猫に人生を教えられる 

DSC05805bg.jpg DSC05798bg.jpg

通りがかり人さんから思いがけない引きこもり宣言が出され、ショックを受けた。一気に涼しくなったのは天気のせいばかりではあるまい。Fs白クマ氏は相変わらずマイペースだが、山姥さんは身辺に大事が生じたか、このところ更新もなければコメントへの反応もない。岡部先生は調査で中国へ行ってしまったようだし、ブログの世界はいささか夏枯れ状態だ。

ときどき通る路地で猫に挨拶するのが楽しみだったが、先日の夕方、まずいことがあった。私の顔を見ると道の反対側に案内しようとする。そこにはエサ皿と水が置いてある。見るとエサは空っぽ。しかし私にエサの持ち合わせはない。彼(性別不明)はエサをくれとゼスチャーを繰り返したあげくに、私を見上げて甲高くウニャーーン(この役立たず!)と言ったきりどこかへ行ってしまった。不甲斐ない私は両手を合わせて謝るだけ。飼い主はまだ帰ってこない。私に飼い主の代りをする義務はないが、今後も彼(性別不明)と仲良くしようと思うならば、言われるとおりエサを持っていくべきなのだろう。不本意な役回りを強いられる人間社会と同じである。身勝手な猫に人生を教えられたようだ。しかし万事ダイレクトな猫の要求はむしろすがすがしい。

DSC05811bg.jpg

新宿photographers’galleryで増山たづ子「ミナシマイのあとに」を観る。今はダムの水底に沈む岐阜県徳山村の日々を撮り続けた膨大な記録だ。増山たづ子は夫がインパール作戦で行方不明となり、一人農業の傍ら民宿を営んでいた。徳山村が水没することが決まると、彼女は国策に反対しても無駄、せめて記録を残そうとピッカリコニカを手に村の人々の日常を撮り始める。それは行方不明の夫が生還した時、無くなった村の様子を見せるためでもあったという。写真は29年間で10万カット、600冊ものアルバムに結実した。2006年、増山は88歳で他界し村もダムに沈んだが、作品は現在「増山たづ子の遺志を継ぐ館」に保管されている。
展示はプリントでダムが決まった後も続く村の何気ない日々を、プロジェクションでは村人が移転して廃墟となった村の跡を淡々と見せる。「ミナシマイ」とは「終わり」のこと、南部弁で言えば「ドットハレ」みたいな感じだろうか。共同体の喪失・崩壊に対する記録の力は、その後の3・11でイヤと言うほど思い知らされることになったように思う。増山たづ子は職業写真家でもなんでもないが、類い希な「関係の写真家」としてのポジションを確かなものにしている。
                 

関連記事
スポンサーサイト

コメント:

何気ない街角にも幸あり

どこぞのご老人かは存じませぬが、空腹ゆえなにか食する物を恵んでくださらぬか。ねだられる位親しくなったつもりだったが、あいにく持ち合わせがない。すると小馬鹿にして去って行った。
こんな時、犬はどうするるんだろう?きっと老人を信頼して買った来てくれるまで待っていたと思う。
ネコはわがまま身勝手、相手の事は全く考えもせず自由に愉しむ神経の図太さには人間は叶わない。そこが可愛くてネコと同化してしまった人様は次の世に生まれるときはネコになりたいと想うのかな。
魔都の路地裏はネコだらけとか、さぞかし糞尿もすごいだろうな。ネコの糞尿の匂いは一キロ離れていても臭うそうだ。ネットから臭ってきそうだね。

Re: 何気ない街角にも幸あり

ま、こういう猫は珍しい方でしょう。
その後何度か前を通りましたが、見かけませんね。

猫の糞は自分で砂を掛けますので露出することはありません。犬はしっぱなしで飼い主が処理しない限り転がってます。犬のマーキングは都会では大迷惑の1つです。犬の大小便禁止の貼り紙をあちこちで見かけるのは、無責任な飼い主がいかに多いかの証拠でしょう。

