続・母を送る日 

荘厳のように(小名木川)


遺影の選択で弟と一悶着あった。衰えていく母と一緒だった弟には、元気だった頃の母の姿が見えなくなったらしい。彼がこれがいいといって出してきたのは、ベッドに横たわったアングルからして使い物にならない写真だった。それを言うと、何でも自分の勝手に決めようとするみたいに怒って話にならない。若い頃の写真を使う必要はないが、施設に入る前の元気だった時の写真が欲しい。弟の出した写真を長老のTさんに見せると当然だがあっさり却下。引き出しを探すと、10年くらい前の写真が見つかった。Tさんもそれがいいと言う。私が家の玄関前で撮ったもので、エプロン姿の母が微笑んでいる。それを背景の植栽を生かして使ってもらうことにする。
5日に役場で死亡届を出し、6日は納棺。午後3時に「送り人」が来て装束を整え棺におさめる。7日は午前中火葬。火葬場は隣町に近い町外れにあり、右折地点の標識が分かりにくい。案の定、遅れて出た弟の車が曲がり損ねて隣町まで行ってしまった。止むを得ず弟抜きで火を入れてもらう。夜は通夜で、本堂ではなく新しくできた会館で行う。数十人の方々が来てくれた。法要は確か『無量寿経』の小冊子を配っての全員の唱和が主体を占める。こういうことは他の宗派でも行われているのだろうか。父の時は通夜の挨拶をひな形通りに読んだので味気なく、悔いが残った。今回は一晩練った自分なりの思いを語らせてもらった。野辺地では通夜の後の振舞はないが、会館ができたので最小限の茶菓を出すことができるようになった。ともあれ、7日という魚座の母の吉日に送ることができたのは本当によかった。父の時は私のせいでないとはいえ最悪の日に重なってしまい、今でも後悔している。
    

関連記事
スポンサーサイト

コメント:

そうですな

弟さんは、母上のお世話で、近くにいられたから、かえって母上の人生、歴史についての全体像が、見えなくなっていたのでしょう。通夜や、葬儀は、あとあとまで、ああしとけば、こうしとけばと、なるものでしょう。私も母と、父の葬式のやり方で、がたがたしました。まもなく13回忌ですが、またがたがたしそう。執拗で、傲慢で、計算高い母です。骨壷のランクや、花輪の数、香典の金額、そんなことばかりに采配振るってる。今度は塔婆で、客への弁当で、あれこれ言うだろう。あああである。

Re: そうですな

>計算高い母です。骨壷のランクや、花輪の数、香典の金額、そんなことばかりに采配振るってる。
>今度は塔婆で、客への弁当で、あれこれ言うだろう。あああである。

私もそういうのは大の苦手で、父の死後は(母は認知症なので置いておくとして)、長老たちのリアリズムと弟の暴論の間できわどいバランスを取ってきたつもりです。今回は祭壇を最低の金額にしましたが、それでもすごく立派でこれ以上の高級品にする人の気が知れません。最低の祭壇でも、数十万の赤字……トホホでございます。

遺影

人生の締めくくりとなる自分の遺影を、生前に撮影しようとする人が増えている。「人生最後の晴れ姿は自分が納得のいくものを飾ってほしい」。私も古稀を迎えた記念に近々準備しようと思っている。肖像画として毎年更新し、万一のときに直近を使ってもらう。元気なうちにと秘かに思っている。納棺時の顔は心に残っても、いつも見る仏前の元気なときの額装写真には元気を貰えると思っているから・・・。

Re: 遺影

「これが最新の遺影です」ってことですか。私の場合は遺影を飾ってくれる人が誰もいない可能性がありますのでね。寂しいものです。弟が母の遺影に2万円も取られたと言って憤ってましたが、ああいう事態ではなかなか最後を予測して対処することは難しい。自分で遺影を作っておくことは賢明でしょう。

