猫っかぶり 

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土曜日。青空の下、「クシコスの郵便馬車」や「天国と地獄」が流れ、あちこちの小中学校で運動会だ。運動会といえば我が故郷は名にしおうヤマセの町。小学校低学年の時の運動会が冷たい霧雨に祟られたのには参った。それでも保護者はみんな筵に座って競技を見守っていたんだから我慢強い。それだけじゃない。確かその運動会では未熟児で身体の弱い私にこれ以上ない試練が待っていたのだが、その内容は書かないでおく。その後すっかり運動会不信、運動不信、ひいては人間不信に陥ったのはやむを得まい。こんなこともあった。猫かぶり競争といって猫の顔を描いた紙袋を自作し、それをかぶって四つんばいで走る(視界はゼロ)というもの。当時の糊は防腐剤のフォルマリンをたっぷり入れていた。生乾きの袋をかぶると糊のフォルマリンが臭くて息ができず、メチャクチャ走ったら私ひとり、コースをそれて女子陣営の前に来ていた。後にも先にも猫をかぶって女性に近づいたのはこれっきりだ。フェロモンを感知したのだろうか?

前回挫折した鬼海弘雄の写真展「INDIA 1982-2011」を観てきた。世にインドを撮った写真は腐るほどあるし(古くは藤原新也の諸作など)、インドに魅せられインドにやられてダメになった日本人も少なくないとの噂だ。インドとは何なのか。鬼海はそれを「懐かしい未来」という言葉で表している。かつての日本の農村に似た風景を保つがゆえに、閉ざされた現在を切り開く夢を秘めた世界の謂だろうか。パンフに使われたのは、川に飛び込もうとする瞬間を捉えたカット。人間が空中に浮かぶ構図はまるで白昼夢のようだ。鬼海の写真は総じてインドの喧噪や臭気が後景に退き、一画面にさまざまなドラマを収めながらも夢のように静かである。見飽きることのないモノクロームの夢が続いている。

さーて6月、いよいよ仕事がない。人生後がない。それもまたよし……。
 

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コメント:

猫っかぶり

大抵の集団には猫をかぶった人間がいるもの…なんて思いながら読み進めたら、大外れ!!
実は、伝統的な競技種目だったりして(笑)。
小学1~2年生なら可愛らしいでしょうし、5~6年生なら予想外の動きが観客に受けそうです。
地方の小学校の運動会は地域の一大イベントですから(我が子の運動会で痛感しました)、娯楽要素の大きい競技は必須でしょうね。

“猫まっしぐら”とばかり女子陣営に突進した大納言様は、あまりにも早熟すぎましたか…笑。

Re: 猫っかぶり

自爆しました。書道部で止めとくべきでした。
伝統競技でしたか……。それにしては、当時、他の人の感想が出ませんでしたね。シックハウスの犯人に目くらましを食らったのは私だけ?

猫面かぶってかのひとへ

たどり着けるかあの人へ

鬼海に負けていないぞダイナー氏

余りに過ぎてる五七五

生きていること仕事なり

Re: 猫面かぶってかのひとへ

   
自由律俳句の名手がっかり氏

生きていることが仕事か天職か

生まれつき五七五に染まりたり

自由律何を書いてもいいんだろか

生きることなかなか上達せぬもんだ

恥さらし生きてきました70年

わたくしの恥などみんな忘れ去り
      

コーヒーの空き瓶を洗っていて

手を切りました。底が欠けていたんです。手を切った男に用はなっしー!

手を切るときには

手切れ金が要るのです。したがって、まだ手を切らずに行くしかありません。

ああんちっちぃ

自由律おのれ律して書き続け

がっかり氏がっかりさせるが生き甲斐に

がっかりにどっぷり浸かって安住す

安住とがっかり紙一重

Re: 手を切るときには

無い袖は振れず今度の手切れ金

自由律テキトーに書き入選し

がっかりを抜けられません勝つまでは

がっかりをどこまで通すつもりやら

詩…猫かぶり

猫をかぶって生きてやる 
頬かむりして生きてやる 
あかんべえして生きてやる 
ざまあ見ろして生きてやる 
素顔見せんで生きてやる 
マスクに帽子にサングラス 
そんなもんなどつけねえが 
俺の心の頬かむり
おまえらなんかに外させぬ

そんなこんなで生きたから
長年暮らした妻でさえ 
亭主の素顔は知らねえぞい 
俺の素顔を知ってるは 
飼い猫チェリーのただ一人
これぞまことの猫かぶり

Re: 詩…猫かぶり

おおーーっ! 出ましたね! 
これぞ究極の弾き語り、こうでなくっちゃ……。

五七五だの自由律だの、ちゃんちゃらおかしいや。
こちとら江戸っ子でい、横浜の生まれよ!

飼い猫だけが知っている、真の姿三四郎。
……

ところで、これから横浜方面へ出かけますので、また後ほど……。

東北の局地風

野辺地に吹くヤマセとは、どこから吹いてくる風だろうか。山背という字面から受けるイメージは山から吹き下ろしてくる風、冬の季節風を思わせる。シーハイルの唄に出てくる岩木のおろしが思い浮かぶが、一方でヤマセの吹く冷害飢饉の年、などという言葉から類推すれば夏場に千島寒流から吹く風ということになろう。大納言氏小学生の頃の運動会となれば、その開催は秋に違いなかろうが、寒冷地ゆえに夏場の開催もあり得たのだろうか。
 小林旭のダンチョネ節では、ヤマセの風は別れ風、と唄われている。俺を恨むな、風恨め、とも。別れて旅立つ男を乗せた船が、ヤマセに押されるように港を離れる、沖の瀬の瀬でドンと打つ波がその船・別れを押し戻す、太平洋岸を舞台とする限り、山から吹く風がこの歌詞内容と合致するのですが。
 

Re: 東北の局地風

Wikiでは夏季にオホーツク海気団から吹く北東風となっていますね。偏東風とも言われます。日本海側にはフェーン現象が発生するそうです。梅雨明け期がなく、ストーブを必要とする時期が長く続いて、冷害の原因になります。いわゆる「地貌季語」の1つといえます。

運動会の時期については春だったように記憶します。小学校の運動会の歌に「長き春日の暮るるまで」という歌詞がありました。

旭のダンチョネ節のヤマセは、単に冷たい(別れの)風という意味ではないでしょうか。「シーハイル」は印象的な歌詞ですが、確か曲の方が盗作ということでけりが付き、発売禁止になったのではなかったかな。

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