夢十夜9 

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久々にリアルな夢を見てしまった。仕事場で先輩がバックナンバーを見て欄外の何とかを確認せよと言うが、書棚にあるのは縮刷版でそこまで細かいところが見えない。そう言うと先輩は向こうで怒鳴り出したが無視してやる。激しい地震が起きて、川岸に建つ船のような形のビル(現実にそのビルで働くことが多かった)が川上に動き始め、皆が慌てふためく。ビルはごちゃごちゃした所でやっと止まった。さっきも同じことがあったようだがよく思い出せない……。
私にとってリアルの仕事はいずれも完敗だった。私の言動は行く先々でパニックを引き起こした。大納言さんは勘弁してくださいという声は私にも聞こえないわけではなかったが、軌道修正はうまくいかなかった。それが職場を追われる原因の場合もあった。多くの人が私のしでかす脱線事故を修復してくれたのだ。団地の自治会でも同じような事情だったろう。私のためにノイローゼになった人、胃潰瘍が悪化した人は数知れない。仕事が最小限となった今、ようやくそのことを振り返る荒れ地に立ったがもはや遅い。明け方の夢はそんな記憶を正当化しようとしつつ、居直りきれないオブセッションの断片であろうか。

西尾真代「13番地」2014
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絵が好きだという知人が、昔「絵は奥が深いが写真は表面で止まってしまう」と言っていたのを思い出す。写真を拡大すればフィルムの粒子(デジタルならば画素)に還元されるのは間違いないが、それは絵画も同じ。知人の言うのはもっと抽象的な話なのだろう。掲載の画像は西尾真代の個展「Pastscape」(ギャルリー東京ユマニテ)から。写真をもとに描いている。ならば写真でいいのではないかと思ったのが、観に行くきっかけだった。彼女が言うには、写真は色彩が一定せず自分の記憶とも違う。この作品は祖父の家が取り壊された跡を撮った写真をもとにしているが、色は下地に使われているだけで、一見モノクロームの写真のようだ。エニシダの花に子供時代の彼女が写り込んだ写真は、すっかりにB/Wに変換されている。鮮やかなエニシダの黄色に違和感があったと言う。記憶を絵画にするのではなく写真を介在させ、写真の力を借りながら写真の〈記録〉を遠ざける……彼女の手法は、同様の横尾忠則の「Y字路」シリーズや宮本三郎の民家における写真と絵画の関係とも違った困惑を写真家に突きつける。この個展は終わりだが、同じ京橋付近では北井三郎「北京―1990年代ー」(ツァイトフォトサロン)や「鉄道遺構・再発見」(LIXIL)が開かれている。

強行採決に終わった安保法制に関しては内田樹氏のこのコメントが秀逸だった。

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コメント:

写真と絵

西尾真代「13番地」2014は絵と写真の区別がつかない。「昔『絵は奥が深いが写真は表面で止まってしまう』」と知人が行ったそうだが、もちろん物理的現象をいったのでは無く個人が感ずる心象をいったのだろう。
絵も写真も見る目が素人のボクにとっては、抽象的だの心象的だのの深い意味はわからないが、好きな絵をじっと見つめていると、絵が無限に広がって妄想なのか想像なのか(夢なのか)がかきたてられる。
写真は、現実は写るが真実は写らないという人もいる。でも写ったその現実は「現実の瞬間の数秒前の過去」でしかないから、その過去から真実を探しだそうと見つめると、絵とは違った夢が想像出来るから写真も素晴らしい。
写真を見て絵は描けるが絵を見て写真は写せない、とボクは思うのだが絵も写真も未だに抽象的な物は理解出来ないでいる。絵を見て撮せる写真家はどんなものを現すのだろうか・・・

Re: 写真と絵

念写ですな。念じたものが写真に写るなら……悪用しそうです。
これは写真ですよ。え~~~っ! なんちゃって。

なお、西尾さんは若くて知的な印象の女性でした。

高齢期の危機と統合

久しぶりです

 戦争法はひとまず終わりました。しかし負けた気がしません。不思議と活力が湧いています。破滅に至る前に、それを止める知恵を国民がもっている、と信じるに足る事実がたくさんあったからです。


ダイナー氏。高齢期の特有の「危機と統合」の只中にいるのだと、思いを同じくして。その悩みの深さを共有しています。
エリクソンという人が人生の最終時期の「老年期」についてまとめた本があります。過去を振り返ると、悔やむことのみ多く、そして現在を張り切って生きるには体力も気力も経済力?もない。孤独な人生の最終段階の危機をどう乗り切ったらいいのか。
 この問題に真剣に取り組んだ人はまだ少ない。