水底に沈む自然

オラがちょっとだけ興味本位で手伝った山里深くにある、わずかな村落の棚田を守る村人の生活は、それほど便利ではないと感じた。スマホやインターネットとも無縁である。役場や診療所も近くにない。それでも不幸とは思わない生活に、心から安住の日々を季節の移り変わりに溶け込んで、自然に生きとし生きているのだ。長い長い村の歴史はやがては、限界集落から廃村を迎えることになるかも知れない。そこに生まれた子供たちもやがては都会に出て行くからだ。わずかばかりの田畑では生活できない現実を地方消滅と今頃になって騒ぎ、あげく今度は地方創生などと訳の分からない国策に、増山さんは「国が一度やろうと思ったことは戦争もダムも必ずやる・・・」。例え村人全員が反対してもだめなら、先祖から続いた貧しいかも知れないが、人の心を豊かに育んでくれた村の「ジオラマ」を写真として記録しておこうという発想の素晴らしさに感動した。HPでわずかな作品しか見られなかったが、里山の稲田、山里の棚田などの日本の自然の美しさを冷徹に破壊する国策は、「福島原発」を懲りずに続けようとしている。
今ある自分が生きている場所は、何の変哲も無いところだが「福島原発」のような犯罪により、そこに住めなくなる事だって現実なのだから、写真で記録しておくことの大切さを気づかせてくれ見せて貰った。素晴らしい写真集だ。

                         はや長月に・・・

・初秋や 風鈴の音も 遠くなり
・風鈴の 音色侘しき 夜半の月
・こおろぎや すだく音色の 端居かな
・青白き 文月すえの 満月に ただ何となく 願いしてみる

フン害に憤慨だあ

昔さあ、岡山で住んでいたとき、家の裏に「野良猫専門のエサやりおばあさん」がいて、何匹もの猫が毎日集まる。
避妊手術もしてやっていて、年金の半分がそれに消えてしまうとか。
でもねえ、畑に排便していくんだ。それが匂うったら並大抵ではない。
種を蒔くために鍬をいれたところに決まってしていく。砂をかけていくから、こっちはわかんない。ただ砂を通して「匂い」がするからわかる。しかし、ときにはそれを知らないでフン付けておかげでフンがついてしまう。というわけで、そのばあさんは近所の鼻つまみ者。

庭に畑を作っている人はみんな被害者。本人は人道主義者ならぬ「猫道主義者」かもしれないけど、周囲は戦々恐々だったんです。
糞害に憤慨しているひとばかり。弱りましたねえ。ダイナーさん。

猫を愛する人に申し訳ない話をしました。 

Re: 水底に沈む自然

廃屋にパラボラアンテナ里の秋

TPPで日本農業は壊滅。特に何とか生き延びてきた酪農は大打撃でしょう。妥結しなくても米国の要求だけは飲まされる仕掛けらしいじゃありませんか。たまったものではありません。被災地は補償打ち切りもあります。我々にできるのは記録だけ……消えゆく世界をしっかりと見届け記録しておきたいものです。

Re: フン害に憤慨だあ

餌やりばあさんは鼻つまみ者……うーーーーん、自分のことではないんですが困りましたね。猫のいない街は考えられない。さりとて糞は臭い。猫と人間の共生か戦いか……。野良猫撲滅運動が起こったらそれはそれで怖いしですしねえ。

棚田だすなあ やっぱす

元々はホレ、棚田つうのは稲作適地だったんだなあ。今だば稲ばあ作っている下流の沖積平野は、平坦で湿地帯だったから、稲作にはむがねえんだったんだ。それでほれ、灌漑技術つうものがでぎでなあ、それから下流の平野で作ることになったんだじゃ。そしたらなあ、今度あ、機械化が入ってきたからな。棚田は「条件不利地域」とかって勝手にされてきたんだなあ。


厳鷲山あさんのコメントつうのは、いっつもためになるなあ。おもすろいすなあ! いっぱい教えでけろ。頼むがらなあ。いっぱい書いでけろ。

あ、TPPでも通ったら、ジ・エンドつうことになるんでねえの。んだから、そうしたごとにはしたくねえんだよ~。
棚田には人間の知恵がいっぱい詰まっているんだがらなあ。んだからなくすごたあ絶対できねえ。オラはそう思うんよ。



糞尿弾

ネコの糞尿はスカンクより強烈だ。(と言われている)ネコが土砂をかけて隠すのは、ネコ本人が余りの臭さに自分も耐えられないから、恥ずかしながら隠すんですよ、きっと。けどイヌの方は人糞より余り臭くないけど、路上での垂れ流しは困りものですが、イヌという動物の生きるための本能のひとつでしょう。(この辺、ネコよりイヌに同情してるみたいだな・・・)

人間だってひと頃は同じ事をやってますよね。都会では電柱の影や露地で、田舎では広々とした大地に向かってやりましたね。子供の頃は連れションでどちらがより遠くまで飛ぶか競ったものですね。(小名木川の土手からやってる子供たちの写真に期待!)今じゃパッキングの壊れた水道のチョロチョロ垂れ流ししか出ない年齢になってしまったけど・・・。

