことはどうでもよく至福の10日間だった。臨時列車で、のんびり旅、車中では好きな女の子の傍にベッタリすわっていられた時間の長さは極楽だったね。「食糧の米持参」の旅行なんて俺たちが最後じゃなかったかな?

Re: 割り下

家はみんな肉が好きじゃなかったのかお金がなかったのか、すき焼きなど食べた記憶がありませんね。当時の感覚では贅沢品に入るのでは。なにしろ、ミルクの代わりに重湯で生き延びたクチですから……。

Re: 修学旅行

誰も米持参のことを問題にしませんが、江戸時代のような制度が生きていたとは……。××高校、米1俵持参しましたーっ!なんてね。若い人には想像も出来ますまい。

10日間も好きな女子のそばにべったり……そんな極楽みたいな体験が出来たんですか? どうも貴兄とは別の部隊にいたみたいですね。こちとら故郷を離れ米を背負って荒野を行軍させられ、京都ではイジメに遭うし散々でしたよ。あの頃から勝ち組と負け組に別れていたんですね。

米の持参

父の修学旅行の時は、米を持参したと聞いた記憶があります。
彼は昭和7年生まれですから、修学旅行は敗戦から数年後。
その30年後の私達は毎月の積立金を利用し、米は持参ていません(笑)。
戦後の食糧難(米不足)の頃は喜ばれた米持参も、減反政策が始まると逆に迷惑がられたのでしょう(一切を旅行会社が取り仕切りますから、現金が当たり前になりますよね)。
そう言えば…。
修学旅行からは外れますが、昭和四十年代頃までは、湯治場に長期滞在する時も米を持参していたそうですよ。

Re: 米の持参

昭和20年代なら頷けますが、さらに10年も経っていたのにね。米農家も農協も強かったわけだ。

Re: Re: 初めてのカメラ

シャッターを1、2と押すという個所ですが、シャッターが1枚羽根なのでチャージが必要だったらしい。拳銃で言えばシングルアクションというところですかな。

カメラと修学旅行

私は中高一貫でしたので、修学旅行は高校二年のときにまとめていきました。既にお米は持参しませんでした。積み立てが5年分ということで、9泊10日の北海道一周。3段ベッドの寝台で東北本線・青函連絡船・函館本線と確か2泊でまず札幌に。
そのとき初めてカメラを叔父が貸してくれました。オリンパスペンでハーフ。72枚撮りで三本ほど。しかしどれも平凡でつまらない写真に見えて、適当にノートに貼り付けて仕舞いこんでしまいました。自分にカメラは向いていないと悟った瞬間でした。
修学旅行は列車ばかり乗り継いで退屈の極み。ボックスシート二つに2組でセブンブリッジをひたすらやり続けたことだけを覚えています。男子校でしたので色気も何もなし。
湯治場での米持参は、今の乳頭温泉の辺りで見かけたような気がします。確か学生時代に秋田駒ケ岳の噴火を見に出かけたとき通ったところで、自炊しているのを目撃したように記憶しています。1970年だったと思います。

  • [2013/08/20 23:44]
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  • メタボの白クマ
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Re: カメラと修学旅行

では我々のスケジュールが特別苛酷というわけではないんですね。中高2回分のものだとしても……。米持参は湯治では一般的なものだったようですね。

名機オリンパスペンはたくさんの型が出されましたが、どのタイプでしょう。ハーフサイズは後にコニカレコーダーや京セラのサムライでリバイバルしました。ペンは普通に構えると縦長の写真となり、横で撮るためにはカメラを縦にしなければなりませんでした。しかし、修学旅行のスナップには最適で、叔父さんの判断がベストです。ブリッジばっかりやっていないで、窓の外にも目を向けてほしかった。写真も今出してみると新鮮に思えるかもしれませんよ。

旅に女性はつきものです

白くま氏は真面目すぎましたな。地元の女子高生をつかまえては、わずかな時間、お話しするのです。これは世界が広いこと、あらためて教えてくれるのですな。もちろん、自校の女性たちも、それはそれで素敵な人もいましたが、われわれ男子クラスはもっぱら方言で話す九州の女性が新鮮で写真に入ってもらったりしておりましたな。ぬふんむむ、戻らないあの日々ですな。

Re: 旅に女性はつきものです

なるほど、ポジティブシンキングですな。
私など同級生とも上手く話せないほどシャイでしたから、旅先の女子高生と話すなどとんでもないって感じ。函館へ行った中学の時、地元のお爺さんと親しくなりましたが……。

地元の女子高生となんて・・

話をしようという発想がなかったなぁ。
あっという間に10日が過ぎ去った感じですね。
オリンパスペンとしか記憶になくてm(_ _)m
まだカラーは主流ではなく高く、モノクロでしたね。初めてベタ焼きというのだったかな?近くの写真屋さんで現像してもらいました。

  • [2013/08/21 11:48]
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  • メタボの白クマ
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