ミシンの博物館 

古いミシンがずらりと並ぶ。右はドイツのレジーナ
 DSC02112bg.jpg DSC02114bg.jpg
                 
以前、開店休業状態の喫茶店を使った北砂のアイロン博物館みたいなものを紹介したが、そこがアイロンからミシンに展示替えしていた。ちょっと覗くつもりで立ち寄ったらまた長々とうんちくを聞かされた。戦前戦後のミシンが100台くらいはあるだろうか。古いミシン、特に海外のミシンは工芸品としての風格のあるものが多い。日本の技術はこれに関しても相当遅れていたという。棚には家庭用のミシンのほか、子供用ミシン、携帯用ミシン(といってもすごく重く、旅行用といった方がいいか)、ハンドミシン、ミシンのミニチュアやミシン形の一輪挿し、ミシンを模したオルゴールまで、ミシンに関わるものが多数飾られ壮観だ。新しいものでは、スエーデンの「世界でただ一つ永久に給油不要」と謳ったハスクバーナ2000もある。約40年前に128,000円で販売された高級ミシンだ。

左はマーガレットの内部、中はシンガー、右はハスクバーナ2000
DSC02118bg.jpg DSC02102bg.jpg DSC02107bg.jpg
                 
戦後、母が足踏みミシンを入手して弟のアノラックなどを器用に手作りし評判になった。軽々と回転する精巧なボビンのメカニズムの不思議さは、今もこの目に焼き付いている。それとミシンに差すミシン油は模型など他にもいろいろ使え、万能の油だった。しかし、ミシン油は縫製にとってはヘタをすると生地を汚す厄介ものだったらしい。ハスクバーナの「給油不要」のメリットはそこにあったのである。ハスクバーナは1620~1689年にマスケット銃の会社として発足、ミシンの他、家電製品やオートバイ、自転車などを生産し、現在は屋外緑化機器メーカーとして知られるが、ミシンの生産はハスクバーナバイキングに移管されている。ハスクバーナのミシンはアメリカ女性の憧れの的だという。

ミシンのミニチュア。古いラジオもある
DSC02126bg.jpg DSC02135bg.jpg
   

関連記事
スポンサーサイト

コメント:

ラジオの横の…

ピカチュウについ目が行ってしまいますが(苦笑)。

ミシン…家庭科の裁縫ではホント苦労しました。
足踏みミシンが故障してから家にはミシンが無く、学校の授業時間だけでは到底間に合わずにせっせと手縫いして仕上げましたっけ。
私、未だに電動ミシンを使えないアナクロな人間です(ーー;)

Re: ラジオの横の…

なるほど、足踏みと電動の間には大きな断絶がありそうです。
類推で使うわけにはいかないんでしょうね。

写真ではカットしてますが、他にキューピーやアトム、アンパンマンがあります。裕次郎なんかのLPレコードやレーザーディスクもありました。

機械

本当は単純に機械と呼びたくない。懐かしいアナログだが我々古稀人の仲間だと思っている、人間と形が違うだけで親しさのこもった友人のような気がするのだ。お互いまだ元気でやってるね!「いやあ~!歳には勝てなくなったもんだ」なんて話しあってる気分になるね。

古いカメラを直す職人の

すニュースを昨日テレビでやっておりました。青森の方だったと思います。印象に残りました。ダイナー氏は見たかな、と、思いました。やはり70を過ぎた、温厚そうな人でした。愛器とは死ぬまで一緒に過ごしたいのが人情でありましょうな。直せるものなら、直したかったものをたくさん捨ててきてしまいましたわな。

Re: 機械

館長によるとこれらは皆、今でも動くものだといいます。ただし、保存中は油を差していないので多少ぎくしゃくする嫌いがあると。我々古稀人も油さえ差せば完動するんです。どうです、感動ものでしょ。

