イカレタ男 

大島

年若い人間の会話には「イカレタ」が多い。しきりに「イカレタンデスカ?」「イカレタラ」などと言う。これは我々の日本語では「いらっしゃったんですか?」「いらっしゃったら」と翻訳できる。イカレタも間違いではなかろうが語感の悪いのが致命的だ。もちろん私は絶対使わない。何でもレルを付ければ敬語になるだろうという発想が気に入らん。「敬」がないのに言葉だけ敬語形式にしておこうという考え方が見え見えである。テレビでは「おしゃべりになる」という変な言葉も聞いた。「しゃべる」は「話す」のくだけた言い方である。これが敬語になるわけはないだろうに。「見た」の敬語は「ご覧になる」だが、若者はこれが言えず「見られた」を連発する。何にでもレルラレルをつけて敬語化した気になるのは、ら抜き言葉蔓延の反作用ではないだろうか。そんなことを考えてしまう。

「いいです」「ないです」もヘンな言葉だが、話し言葉やネット上の文章では普通のように使われている。いまは辞書にも載っており、現状追認式だが既に市民権を得ているわけだ。さすがに新聞やその他まともな文章ではこの言い方はなされていない。したがって許容されているが抵抗もあるということであろう。たしかに話し言葉が「ない」「いい」で終わってはぶっきらぼうの印象を免れない。

書き言葉でおかしな表現に「……すべき」というのがある。新聞見出しや区議会の議事録に多いが、正しくは終止形の「……すべし」であろう。「すべき」なら「だ」や「である」が後ろに付かないとおかしい。したがって「すべき」はそれらの語が省略された表現だとの屁理屈も聞いた。ならば「すべし」で何がいけないのか。滝廉太郎が曲を付けた武島又次郎の「花」は「眺めを何にたとふべき」だが、語尾の省略によって余韻を生み出す詩歌ならではの技法である。「すべし」では古色蒼然としすぎとの指摘もあった。それなのに「すべき」がいいとはどういうわけだろうか。
  

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コメント:

補足「すべき」

問題なのは「すべき」で終わってしまう場合です。

行くべし! 「行こうぜ!」の意 北海道弁 すなわち当為の助動詞「べきだ」(終止形)の積極的意思的変形使用。
べきだ べきだろ べきだっ べきだ べきな べきなら 
べべべべ あっかんべ の べ は 渡り廊下走り隊の積極的意思表示 へのへのもへじのへの変形 つまり指と目の象形が由来で ここから「べきだ」と文に強引に採用された つまり起源はつねに現代の慣用を参照して求められる 過去の古すぎたものはもはや起源にもならないからだ この説を信じないとしたら過去が好きな証拠の祥子ちゃん へ

南部弁でも

「行くべし」「やるべし」はあるがね。「行くべき」「やるべき」はない。

しらね

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