ネコの件だったが我が家の庭にやられたときはひどかった。一度やると同じ所になんどもやるから極めて濃度の高い超悪臭は数年経つが現場はまだ臭うよ。そこで庭一面に砂利石を敷いたら、垂れた後に砂をかける作業が出来ないので来なくなったよ。

たかしくんの言うとおり「フン害に憤慨だ」の気持ちはよく分かるよ。近所の野良猫にエサをばらまく行為ははたして動物愛護なんでしょうかね、とボクは思うわけです。

                     小さな親切大きなお世話・・・

・大納言 猫の写真は いいけれど 糞尿だけは 撮らないでくれ

Re: 棚田だすなあ やっぱす

そうですか、棚田が稲作の本流ですか?
でも、稲田朋美は勘弁してください!
おちょぼ口にだまされないように……。

Re: 糞尿弾

猫派の旗色悪し秋の風。しかし鳴海さんちのようなど田舎にも野良猫がいるんですね。いや失礼。しかし犬のマーキング行為も半端ではない臭気を放つようですよ。幸いにして現在の写真技術では臭気まで送ることはできませんな。

小名木川に土手はありませんでカミソリ護岸が続いていたんですが、最近やっと我が団地付近も遊歩道が完成しました。でも都会の子供達は行儀が良くて、川に放尿など決してしないみたいです。

のの字を書く哀しい猫のハナシ

鳴海さんのコメントはいつもあったかいなあ!
あの頃は、エサやりおばあさんの顔が偽善家のように見えてしょうがなかった。エサやりで猫は救えたのかなあ、と思っていた。

それでですねえ、猫哀史をちょっと。姪が横浜に住んでいるんだけど、まだ北海道にいた頃、道端でしゃがんでいる猫を拾った。どうも様子がおかしい。表情がない。怯えている。かわいそうになって親の住んでいる150キロほど離れた町まで連れて行った。
 けど、その猫は真っ直ぐ歩けない。歩き出すとクルット回って元に戻ってしまう。試しにエサを離しても、エサにたどりつくまで何度もクルクル。そこで推測した。この猫は何年も狭いゲージに入れられていてまっすぐ歩くということを知らないのではと。被虐待(と推定される)猫はそのまま横浜に連れて行かれた。「の」の字を書いて回るから、名前は「のの」と付けた。
 何年もその習慣は治らなかった。怯えは少しずつなくなっていったけど。やっと直線歩行したころに、またくるくる回る。

小さい頃の心身の傷はなかなか治らない。その猫は。推定17年くらいは生きたろうか。ある冬の朝に。小生のところに電話があった。「ののが死んじゃったあ」

のの字書く 命が旅立つ 冬の朝

それ以来、猫の「人生」をなんとなく考えるようになった。幸せな猫だけではないということを。100匹の猫がいると、100匹の哀しさがあると。

Re: のの字を書く哀しい猫のハナシ

猫を捨てる人は非難されることはないのに、餌をやる人だけなぜ非難されるんでしょう。なんちっちっち。
ののは長生きしましたね。獣医に診せれば原因が何か分かったのではないかと思いますが……。

・糞臭き猫にも猫の命かな
・ひたむきに生きて悔いなし猫一匹

棚田に夕張を見る

かっては耕作適地だった棚田が「不適地」にされたのは、ご存知1962年の農業基本法に始まった大規模化、機械化の流れ。下流域が「規模拡大」適地とされた。そして今、TPPで日本農業は絶滅の危機にさらされている。



棚田と重なるのが、かの「夕張市」。空知山脈をブチ抜いて掘られた大炭鉱が「役立たず」にされたのは1970年代、オイル(石油資本)の流入。13万人もの人口があった「炭鉱都市」はあっという間に人口1万人そこそこに。今はうち捨てられた「寒村」になって赤字自治体の「見世物」になっている。その一方で、札幌のススキの産業(フーゾク)は大いににぎわっている。札幌には旧産炭地から移住した人々がうごめいている。


 棚田、TPP、夕張崩壊、すすきの産業の賑わいの背後にあるのは「資本」という300年位前に地上に大発生した巨大な怪物。結局「資本」という怪物にひれ伏している時代が続く限りこうした問題は続く。そう「戦争法」を動かしているのは日本と米国の「資本」の戦略。そして軍産の癒着。人が死んで兵器産業は大儲け。商売繁盛でめでたし、めでたし。
 かくして「資本」に行き着くことで、「現代」が見えてくる。



