ヤング・ポートフォリオにずっこける 

白河・お祭りの日


野辺地はこのところずっと朝晩ストーブを焚いているとか……。

残暑見舞いをやっと出し終えてやれやれと思ったら、メルマガの仕事が入ってきたり、夜疲れが早く出たりでブログの更新が思うようにいかない。メルマガの仕事はすぐやる必要はないのだが、仕事に飢えているので入るとガツガツやってしまう。それに今週いっぱいは古紙回収のために新聞をスキャンしなければならない。これが難儀である。予定が完全にふさがってしまう。そんなわけで、書きたいことはたくさんあるがなかなかまとめきれないのが実情だ。
ギャラリーは少しずつ回っている。先日は三菱一号館で「バルテュス 最後の写真―密室の対話」を観た。身体の自由が利かなくなった晩年のバルテュスがポラロイドカメラを得て、デッサンの代わりに撮影した作品150点を展示している(実際には200点以上あるように思えた)。隣家の娘アンナをモデルに、8歳から16歳までの長きにわたり撮ったものだ。しかし、これはニューヨークでは展示されたが、ドイツのフォルクヴァング美術館では<幼児性愛>の非難を恐れて展示を中止したという、いわく付きの作品である。
ところでこのポラロイドだが、何というカメラで撮ったのかという疑問が湧く。アマチュアユースの一体現像タイプで、サイズは美術館の情報では10..2×10..2cmとなっている。若干の誤差はあるが、これは手元にあるスペクトラフィルムのサイズと合致する。したがってポラロイドスペクトラで撮ったと断定していいように思うがどうだろう。バルテュスの作品はポラの苦手なシャドーの深みをよく出していた。とはいえ、ポラロイド社が破産したので、現在スペクトラもそのフィルムも発売されていないのはまことに残念。
17日のNHKテレビの日曜美術館でバルテュスを取り上げていたが、5月22日に放送されたものというテロップが入る。確か1か月くらい前にも同じものを放送していた。私がバルテュスの生涯や三菱の展示を知ったのはその時だ。いくら希望が多いからといって、半年に同じものを3回は多すぎるのではないか。
今日、日曜日は都写真美術館地下で「原点を、永遠に。“ヤング・ポートフォリオ”20年の軌跡」を観る。清里フォトアートミュージアム(K・MoPA)開館20周年記念として、K・MoPAが収蔵する世界の若者の作品と選考委員の若い頃の作品、合わせて約500点を展示している。ヤング・ポートフォリオとは、35歳までの若者の写真を公募により購入するK・MoPAの文化支援事業だという。日本だけでも、知った名前の写真家の作品がずいぶん多数収蔵されていることに驚いた。そこまではいいが、K・MoPA館長・細江英公氏の挨拶に「本展は……真如苑・社会貢献基金の助成を受けて開催……」とあり、少々ずっこけた。
    

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コメント:

頭の硬い私

ダイナー氏は頭がやわらかいのですな。私は検索しましたが、なかなかなあ…検索画像からでは、ちとわかりませんが、おお、いい、というのが、なかなか、ひらめかないのでしょうな。アート的なものを感じる体質ではないのかもしれない。写真はやはり心象風景がいいですな。オールドが撮るオールドな写真を願います。なあんちっちとイナオルドー。

  • [2014/08/18 06:41]
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Re: 頭の硬い私

ヤング・ポートフォリオの話でしょうか?
作り物的な作品は好みじゃない……と。

「未だ評価の定まらない、完成への途上で闘っている青年たちの作品にこそ、時代を切り拓く力が秘められていると私たちは考えています。完成度は高くないが、独創的で表現意欲の高い作品を美術館が購入することによって、若い作家に勇気を与えたい。」とあります。世界唯一の企画だそうです。気長に見守ってやって下さい。

オールド・ポートフォリオ、65歳以上の老人に勇気を与える世界で唯一の企画……賛同者・出資ご希望者は通りがっかり人様まで。

まだ残暑があると思うの?

古の野辺地は「やませ」の常風地域だった。いや今でもそうだろう。六ヶ所村方面はいつも直撃を受けていたので極貧に部落だった。そこに眼をつけ買い叩いて原発関連設備を建てた。もし事故が起きたら「やませ」の乗ってくる××ベクレルで野辺地は壊滅する。福島原発事件のときマスコミは避難民といっていたが小生はそれはウソだ!「国内難民」というべきだと。古里に永久に帰れない人々がいる現実と未来が4年経った現在はっきりしているのに、マスコミは相変わらず「避難民」といって近いうちに帰れる印象を与えているが許せない。ありゃ~残暑の話がづれちゃったナ!

Re: まだ残暑があると思うの?

いえいえ、サムイ話で……。永遠に帰れない流浪の民。
これがなし崩しに定着、忘れられてしまえば最悪で残暑どころではありません。しかもこれだけのことをしでかした東電が居直って、勝手に線引きしたり賠償金を切り下げたりしてるんですから、風景は極寒です。

野辺地役場の隣に照射線を測るモニタリングポストがありましたが、今は別のところへ移転したようです。目立たなくしようという魂胆かどうか……。

パトロンは宗教

かつて、音楽家、画家といった文化の担い手を庇護してきたのは貴族であった。現代に至って貴族の衰退(というよりは貴族制度そのものの瓦解)により、文化の庇護者は企業にとってかわられた感が強い。まずはアメリカにおいて顕著であり、日本でも有名なところではサントリーやブリジストンだろうか。南九州の熊襲を東北の先住民と勘違いしている程度の文化性では大したことはあるまいが、利益一辺倒だった日本の企業が文化事業に組するのは一歩進んだ状態ではあるのだろう。
元々文化とはヒマと同義語だから、文化をやるヒマを生産力が与えてくれる社会が文化を育てる。水と文化は高きから低きに流れる、とは、生産力が高きから低きに流れるの意味であろう。
宗教はその流れの中にはない。むしろ逆と言える。生産力のいまだ小さい地域ほど宗教は強い。見ての通り日本の宗教性は薄い。しかし、特に新興宗教には資金潤沢なところも多いから文化支援をすることもあり得よう。最大の新興宗教-創価学会なども相当やっているのではないか。
この頃の文化支援活動を見ていて感心するのは企業の利益営業活動への貢献を求めたり、宗教への寄与を求めたりする傾向がほとんど見られないこと(少なくとも表面的には)。企業社会・市民社会の成熟と言っていいのだろうか。そうであれば、パトロンが誰であるかなど気にせず、いい作品はいいと言っていればそれでよく、そうした機会を与える文化イベントを尊重していいのだろう。
今、文化支援の中で露骨な口出しをしたがる最も悪質なパトロンは安倍内閣ということになるだろう。

Re: パトロンは宗教

> 今、文化支援の中で露骨な口出しをしたがる最も悪質なパトロンは安倍内閣ということになるだろう。

どう見ても安倍くんのアタマの中に「文化」の語はなさそうですがね。
いわゆるメセナってやつ、アメリカの分厚い蓄積に比べれば日本のそれは薄皮程度でしょう。日本の企業は政治献金は熱心ですが、直接の見返りがない文化には金は出しません。頼みは宗教というのがいいのか悪いのか。むかし学会は民音を作りましたが、今はどうなってますかね。学会は強烈に見返りを求めそうです(イメージ)。

ところで、「くみする」は「与する」が正しいよ。
「先生、メセナに出す作品できました」「どれ、めせな」ぎゃふん。

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