父の時は年老いた頃の画質の悪いプリントから作ったので最悪でした。ダンディーだった父はさぞ憤慨していたでしょう。後で作り直しましたが、時既に遅し……。

私の父も遺影にするんだと‥

その希望のとおりに使いました。
それまで曹洞宗が家の伝来のしきたりといっていたのが、亡くなる二ヶ月ほど前に突如「神式でやれ」といいだしました。あわてて手配をしたのですが、祭壇一式10万を大きく下回り極めて安価でした。戒名・位牌に相当するものもあわせて1万円。仏式との差を思い浮かべて唖然としました。いかに仏式が高いか‥。私は宗教色を排して、私の前でみんなで飲んで騒いでいただければ幸せです。

  • [2013/10/15 20:44]
  • URL |
  • メタボの白クマ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

Re: 私の父も遺影にするんだと‥

神式はそんなに安いんですか? 仏教は無用の飾りを纏いすぎましたね。葬式仏教もそろそろ変わってもらわないと……。

棺桶から白くまがむっくと出てくる

ということになりかねない。それとも、猫ちゃんが出てくるか、大熊猫か、いずれにしても棺桶の蓋をぶち割って、出てきそうですな。

Re: 棺桶から白くまがむっくと出てくる

懇ろに弔う必要ありということでしょうかな。
ところで、白クマさんのコメント「私の父も遺影にするんだと‥ その希望のとおりに使いました」、この間に何か文章が抜けているような気がしますが、どうでしょう。

確かに抜けていました

「死の前々年に写真を撮っていました」が抜けていますね。失礼しました。

宴会が盛り上がったところで、オレにも一杯、と出て行きたいです。いけないでしょうか?

  • [2013/10/17 00:26]
  • URL |
  • メタボの白クマ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

Re: 確かに抜けていました

この期に及んでまだ飲むつもりですか!

かりんとうを肴に。大熊猫も、白くまも、猫も、かりんとうは大好物です……?

遺影その2

東日本大震災で生き残った方々は最初に肉親の写真を真っ先に探したそうです。心の中に「絆」は残っても人間だれしも記憶は薄れていきます。薄汚れたたった一枚の写真でも肉親にとってそれは生涯の宝物だそうです。私も元気な内に知人、友人、肉親、親族(赤の他人はどうかだが・・・)にバラまいておこうと思っている。万一の時に誰かが偲んでくれるかもね(なんだか暗い話しになってしまったね)

Re: タイトルなし

Fsさんのブログを見ていないとわかりませんね┓( ̄∇ ̄;)┏

Re: 遺影その2

自分の写真をばらまくのはまだ早い。ばらまかれた方も何事かと思うでしょう。しかし、人を偲ぶよすがとして、写真の役割が大きいのはよくわかります。恋人の写真を定期入れに入れる、いや、今はスマホにですか……のが典型です。裏返せば、人間の記憶ほど不確かなものはないことの証でもありますが……。

タイトル抜かしてすいません

鳴海さんにはお会いしておりませんが、このブログでのコメントに、親しみは感じております。遺影の大切さはわかりますが、友人の大納言氏の言うとおり、まずはしっかり生きてもらいたいと、私からもお願いいたします。がんばれ、鳴海氏、そして大納言氏。

人間の記憶は確かにあまりに曖昧

肉親の顔もいつも見ているから余計なのかもしれませんが、細部は意外と覚えていない。ふと目の前から消えてしまうと途端に曖昧になりますね。死人によく似た人を雑踏の中で見かける、といいますが細部を忘れているからこその現象と私は受け取っています。
ですから写真というものに周囲の方がこだわるのがよくわかるような気がします。年賀状に自分の写真を入れる根拠もそういうことなのかもしれませんね。
しかし私は娘や妻の写真を持っていないです。こんど名刺に自分の写真でも貼り付けようかな。
パンダや猫と間違われないように‥。

  • [2013/10/17 21:54]
  • URL |
  • メタボの白クマ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

