旧友と故郷の町を回る 

帰省前から抱えていた数本のメルマガが捗らなくて参った。ブログがなかなか更新できなかったのはそのためだ。ぽろぽろと体裁の不統一が判明して掛かりきりで直したが、最後は語句の重複が自力で解消できず、その原稿は後に回した。挙動不審なMicrosoft Wordの表組みにはだいぶ慣れたが、依然気の抜けない仕事だ。
   
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野辺地行きは3日~5日、大人の休日倶楽部を使っての旅だ。3日は少し早め10時半の新幹線で八戸へ。盛岡を過ぎると車内はだんだん東北弁が多くなり、いわて沼宮内の辺りで小雨が降り出す。八戸では雨ではないものの、冷え冷えとした大気に北へ来たものだと実感。うっかり薄いジャンパーしか持ってこなかったことを後悔する。
野辺地はもっと寒い。まず弟の車でお寺へ向かう。事前にお墓の草を取っておけと命じたのだが、彼は大のお墓嫌いだ。案の定全然やっていない。ボウボウの草を手でむしって埃を水で洗い流し、ようやく挿せるだけの花を供え、ろうそくを立て線香を上げる。掃除している間、弟は車でワンセグを見ているだけ。話にならない親不孝者だ。その後、写真を飾っているエーワンライズに寄ると、若い社員が入社して机のレイアウトが変わり写真のスペースがちと狭くなっていた。不動産屋は景気がいいみたいだ。夜は雨の音が聞こえた。

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4日は母の三回忌でお寺へ行く。弟が支度に30分も掛かっているので、どうしたのかと思ったらネクタイの結び方を忘れたという。私も自分のは結べるが向きが反対になる他人のは難しい。適当にぐるぐる巻きにしておく。三回忌といっても2人だけなのでまことに寂しい。住職は阿弥陀経を唱えてくれた。しかしお墓に行くと雨が強く降り出し、お寺のビニール傘を借りて凌いだ。読経中、住職の線香箱が濡れるのを見ていた。午後は上小中野の開拓道路を散歩する。寒いのでもっぱら父の冬物ジャンパーを借りて着る。A氏から電話だ。メールにも書いておいたのに東京にいると思っているようだ。

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5日はお昼に同級生のO君と駅前で落ち合い、松浦食堂で私はホタテ丼(親子丼の鶏肉の代わりにホタテが入っている)、彼はカツカレーを食べ、コーヒーを飲みながらしばし語り合った。彼は下北各地で教員を務め、校長で退職して大湊に住んでいる。暫く音信が途絶えており、顔を見るのは久しぶりだが昔と変りがない。原因不明の胃の不調があったものの、ピロリ菌を退治したらすっかりよくなったとか。弟さんの理髪店も繁盛しているし、我が家とは対照的だ。その彼が結婚式を挙げたのが松浦食堂の筋向かいのK旅館だったことを忘れていた。大学を出る年の正月に松浦食堂の2階に同期生数人で集まったこともあった。

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その後、彼のアクアで廃校になった我々の中学校跡を訪ね、想い出にふけった。水神宮から浜町を通って水神宮公園を巡り、愛宕公園に寄って展望台に上ったが雲が多く眺望はイマイチだった。しかし下に降りると雲が晴れ夕日が輝きだしたので、競うようにカメラのシャッターを切った。彼とは駅前で別れる。これからも時々会いたいものだ。
18時06分、いつもの青い森鉄道で帰路に着く。来るときとは違って平日の上り新幹線はガラガラだ。待つ者は誰もいないが急に東京が恋しくなった。

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未来圏からの風

ローカル新聞のコラム欄に『未来圏からの風』のタイトルで載っていた。「未来圏からの風をつかめ!新時代を担う君たちと共に」。宮沢賢治の詩「生徒諸君に寄せる」からの引用で、本年度の全国高校PTA連合大会のテーマだという。

ボク達はこの風で多感な青春時代を過ごしてきた。この風をうけて新しく正しい時代を作るべく、大人になってそれなりに悪政と闘ってきたが、国家に徹底的に弾圧されてしまった。
未来圏の風は当然親世代のボクタチにも吹いている。自分たちもそれを感じ、つかもうと努めて今、安倍独裁政権に立ち向かっている。全国の老若男女が筵旗を掲げたのだ。
野辺地の「未来圏からの風」が吹いた跡は「兵どもが夢の跡」だったんだろうな。
啄木にこんな歌があった「ふるさとの土をわが踏めば何がなしに足軽(あしかろ)くなり心重(こころおも)れり」今回の帰省で墓参の苦労と友人との再会をこの歌から感じたのだ。(追記;闘病期間の歌整理したら再開したい・・・)