Re: 古いカメラを直す職人の

それは観てませんが、直し直しして使い続けていくのがアナログ機のいいところ。メーカーがダメといってもこういうところに頼めばちゃんと直るケースもあるんです。ミシンなどはもっと単純だから、ずっと大丈夫じゃないでしょうかね。

昭和風景の必需品

関川夏央の「昭和が明るかったころ」の表紙写真は、薄暗い四畳半、卓袱台、天井からは裸電球、そして部屋の片隅にはごつい足踏みミシンという風景だったか。高度成長期直前、まだ貧しかったけれどもとてつもなく明るかった我々の子供時代を、ミシンは見事に映していた。
その後、一般家庭では見られなくなったことが、ミシンに対するなつかしさを我々に与えるのであろう。SLのような過去の機械ではなく、現在も縫製工場などでは必需的に使われているのだろうが、メカニズムはあまり進化していないのだろう。知っている人があれば教えてください。
それにしても、アイロン展、ミシン展と、我が年代の懐かし心をくすぐる催しの主催者は、何歳くらいの、どんな人でしょうか。ちょっと気になりますね。
インターネット不調で数日アクセスしないうちにずいぶん出ましたね。少し前の主題に投稿しましょうか。

Re: 昭和風景の必需品

館長の年齢は65~75歳の間くらいではないかな。アイロンの時に写真を載せているので見て下さい。

ピカチューの横のラジオ

それが怪獣の顔に見えます。怪獣と言ってもどこか愛嬌のある、初期ウルトラマンに登場するような。
多分ピカチューがあることで、愛嬌が醸し出されたのかも‥。
現代の物とのコラボで新しい世界ができると愉快ですな。

  • [2014/02/06 01:19]
  • URL |
  • メタボの白クマ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

Re: ピカチューの横のラジオ

なるほど、それは着目ですね。確かに素朴な怪獣というのか快獣というのか、そんな雰囲気です。

怪獣というよりも

Fs氏が、よく紹介する仏閣の閻魔様のような仁王さまのような顔ですな。しかし昔のラジオはこんな形をしていたのですな。面白いですな。真空管のむき出しに、とりあえずおうちと屋根をとっつけたのですかな。愉快ですな。昔、一丁目、一番地というラジオ番組を聴いてましたな。楽しかったですな。たしか、ゴンといういたずらっ子が出てきてた。昔は良かった。

Re: 怪獣というよりも

> Fs氏が、よく紹介する仏閣の閻魔様のような仁王さまのような顔ですな。

そんなの紹介してましたっけ?
真空管もさることながら、スピーカーが無用にデカかったんでしょうね。U字磁石が横ざまに付いたマグネチックスピーカーでしたか……。

「一丁目一番地」も聴きましたが、おらあ三太だ、とか、とんがり帽子の赤い屋根とか、あのへんもね。野辺地は電波の状態がよくなくて雑音が多かったんです。ずーっと後になって対策がとられましたが、時既に遅し。テレビもパラボラアンテナの電波障害対策施設がつくられているはずです。

閻魔・仁王

不動明王、そして12神将なども思い出しました。でもやはり怪獣はウルトラマンの初期のシリーズに出てくる怪獣が印象に残りますね。

「一丁目一番地」と「赤胴鈴之助」は函館の思い出とともにあります。その頃大納言様は野辺地にいたんですね。1954~1961年の頃です。

  • [2014/02/08 12:30]
  • URL |
  • メタボの白クマ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

Re: 閻魔・仁王

ウルトラマンは観てませんねぇ。ああいう花火を爆発させるだけの荒唐無稽なのはダメです。

私は1962年に弘前へ行きましたので、それまでは「若い季節」とか「地方記者」を好んで観てました。「シャボン玉ホリデー」も楽しみでした。ラジオでは大学時代を含め「鞍馬天狗」「連合艦隊の最後」「応答せよ!ゼノン」「歌謡ベストテン」などが記憶に残っています。「ミッドナイト・ストリート」のことは前に書きましたね。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

この記事のトラックバック URL
http://dynagom.blog.fc2.com/tb.php/254-4c73b177