 常にセンターに所属せず、異議申立人として生きてきた者として、高齢期の孤独は、とりわけ身に沁みます。そして繰り返しPTSDのような悪夢にうなされることも少なくない。若いころのように読書への情熱も読書力も低下している。課題のみが膨らむのに、それを乗り越える気力がない。

今、「何を信じどう生きたらいいのか」と悩んだ青年期の苦悩の時期を再び体験しているようなやるせなさを感じている。この年になって、まだ危うい。未熟すぎる。何にも先を見通せないどころか、ますます暗中模索の中をさまようような心境。


写真のことは再信します。

Re: 高齢期の危機と統合

高齢期の危機と統合の只中にいる……そうでしたか。私だけの問題ではないとも言えるわけですね。悠々自適の老後を楽しんでいる人もいる一方で、ないないづくしの隘路に迷い込む老後もある。マスコミなどは前者を中心に豊かな老後をとの論調か、さもなくば老後破産の脅かしが目に付きますが、前に紹介した老年学のテーマになりうる問題かもしれません。
期せずして今日は敬老の日。老いを軽蔑してはいけませんね。

今日は「敬老の日」?冗談でしょ

え、今日は敬老の日?高齢者虐待の政治ばかりしておいて、「侮老の日」とでもいうべきです。社会保障費は小泉時代をはるかに超える削減率。年金は下げるし、医療費も上がる。介護制度も危機的。これで戦争法によって海外派兵したら、たちまち国家財政は窮迫する。年金なんて限りなく減らされますぞ。

それにしても19日の特別委員会の裁決はどうみても「採決」の実体をなしていない。醍醐 聡らによる「無効」の呼びかけが急速に広がっています。ご覧ください。ぜひ署名を。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-bd74.html

Re: 今日は「敬老の日」?冗談でしょ

ありがとうございます。
さっそく署名しておきました。

署名

怒り心頭で体調不良!署名は何とかしたけど出来たかな?
たかしくん、無理せずにネ。僕たちの資本は自分の身体と真摯な心しかないのだから。(しかしこれすらも危うくなってしまってか)
「無理が通れば道理が引っ込む」今度はそうは問屋が卸さないゼ!安倍晋三よ。今に見ていろ。必ず天誅がくだるから・・・。公明党の山口も同様だ、このバチ当たりめが。

Re: 署名

鳴海さんも無理しないでくださいよ。

しかし、これだけのメチャクチャやったというのに安倍の支持率はまだ30パーセント台。どうなってるんでしょう。できたら内田先生のブログにも目を通しておいてください。

ぬえの党はジミン・こーもり党のおぞましさ

鳴海さん、怒りも体力ですよね。元気になったから怒りも出てくる。怒りをエネルギーにして生き生きと暮らそうぜ!

公明党を、ついでに自民党をぶっつぶせ。これほど悪質な政党はない。まあ、コウモリ党は学会系の企業が公共事業に参入するための政治部隊という本質を見抜こう。
中央でも地方でも、要すれば「信心」を装って「実利」をむさぼっているのがこの政党の本質。だから政党の責任なんてはじめから不要。要すれば見かけをとの都度取り繕って権力と裏取引をすればいいのだから…。


今日TVを見ていたら、地元衆議院議員はなんと「私は一議員にすぎない。安保問題をあれこれ言ってもダメ。党の執行部が一番情勢をつかんでいるわけだから、我々はそれを信じるしかない」とほざいた。まあ、自民党も公明党も開いた口がふさがらない。


「集団的自衛権」とは、もともと大英帝国が植民地での利権を守るために編み出したことばという。自国に脅威がなくても他国軍に加担して利権を守る軍事行動のこと。これを認めたらどんな戦争も正当化されることになる。



 鳴海さん、まったくその通り。支持率がまだ高いのは、サンデーモーニングで岸井さんが語っていたように、「安保法」賛成の国民の多数は「国際情勢の変化から日本を守るためとまだ誤解しているんですよ。ここを打ち破らなければならない」と。街頭でチラシをまいていると、「中国をあのまましていていいの。やっぱり必要じゃないの。集団的自衛権」という反応が結構あった。「えーとですね!集団的自衛権というのは日本を守るためのものじゃないんですよ。わざわざよその国へ行って戦争をすることなんです。これ認めたら日本は戦争に巻き込まれてしまんですよ。それを誤魔化して自衛権と言っているんですよ。ほんとのことわかって下さい」と何べんも繰り返してお願いしたことか。
 マスコミから刷り込まれているんですよ。北朝鮮や中国の脅威とか。単純な国民は、それでも「シューダンテッキジエイケン」は必要なんじゃない?と素朴に思っている。