Re: 未来圏からの風

おおっ! 未来圏はわれわれ少年時代のキーワードでしたね。
賢治の「生徒諸君に寄す」はたかしくんに言わせると「スローガン」だそうですが、こんな素晴らしいスローガンはありません。

消滅した中学校のことは改めて書こうと思っていますが、中学・高校……あの頃使われた「平和」という言葉には掛け値なしの平和への希求が込められていました。それを最終的に貶めてくれたのが安倍晋三です。平和は戦争の同義語になってしまいました。彼は何より言葉の破壊者です。

♫新たなコペル 時代の子……

ふと脳裏に浮かぶ中学時代の歌の一節ですが、何の歌だったか思い出せません。これも賢治の「スローガン」に依っています。「コペル」とはコペルニクスのこと。重苦しい重力の法則から我々を解き放せ、というのでしたね。

「強」共感感情で筆がストップ

ダイナー、鳴海氏さんへの感謝

 ダイナー氏の帰省についてのブログ、そしてそれへの鳴海氏のコメントの文。筆からでまかせ(正確にはパソコンを打つのは話をするくらいはやいから指からでまかせ…というべきか?)の小生とは比較にならない名文。筆(指)が重くなってしまった。沈黙するしかなかった…。


鳴海氏の啄木の歌の引用「ふるさと…足軽く心重…」。まさに現在の心境です。この「うた」とダイナー氏のさみしい「法事」の景色が重なって、強度の「共感感情」に襲われて、心が重くなってしまった。
近頃とみにこんな「感傷」というか「哀しみ」に襲われることが多くなった。

故郷は、小生にとって妻が癌との筆舌に尽くしがたい闘病を思い出させるところ。「帰省」すれば、今でも妻の闘病を思い出す。それでいて、秋になれば八甲田の紅葉を見たいという思いがつのる。帰省したい気持ち、それと同じくらい帰りたくない気持ちが交錯する。

 亡くなる4か月前(妻が永眠したのは10月)に、まだ歩けた頃に、初夏の十和田湖に誘った。がん細胞がからだを蝕むにしがたい、不思議と風呂に入ることを好むようになった。湖畔の宿で、温泉で温まって「いいお風呂でした」と言っていた妻の様子を思い出す。夫の都合だけで長年単身での生活を余儀なくされた妻に対して、今でも罪の意識を持ち続けている。

 
ダイナー氏。ふるさとはなんと懐かしくそして悲しいところなのか。父親の冬のジャンバーをきて墓前に立つ姿は、ひょっとしたら「父親」に似ていたのかも…。

鳴海さん、闘病生活の期間の歌の整理をぜひ完成させて下さい。



 

Re: 「強」共感感情で筆がストップ

知らず知らずたかしくんの禁断領域にパルスを送り込んでしまったようですね。こっちがアタフタしました。
何とも返しがたいものがありますが、アダルトサイトでも見てくださいと……。

ふるさと満載

今回のブログはダイナー氏のふるさと満載

写真をいっぱい見せていただき、ただで旅行させてもらった気分。何よりも、この町特有の雲雲…。空高く広がっている雲。

~はろばろと雲湧き立ちて、ゆたかなる南部広野~の歌詞がなぜか自然に出てきました。

常夜灯にも深い思い出が。愛宕公園にも。この地も「六か所の核燃サイクル施設」で狂ってしまった。
「電事連」などの電力業者が地域支配をするということはどんなことなのか、「独占資本」の地域支配戦略をいやというほど見せつけられた。まさに「
なんでもやる」のです。その結果、この土地は何を得たのだろう。人口が減少し、高齢化し、町はすっかりさみしくなっただけなのでは。




思い出しますねえ。あの頃。

Re: ふるさと満載

> ~はろばろと雲湧き立ちて、ゆたかなる南部広野~の歌詞がなぜか自然に出てきました。

湧いて流れてせめぎ合うようなダイナミックな雲のドラマが野辺地の風景の身上ですが……今回はちょっと風がなかった。作詞は歌人でもあった横浜正大。野辺地の欠点を見事に美化していましたね。31日は首都圏在住14回期生の同期会です。

南部広野ではなく南部広原ではなかったかな?
原燃・経済問題については改めて書きます。

鎮魂のうた

たかしくんへ
十和田湖は季節を選ばない名所ですね。青葉若葉の初夏の香りが溢れ、奥入瀬渓流の道なりに見せる滝・滝・滝に感激したものです。鏡のような静かな湖面を、ゆっくりと進む遊覧船から見る湖畔の碧は、ただただ目にも心にも鮮やかに焼き付き、そこは二人だけの神秘の世界でしかありません。永眠なされた奥様は、歩けるうちにそんな世界の感動の景色を、瞼の奥深く閉じ込めた事、夫に対する行く末の諸々を心配した事ことなど、全ては、運命の出会いから夫婦相和し、寄り添ってきた幸せの幾星霜が『いいお風呂でした』のひと言に込められていたのではないでしょうか。
奥様の命日の神無月に思いのたけを込められたコメントに胸が熱くなりました。
長年留守を守ってきた奥様も単身生活をしていた事になる訳ですが決して悲しみごとは無かったと思います。

