愛される秘訣 

平井


30日(厄日)は山口にいるM氏が帰ってきたので、女性を含む仲間が平井に集まった。彼は九州に住む小6の孫が剣道の全国大会に出るというので、その応援を兼ねての帰京だ。M氏の大先輩で家主のD氏も、80歳を過ぎて(足は不自由だが)元気に毒舌を吐いておられた。孫とはいっても前(いや、前の前だったか)の女房の子供の子供で苗字は彼とは違う。その元女房が九州に住んでいるのだが、M氏はまだ未練が断ちきれず、さりとて今の妻の手前、九州に行くわけにいかず、海峡の手前の山口に留まっているのだという。今の妻にしてみれば、前妻の孫の試合を追っかける亭主に同行はできなかったのだろう。去年は来たが今年は来ていない。D氏宅で飲んだ後、新小岩のスナックへ移り恒例のカラオケとなる。ここではまた別の仲間と美人ママが待っていて歌い放題である。

A氏がM氏にこんなことを言っていた。「お前の<地域>というのをバカにしていたが、最近少しわかり始めたよ」。M氏は「世界じゃない、地域だ」というのが持論で、我々は世界が扱えないから地域なんだろうと冷笑していた。M氏は前に書いた故鈴木一郎氏らと念願の地域誌を出したが1号で挫折し、あれから30年経つのに、<地域>なるものの実像は一向に明らかにならない。彼が某党派の政治同人誌に連載した「幕末・維新にあって現代に欠けるもの」という文章は意外にも好評だったが、巷間伝えられる幕末・維新の立役者のキャラクターは多くが虚像である。彼の文章はその虚像を洗い直す手続きを経ないままの無い物ねだり、架空戦記としか読めなかった。
しかし、この日彼のために集まった顔ぶれには感心させられる。よくもまあこんなにいろんな人に愛されるものだという思いである。彼は世話好きでサービス過剰、人を攻撃したりしない半面、ケツをまくったり後足で砂を掛けたりしても意に介さない大らかさを持っている。そういう無責任男のM氏が私などの何十倍も人に愛されるヒントは、世俗の中での身の処し方だろう。<地域>は振りかざす理念であるときは空疎だが、新小岩のスナックにあると思えば納得できないこともないのだ。
    

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コメント:

これは船の先端のような

写真ですな。以前も新大久保の写真がありましたが、どっちの道を選ぶか、ですな。見事な土地利用ビルですな。昔の仲間達の人生模様ですな。ダイナー氏はかなりのカラオケ好きですな。M氏はおもろいですな。おもろい人間は減少の一途ですな。このブログはおもろい人間がより集いますな。なあんちっちーーー

Re: これは船の先端のような

右か左か、人生の岐路です。横尾忠則のY字路シリーズは、カメラの閃光に浮かび上がる夜のY字路をそのまま絵にした作品群ですが、YはYokooのYでもあるといっていました。岐路にはついカメラを向けたくなる魅力があります。江東区は碁盤目の街路ばかりで面白くない。

坂の街東京

関連の書籍十数冊を楽しんでる。写真の「平井」はどこか知らないが良いね!他にまだまだあるが「なべころ坂」(中目黒4丁目13と16の間と「目無坂」(文京区と豊島区の境あたり。高田1丁目から神田川の方へ南下する急坂も大納言殿に詣でて、写真を見せてほしいと願う生涯見ることのできない田捨人なのであります。「カラオケ爺さん・婆さん」はとかく元気そのもの、同様マージャンをやるのもボケにならない良薬だとか。

Re: 坂の街東京

平井は江戸川区で、旧中川と荒川にはさまれた一帯です。電車で行へば亀戸の隣ですが、北砂からバスで行こうとしても直通はないのが難点です。平井は23区ながら人なつこい下町気質が生きているような気安さがあります。

さてお申し越しの坂道ですが今ちと思い当たらず、後で探してみます。たもりが『東京1週間』に連載(後に単行本化)していた記事なども読みましたが、坂というのは意外と写真に撮りにくいんですよね。

私も

横浜にいながら生涯見ることのない土地が一杯です。ダイナー氏に強く期待したい。

Re: 私も

横浜にもよだれの出そうなY字路がたくさんありそうですね。それに坂道も……。

Y字路について

Y字路は遠くにありて思うもの

Y字路はあとが怖くてよだれ出ず

坂道はY字のあとに潜んでる

坂道はよだれとともにころげ落ち

この年で到達できるYは無く

なふんちっちのyちちち。

  • [2014/08/05 05:44]
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Re: Y字路について

出ましたな。通りがかり人の川柳教室8月号!
でわ私も朝の頭の体操はぢめっ。

Yの字は女の股の形かな

Yの字はわいせつのYそうだわい

Y字路や決めかねてまた日暮れたり

横浜のYでもありき三叉郎

坂道のどこまで続く人生か

平坦な街に坂あり川があり

川一筋、街を貫き夏盛る

以上

少ストレス的生き方

M氏が主宰する地域誌に、求められて一文を寄せた。その題は、「下町に『地域』は可能か」というようなものだったと記憶する。要するに「地域誌」と時代感覚とのズレを述べた内容だったが、M氏は文を寄せられたことそのものを喜んだようだ。
 M氏の人脈の豊富さには確かに感心するが、それは彼が会う人ごとにその人の意見にすこぶる共感するところにあるのだろう。そんなに誰にでも共感していれば、かなり違う意見の人の両方に共感するということにもなるのだが、そうした矛盾に頓着する人ではない。共感する意見の内容把握はほとんど間違っているので、矛盾とも感じてはいないだろう。
 意見などほとんど理解していないのに共感する軽さ、それを本気でいいものと思い込んでいる極楽とんぼ的明るさは仲間を呼ぶものであろうし、確かに大納言殿や私にはないものだろう。渡辺美智雄風に言えば「あっけらかんのカー」。あまりうらやましいとも思わないが、ストレスの少ない生き方をしようと思う時の一つの指標になる人ではあるような気がします。

Re: 少ストレス的生き方

共感というより付和雷同といった方がいいようですが、それだけであんなに愛される現象を解明できません。鈴木いっちゃんの最期を親身になって看取ったように、どこかに目に見えないギブアンドテイクがあるのでしょうか。世話になったが砂も掛けられた私としては、他の人のように無条件で付き合う気にはなれませんが、人に愛される秘訣だけは学びたいと思う所以です。

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