私たちは日常の些事の中にも、個別の問題に振り回されるのではなく「資本」の正体を見抜きたい。

Re: 棚田に夕張を見る

コメを食べると頭が悪くなる、と言った学者もいましたね。
どこに敵の忍者が潜んでいるか分かったものではない。

「吾輩」をさしおいて猫談義は失礼じゃぞ

吾輩はこんな人間が好きであるんぞ

 猫である「吾輩」を差し置いて悪口を言ったり、褒めたりすることは許せん。「吾輩」にも言わせてほしいものだ。
 吾輩は、人間社会に住みながら人間に馴化されず、野生の「自然性」を失わず、気ままに生きている。そんな吾輩の姿に癒される人間は、「内なる猫性」との同質性を感じているんじゃろうなあ。だから、吾輩がたとえ糞をたれ流そうと増殖して周囲に迷惑を与えようと目をつむることができるんだ(ニャーン)。



猫である「吾輩」から見ると、そんな愛すべき人間とは吾輩と同じく人間社会に馴染まず、没世間、没社会はたまた没政治、いやこれはちと言い過ぎかな。ともかく吾輩も「自己安住型」かつ「自己没入」型人間が大好きなんだ。どこかで一大事が起ころう、はたまた戦争が起こりそうであろうとも、「あっしにはかかわりねえことでござんす」と気取って、それでいて口だけはくちゃくちゃしゃべっている姿が「吾輩」に似ていて大好きなんでござんす。そりゃ猫派の真骨頂でござんすからねえ。
 

だけどなあ人間様よ、たまにや人間は人間らしくしてほしいなあ。これが吾輩の本音なんでござんす!ニャー!!! 猫は知らんふりしていてもちゃんと人間の品定めをしているんですぞ。そこんところはお忘れなく。

 

Re: 「吾輩」をさしおいて猫談義は失礼じゃぞ

ほほう、ニャンリンガル・アプリの効果は絶大ですな。
猫の言うことがまるわかりです。

人間らしくとはどういうことだか分かりませんが、「内なる猫性」との同質性を感じている人間と、それに反発する人間がいそうです。後者の人間は、猫のハナを付き合わせればすべてが了解される能力を畏怖し、一貫性のない制度的な言語での統率と抑圧に活路を見いだします。それをしも人間らしいというならば、我輩はむしろ猫界の門を叩き、屋根の上から人間界の醜態を見つめて暮らしたい思いです。

ニャニ? ニャンリンガルは人間の言葉は翻訳できない? ニャルホド、言葉を持ったこと自体、人間にとっての不幸かもしれませんからね。

増山たづ子のはなし

ダイナー氏が紹介してくれた増山たづ子の「みなシマイのあとに」をちょっとショックを受けた。岐阜県徳山村の「徳山ダム」を88才になるまで取り続けた。その持続する意思にただただ頭がさがる思い。夫を戦争で亡くした後、彼女は何を思い、沈みゆく村を取り続けたのか。写真による「記録」の威力をあらためて思い知る。時間があるときに、増山たづ子氏の写真集をじっくりと見たいものだ。



だいぶ前に、公共事業と地域開発を調べていた頃、ずいぶんとダムを調べた。南は熊本の五木の里(「五木の子守唄」の舞台)の川辺川ダム。最後まで一人でダム底に残ってたたかった人から聞き取りをした。ダムは先祖伝来の土地を奪い、人々の絆を「札びら」でズタズタに引き裂き、自然を破壊する。そのほとんどがうそいつわりで人々を騙し、科学者は金に釣られて開発側についている。ダム開発あるところは原子力ムラだらけ。
北は北海道の下川町のサンルダム(天塩川流域)まで。

「ルピナスが 咲き乱れる地も ダム底に」

干拓については韓国の全州まで2回出かけた。
青森の岩木川ダムも。もうダムの機能を果たしていないけどね。調査報告書を書いただけで本は書けなかったけど、「開発」に翻弄される人々を見てきた。
 




ダイナー氏のブログ更新もそろそろの時期かな。通りがかりさんが通ってくれないのでショックの様子。申し訳ない……の思い。

Re: 増山たづ子のはなし

九州・韓国まで出かけて調査とは大変なご苦労様です。
ダムという自然破壊的な治水方法には批判も多いのに、この土建国家は一向に改まらない。民主党政権で注目を浴びた八ッ場のほか秋田の成瀬、熊本の川辺川など、地元でも賛否が分かれたりしていますね。もともと、ダムを決めておいて賛成か反対かもないものです。たかしくんの調査結果は何も報告書という形でなくても、まとめられるのではないでしょうか。