ところで、鮮やかな彼岸花。これで絵ですか?と思ってしまう。
「記憶を絵画にするのではなく写真を介在させ、写真の力を借りながら写真の〈記録〉を遠ざける」。なるほど。では絵と写真の折衷ということですか?友人が海外旅行するたびに写真を下敷きに絵を描いていたことを思い出す。ダイナー氏の解説は、ここに書かれていることで十分とは思いますが、まだ?という気持ちもあります。デッサンは省略されるんでしょうか。

Re: ぬえの党はジミン・こーもり党のおぞましさ

> 中央でも地方でも、要すれば「信心」を装って「実利」をむさぼっているのがこの政党の本質。だから政党の責任なんてはじめから不要。要すれば見かけをとの都度取り繕って権力と裏取引をすればいいのだから…。

なーるほど。元々下半身は信仰と言っても現世利益で、いわば現世次第でどうにでもなる類いですからね。PTAでの君が代問題で彼らからびっくりするような民族派的発言を聞いているので、上半身がいくらいいことを言ってもだめだくらいは分かっているつもりでしたがね。昔々革新党と政策協定を結んだことなど忘れたかな。

> 今日TVを見ていたら、地元衆議院議員はなんと「私は一議員にすぎない。安保問題をあれこれ言ってもダメ。党の執行部が一番情勢をつかんでいるわけだから、我々はそれを信じるしかない」とほざいた。まあ、自民党も公明党も開いた口がふさがらない。

これが実態です。よくぞ本音を言ってくれた。つまりみんな右向け右の一兵卒に成り下がっているんですな。法案を成立させるための駒(数字)でしかない。武藤貴也がいっぱいいると思えばいいでしょう。

> ところで、鮮やかな彼岸花。これで絵ですか?と思ってしまう。
> 「記憶を絵画にするのではなく写真を介在させ、写真の力を借りながら写真の〈記録〉を遠ざける」。なるほど。では絵と写真の折衷ということですか?友人が海外旅行するたびに写真を下敷きに絵を描いていたことを思い出す。ダイナー氏の解説は、ここに書かれていることで十分とは思いますが、まだ?という気持ちもあります。デッサンは省略されるんでしょうか。

友人は写真と絵画の関係に満足しているんだからそれでいいと言えます。西尾真代さんはそこに懐疑的だったことが創作の原点になった。写真は見えてもいない細部を写しすぎるとも言っていました。デッサンは必要でしょうね。

エセ敬老の日

シルバーウイークを使うと9連休になるとか。在職単身赴任の頃は、春と秋の連休は嬉しかった。でも今は迷惑だ、恐怖だ。なぜって?病いのデパート高齢者にとって病院は休みになるので、急変したら救いようがないと思うからなのだ。

ダイナー氏曰くの「侮老の日」同感ですね。敬老会への誘いも来なくなったし、マスコミや行政のとってつけた「お年寄りを大切にしましょう」などのごますりコメントもほとんど見聞きする事がなくなった。
政治から高齢者を敬う心がなくなったからだよね。年金は下がる、物価は騰がる、農家の実態はよく分からないが、自然災害がこう続くと被害は結果として消費者に被さってくるんだよね。
この間の秋祭りで露店がたくさん出ていたがともかく高い。病院で採尿する紙コップくらいのかき氷が何と500円、焼き鳥も同様だった。スーパーで見たソフトボール大のレタスが300円だった・・・ア・キ・レ・タ!!

通りがかり人さんお元気ですか?

                   気分だけでも秋を愉しみたいネ・・・

・山里の 棚田のみどり いつの間に 黄金の色の 穂に変わりたり
・棚田にも はや秋の色 風のいろ 黄金まばゆき 里山の峰
・棚田にも はや忍びよる 秋ひとり 空と交わり たそがれは来ぬ
・一面の 棚田早くも 黄金色 麦穂も赤み 夕日にゆらぐ

Re: エセ敬老の日

「侮老の日」と書いたのは私ではなくたかしくんです。

私もうっかり常用薬を切らしてしまい、往生しているところです。官製の休日をつなげたところで消費はアップしないし、庶民の幸福も訪れないと思いますね。かき氷500円のぼったくり商売が横行するのが関の山です。要りもしないオスプレイを高額言い値で買わされているくせに、老後が危ない消費税上げだ、介護料値上げだと煽っているのは無法です。

通りがかり人さん、今頃どこの空……大晦日までには帰ってきてください(寅さんじゃない!)。

・この秋も孤独の気配曼珠沙華
   

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