福島菊次郎展 

横浜情報文化センター(旧・
横浜商工奨励館)内部

DSC01663bg.jpg 

横浜の日本新聞博物館で「92歳の報道写真家 福島菊次郎展」を観た。山口県生まれの福島氏は、広島の被爆者一家の生活を撮り続けたドキュメンタリー作品が高い評価を受けたのをきっかけに離婚して上京。以後、組織に属さぬ一匹狼の記録者として政治と社会の狭間に起こる事件を撮り続けた。広島、60年安保、東大闘争、あさま山荘、三里塚、水俣病、イタイイタイ病、ウーマンリブやフーテン、そしてフクシマ……。その記録はまさに激動する戦後史そのものであり、世の不条理への怒りと涙を込めた告発であった。13冊の著書にもまとめられた福島氏の写真は、何のけれん味も奇をてらったアングルもなく、ストレートな被写体への共感(あるいはその逆)に貫かれている。実際、展示されている福島氏の愛機はニコンF+20㎜とF-801+35-70㎜ズームで、後者は私も長く使っていたアマチュア用である。福島氏の写真は今回初めて見たが、「カメラは道具にすぎない」という言葉が実感できる写真展であった。

ただ、ひと言苦言を呈させてもらうならば、問題は展示方式にある。キャプションがあまりにチープで、二昔前のワープロみたいな文字をさらに手直ししている個所が幾つもあり、パネルにマージン(余白)がない上に傾いて貼られていたりで、それが気になって仕方がなかった。最長老写真家の業績を振り返る写真展にしては、いささか手抜きが過ぎるのではないだろうか。必見ではあるがその点が惜しい。10月20日まで(10時~17時・入館は16:30まで)一般500円・シニア400円。みなとみらい線・日本大通り駅下車すぐ上。
      

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コメント:

奇をてらわない‥

「何のけれん味も奇をてらったアングルもなく、ストレートな被写体への共感(あるいはその逆)に貫かれている」
同感ですね。特に(あるいはその逆)というところが、いいえていると思います。
特に最初の出発点である「広島」のシリーズの感銘はそこにあるのだと思いました。

  • [2013/10/19 21:15]
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  • メタボの白クマ
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Re: 奇をてらわない‥

白クマさんが気に入ったというワッカ遊びの写真は、昭和初期の味がある珍しい作品ですね。広島の被爆者もやむにやまれぬ心情に突き動かされて撮り、テクニックどころではないといった感じがよくわかります。しかし、福島氏は被爆者の死後、遺族に拒絶されるのですから生やさしいことではありません。

これほどの人に、書けるコメントはない

ので、書くのをためらうが、幸せな人だと思う。幸せすぎる自分が、トラウマだと、画像を検索していくと、あった。幾多の写真家は、これほどならずに、なれずに死んでいくのであろうが、撮ったうちの、5枚や、6枚くらい、十分福島氏を超えてるものだってあろうに。自分が捉えようとしているものの、間違いの無さが、特別に優れすぎているのだろう。その時の執拗さと、なりふりかまわなさも、常人を逸しているのだろう。大納言氏の作品こそ、見逃さぬようにしたい。

中身だけで勝負はできない

 左翼系の芸術作品には、中身さえよければ、その発表様式、装丁などにエネルギーを費やさなくてよいとする考え方が透けて見えることが多い。恐らく本当にそう思っているのだろう。しかし、いかに中身がよくてもそれを読ませる、見せる力がなければその価値は人に伝わらない。装丁なんかどうでも、中身で伝わるという意識は倨傲と呼ぶべきものだろう。
 福島菊次郎がそうだというよりは、その企画を手伝った周囲の人間にそんな意識があったことが推測される。ずいぶんその作品に接することの多かった写真家で、ぜひ見たいものだが、今はこのコメントを書くので手一杯。
 吉本を悪文家と決めつけたことで、大納言殿から疑問を出されたが、私としても最も精力を入れて読み込んできた思想家を悪文家呼ばわりするのは本意でない。しかし、この書き方で理解できない人には読んでもらわなくていい、といった倨傲が吉本には無かったろうか。左翼系の芸術家などと言われるのを一番嫌う吉本がその轍にはまっているとすれば皮肉なことではある。