ブログの更新が滞っているのは通りがかり人さんの撤退のせいではありません。身辺諸々アタマを押さえつけられたり足を引っ張られたりで、視界が不透明になっているのが原因です。もう少々お待ちいただければ幸いです。

静止する思考を学ぶ

ダイナー氏に「静止する思考」を学ぶ

写真っていうのは…今まで真実を暴き出すというか、ベトナム戦争の強烈な「戦場のカメラマン」の印象があって…。社会派系以外には興味がなかったような。ダイナー氏の野辺地の景色の「雲を見る目線」を教えられけど,正直なところ風景画を見る程度の感想だった。

しかしですねえ、ここのところ、ちょっとちがってきた。写真はもちろん静止画像なわけですね。この静止している「画像」の持つ意味を考え始めている。静止しているのは、画像ではなく、カメラを向けている人間の視線のたしかさ。「静止する視点と思考」ともいうべきか。そのことの大切さと特質を教えてくれているように思い始めている。
 前述の小生の調査の場合は、もちろん定点観測ということばがあるけど、観察者の目線がはたえず動く。記録ももちろん動的記録。いつどこで何をしてどうなって…という式の。それが「報告書」になるんだけど、その危うさもまた「静止画像」の前では問われている。「君はそれでいいのか…」という。 
 元気なころはずいぶんあちこち出かけた。イギリスからオーストラリアまで「調査」に出かけて、本になったのも少なからずあるけど、報告は「学会」という業界の中で発表したらあとは消耗品。最近、某大学での戦争ハンタイの講演会では、そうした「研究成果」を「ゴミの山」と揶揄していた人物がいたが。そうだよなあ、と思う。


しかし「君はそれでいいの」と静止画像の猫の目線が、じっとこちらを見ているような気がしている。毎日「センソー反対」でいささか気が立っているせいかな。猫の目が異様なくらいこっちに迫って来る。めったにない「思考の逆転」をダイナー氏に教えられたような…。サンキー(サンキュー アイルランドの飛行場の客室乗務員から聞いた訛りのある発音です)

Re: 静止する思考を学ぶ

ははあ……静止画像の目は制しているが故にこちらが見ている限りは永遠に見返します。目をそらした方が負けですな。試みに要らない写真の目の部分をマジックで塗りつぶしてご覧なさい。視線の呪縛(といっていいのか)がいかに強力なものであるかが分かります。

サンキーですか。アイルランド以外でも通じますかな?

関係の写真家

ダイナー氏の説明では増山たづ子は「類い稀な関係性の写真家」と評している。
よかったら「関係の…」というのは、どんな意味なのか知りたい。コミュニテイでの「関係性」なのか、カメラを撮影する増山と被写体としてのダム底に沈みゆくムラとの関係性なのか。

なんとなくわかったつもりで読み飛ばしていたことがよく読むとわからないことがある。


視線の呪縛ですか…人間でも猫でも視線が他者と関係を「呪縛」しているということですか?
ためしに目をマジックで隠してみましょう。

「サンキー」とは、おそらく「サンキュー」の変形。簡単に「サンクス」という場合と同じで、語尾の短縮形かな。つまりyouは省略されて、サンクの最後の子音が伸びてキーと聞こえる(のではないかな~)。若い女性がこのように言っているのを聞くと、なんとなく可愛いい表現に聞こえるから不思議なもんです。


今日は大通り公園で2回目の北弁連主催の戦争法反対の集会。弁護士がハンドマイクを肩にかけて、リズムをつけてシュプレッヒコールを叫んでいる。仮に法律が通っても、日本中で違憲訴訟が山ほど起こって、実行を阻むような気がしている。これほど憲法を破壊した法律はかってないのだから。

今朝4時台に起きて仕事をしていたから、疲労は極限でしが…。このアベの無法が通ったら、子々孫々に申し訳なくて死んでも死にきれない。自分が戦争の匂いをかいだ最終の証人だと思っているからかも知れない。それで行列に加わった。
 今日は自分の演説がない分だけ、体力的に楽です。

Re: 関係の写真家

>若い女性がこのように言っているのを聞くと、なんとなく可愛いい表現に聞こえるから不思議なもんです。

かわいい女性でないと効果がないんでは?

「関係の写真家」については
http://dynagom.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
または
http://dynagom.blog.fc2.com/blog-entry-204.html
などを参照してください。

余計なことかもしれませんが、心身をいたわって続けましょう。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

この記事のトラックバック URL
http://dynagom.blog.fc2.com/tb.php/347-6b70bd89