Re: 人間の記憶は確かにあまりに曖昧

> パンダや猫と間違われないように‥。

自分の顔を忘れないように……ね。人間の記憶は曖昧ですから。

江戸時代まで遺影を飾る習慣はなかったわけで、亡き人を忘れないように必死で念じるしかなかったことでしょう。今は忘れても写真を見ればすぐ分りますが、記憶の永続性を保証するその写真が失われた時の絶望感は大きいはずです。実は従妹の家の仏壇には遺影がなく、叔父叔母の顔を忘れはしないものの、拝むターゲットがないのは調子が狂ってしまいます。宗派の違いでしょうか。

母の残影

久しぶりで、なおかつ遅い投稿となります。
ご母堂のご冥福を祈ります。
大納言殿自身がおっしゃる通り、身内の死から葬儀までは事務的に流れる傾向もあり、本当の喪失感がどっしりと訪れるのは今頃ではないかと思います。私の経験から照らした感想ですが。
 このブログの大納言殿の文章には、時々短歌を思わせるような文章が載る。心象の悲しみ・寂しさを景色で補足説明するような流れと言いますか。
 大納言殿が短歌をやる端緒は間違いなくご母堂の影響でしょう。そして短歌をやることによって培われた感性や文章力がこのブログを支えているとすれば、このブログもご母堂の残影を色濃く映していると言えましょうか。そんなご母堂をなくした大納言殿の喪失感は小さくないのだと思います。合掌です。
 短詩をやる人の文章はいい文章になりやすい。それは、一語一語の持つ力の大きさを実感しているため、語句の選択に精力を傾けるからだろうと思われる。清岡卓之の「アカシアの大連」などは詩のような小説だった。大納言殿の文章にはそんな趣もある。ブログ文章への注力がご母堂への供養ともなりましょう。
 詩人から出発しても吉本のような悪文家もいるから、韻文出身が名文家になると決まったわけでもないだろう。そう言えばメタボの白くま殿も短詩をやる人だったが。

Re: 母の残影

ずいぶん久しぶりですが、少し落ち着きましたか。
フォローしていただいてありがとう。最近は短歌より俳句の方がいいかなと思ったりしてます。清岡卓行はわかるけど、吉本は悪文なんでしょうか……。ただ、理系のくせに大事な論証過程をすっ飛ばすのは確信犯的ですね。

ついに出てきたGt氏

このブログは、鳴海さんと、Gt氏が大きな存在です。たまに論戦もあるが、ブログが豊かになる。これからも、がんがん出てきて欲しい。がんばれ、Gt氏。

Re: ついに出てきたGt氏

まったくです。みんなのコメントの最後に、でかいコメントをガーンと(しかも寝しなに)ぶちかますGt氏がいなければ、我がブログはもちません。仕事が忙しくてパソコンを開く気にならなかったそうですが、仕事が忙しい時こそ、アダルトサイトでも見て心を和ませて下さい。

そうです。ただ見すぎると…

アー、だるいサイトになり、寝不足になります。ほどほどで、寝てください。母上の話が、アダルトになってしまった。こりゃあ、まずい…おやすみなさい。

最後にまた失礼

悪文は、大江健三郎と吉本隆明、でしょうね。とここまで書いていて、あれ?
そう白クマも悪文です。はい。間違いありません。特に最近は読み返すことがあまりないようで‥。素直に謝ります。

  • [2013/10/19 21:11]
  • URL |
  • メタボの白クマ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

Re: 最後にまた失礼

白クマさんのは悪文ではなく長すぎ文でしょう。

ああっ、言われてらあ

なんだか今回は、言われるために、寄っていった感じですかな。そらあ、言われますがな。ただ、白クマ氏は感性的には、成長してる感があります。光るものが難解長文の中に、相当含まれているのです。ただスクロールし続けて、萎えてしまうことがあります。これは損です。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

この記事のトラックバック URL
http://dynagom.blog.fc2.com/tb.php/232-44504e25