Re: これほどの人に、書けるコメントはない

うーーーーーーん、これをどう解釈したらいいのでしょう。

悪文

私も吉本隆明の文章は悪文だと思う。伝えるという努力を、どこかで放棄しているところがある。そのような修練を拒否していたとも思える。言語をスターリン的な機能論だけでとらえないと、伝えるための文章修行ということには、耐えられない面がある。
最近読み直したりすると「あれ、吉本さんこの文章、こういう風にも、ああいう風にも解釈できませんか?」という個所がいくつも目につく。他の校閲者の目を通していて、読みやすくなっているという講演録もしかり。
読む方も、自分の思い込みに沿って読んでいたから疑問に思わなかった文章というのは、多いかもしれない。誤読が誤解を増幅していたかもしれない。特に「詩」的要素の強い文章は難解である。難解=悪文ではないが、伝える努力ということが欠落しているという点では、一人よがりに陥り易いとおもう。自戒を込めて‥。多分政治的なアジテーションというのも、そんな傾向があるかもしれない。
後藤さんのいうとおり、誤読するほうが悪いという「倨傲」が無いとはいえないのではないか。そのように思うほどに、読者であるわれわれに読解力がついたというか、読む力にゆとりができたというべきだろうか。
左翼というより、吉本さんというより、戦後の文筆家という人はすべからく、そのような「倨傲」から無縁ではなかったのではないかと思う。
文章修行というもの、最近は編集者がかなり強くなって新人の文筆家を鍛えているという話があるようだ。戦後の文筆家はそのような訓練からは遠かったのではないだろうか。

  • [2013/10/21 23:14]
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  • メタボの白クマ
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Re: 中身だけで勝負はできない

私も70年前後、雑誌では目にしていた作品でしょうが、これだけまとまった展示は初めてかもしれません。ただ、手伝った連中の意識に問題ありという推論はにわかに首肯しがたい。何か深いわけがありそうです。

Re: 悪文

スターリン的機能論……はて、こりゃ何?

吉本氏の文章が悪文かどうかはさておき、伝えることの放棄、「分らなきゃ読まなくていい」という倨傲があったのは確かでしょう。コミュニケーションへの絶望から出発しているようなところがありますからね。しかしその、まあ「悪文」があれだけの読者を獲得し、膨大な信者やエピゴーネンを生み出した現象は興味深いところです。

最近の編集者はロクなのがいないと思っていましたが違いましたか。昔は新人を鍛えたりしなかったんですか。現代はケータイ小説ばかりで鍛えようがないような気がします。

倨傲という漢字

が読めなくて、焦った。みんなレベルが高い。倨傲慢と打って、慢を消さないと、この変換ソフトでは無理である。倨傲慢な人はこの世にあふれていた。今は倨傲慢では食えないと思い知らされて、倨緩慢になってしまった人が多い。この倨緩慢な私でも、倨傲慢な部分はいまだ本質的に隠し持っている。気がしている。しかし倨傲慢はまわりに無理を強いることがある。私は傲慢ではあるが、それでは生きていけないので、倨緩慢で行くしかない。なんだかこじ付け文になってしまった。主に下手な曲を作り歌っていましたが、みんな倨傲慢な世界です。倨傲慢が受け入れられるのは0.01%。その時からその人は倨傲慢な世界から抜け出られるのです。でも待っているのはやはり倨傲慢な世界だと、思えてきます。私は倨傲の砦のような皆さんと知り合えて、幸せです。皮肉ではないですよ。さあ大納言氏の作品を見に行こう。福島氏より、はるかに見たい。

Re: 倨傲という漢字

日本倨傲慢党でも作りますか。きょごまんとう。語呂いいね! ひょっこりきょごまん島なんていう人形アニメもできますぞ。 

Windowsが立ち上がらない

2、3日前に異常となり、回復できない状態です。ネットには繋がりますが、スキャナは動かず、使い慣れたFirefoxも動かないので更新する気になりません。もうしばらくお待ち下さい。

相手がパソコンでは…

呪文を唱えてエイ!!なんて訳にはいきませんよね(苦笑)。
一刻も早い復旧を、お祈りいたしております。
ところで、古紙回収はどうなりましたか?

Re: 相手がパソコンでは…

いやそれが呪文のどれかが効いたらしく、奇跡的に復旧しました。古紙回収の方は失敗。もう少し雨が小降りなってからだろうと思っていたら、スルーされたらしい。パソコンのサポートデスクと丁々発止と渡り合っていたので気がつかなかった。来月は四十九日に当たるし、これもどうなるか……。

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