四十町 

四十町

 ――小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす

人口に膾炙した土屋文明の歌である。四十町は昔の八郎右衛門新田。舟入川の両側に家が20軒ずつ40軒あったので四十町となった。現在の東砂6~8丁目に当たる。葛西橋の手前から荒川に平行に南へ延びる道が、四十町通りと呼ばれている。今は写真のように小工場もなく、酸素熔接のひらめきなど見るべくもない静かな通りである。この地に文明の歌碑くらい建ってもいいと思うのだが……。

この歌は『短歌研究』昭和8年新年号に発表された。前年、東京市が隣接5郡82町村を合併して35区になったことを記念して歌人たちの競作を試みた時の作品で、城東区を受け持ったのが分明であった。『ふゆくさ』で叙情歌人として出発した文明だったが、この頃から無機質な叙景あるいは即物的な描写に新たな短歌表現を求める傾向が強まっていく。字余りなど破調を多用した晦渋ともいえる歌が数多く生み出されるのである。城東区というテーマは文明にとって天の配剤とも言えた。ゴツゴツした晦渋な表現は、近代文明が発展する一方で治安維持法が敷かれ共産党が徹底弾圧されるなど、戦争の兆を孕んだ時代へのコミットメントであり違和の表現だったのではないだろうか。この年の1月にはヒトラー内閣が成立、2月、小林多喜二虐殺、3月には三陸地震・津波で死者3000人余。日本は満州撤退勧告案可決を不満として国際連盟を脱退。東京音頭が大流行するなかで、治安維持法の検挙者は最多となる。日本の綿布輸出量はイギリスを抜き世界第1位となるが、低賃金を武器とするソシアル=ダンピングに非難が巻き起こっていた。
  

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