ボクも長年単身赴任生活をして来ましたが、そこまで考えたこともなく楽しんでいました。でも癌で入院手術を受ける際、医師から最善を尽くしきれない場合もあるといわれたときは辛かった。妻や子供に内緒で万が一に備えて手紙をしたためたり、仏壇に飾る写真も写真館で撮って手紙と一緒にして病院に持って行きました。今月末で術後半年になります。来月早々には半年後の経過観察をCT撮影するそうです。さてどうなることやら・・・。

亡き奥様に哀悼の意を表し、たかしくんに贈る鎮魂の歌(亡き妻を忍びて)
・慟哭の 君に捧ぐる 慰めの 声もなければ こころさぶしき
・亡き妻の ふる里はまだ 近すぎて 行けぬ哀しさ 心苦しき
・亡き妻の その想い出の 重きこと ふる里はまだ 遠すぎてあり
・亡き妻の 想い出深き ふる里は 時の止まりし 慟哭の里
・慟哭の 極みにたちて なお止まぬ 愛しき妻を 奪いしは癌
・ふる里に 眠れる妻の 影濃かり 訪ねあぐねて 慟哭止まず

旬の食い物

帆立丼食いたいなあ~。サンマも小さくて高くて買えなくてまだ食っていない。旬のものと騒がれる松茸なんかここ数年、いや数十年も食ったことが無い。稲刈りも天候不順で進まないところが多いし、雨のため手折れているところもずいぶん見受けられる。新米は最近ようやく食った。ワイフの古くからの友人が贈ってくれたので有り難いことだ。それにしても食い物全てがえらく高値だ。

アベシンゾウの新・三本の矢とかいう代物、ありゃ何だ!誰かが言ってたが「一億総×××」とつくと完全に危ないそうだ。70年前の時代にさんざん使われた用語なそうで、これが始まると新戦前の幕開けだという。いやもうすでに開けていたんだっけ。
新・三本の矢、アベシンゾウクン自分の胸に打ち込んでみろ!旬の物が食えない恨みは恐ろしいのだ。

                       ご母堂の三回忌に寄す・・・

・古き友 母の供養の 三回忌 草むす墓地に 泪するかな
・ふる里に 父母眠りたる 墓参り 我が身もいつか 眠りたる墓
・母想う 心とどかぬ 弟よ せめて墓前を 清めたまえと
・三回忌 母の苦労の 生前を 想いに潤み 雨にうたるる
・哀しみも 少し和らぐ 三回忌 雨の墓前の 読経寂びしも

鎮魂の歌 ありがとう

鳴海さん
心のこもったメッセージ、そして歌を詠んでくださいまして、ありがとうございました。温かいことばに目がうるんできました。しかし…過ぎ去った過去は返らないものです。こればかりは仕方がありません。もう北国は雪の便りです。


今日、手術して11か月目の定期診察に行ってきました。術後の経過はいいのですが、今度はしつこい「逆流性食道炎」に悩まされ、医師に相談をしたら、その医師も同病で、いつも行っている胃腸科専門の病院を紹介してくれました。小生がかかっていた病院の医師が最近行方不明になってしまって弱っていたところなのですが…。
 日中は大丈夫なのですが、夜中や朝方に腹部の調子が悪くて目が覚めてしまう。ちょっと不吉な予感がします。この状態がもう3年近く続いているのです。症状は変わってきつつありますが。

Re: 旬の食い物

依然として野菜の高止まり。これもアベノミクスでしょうね。鮭の切り身も高いしいことありませんな。しかし、日本人はおとなしいからくだらない新三本の矢を後生大事に一億総崩れまで行くんじゃないでしょうか。

歌ありがとうございました。

鳴海氏の6首のうたに寄せて

鳴海さん
 六首のうたにあらためて深謝します。深く生きる勇気を与えられたような感じがしております。今までもっぱら散文によって思索し、音楽を心の支えとしてきた者として、初めて直接的に私に宛てた「定型詩」に心を動かされています。少し前に進む気持ちになっています。「宝物」としてずっと持ち続けたいと考えています。お礼の返歌もする力量もありませんので、公開したブログでお礼を申し上げる他ありません。

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