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隻眼の黒猫テル 

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6時頃寒くて一度目が覚めたので、ヒーターを数分点けてトイレに行き、寝直したところ次に目覚めたのが11時。寝たのが通常通り2時だからほぼ9時間眠ったことになる。明け方に寒くて目が覚めるのは冬期の常で、深刻な問題だ。敷き布団が少々へたってきたことや、マットレスが同様にへたったことなどが関係しているかもしれないが、マットレスなど買おうとすると結構高い。前の冬は保温シートを下に敷いたりした。

前に書いたツナ餃子の話。時々作り続けていたが、多少コツが分かってきたので記しておく。まず素材として千切りキャベツをさらにカットして使っていたが、餃子はざく切りの方がいいという説があり、一度使ったことのある餃子用のカット野菜(旭物産製)に戻した。しかし、このカット野菜は消費期限が短いこともあり、調味料やツナを混ぜた上で保存するしかなく、そうやって保存した方が味が馴染んで大変美味となる。味付け(特に塩)はほんの少しだけでよい。半日も置いておくと水が出てくるのでそれは捨て、時々かき混ぜる。
その後ダイソーで買った餃子包み器が活躍するが、包み終わったら小麦粉でいいから取り粉は必ず付ける。ツナだから焼くときの水は少なめに。ただ最後の焼き色を付けるのだけは上手くいかない。どうしても生白いうちに上げてしまう。最後は強火で一気にやった方がいいかもしれない。

                    
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砂銀へ行く途中のお宅に黒猫がいる。左目が抉りとられ痛々しい。奥さん(?)に声を掛けて写真を撮らせてもらい、ついでに名前を聞くとテルだという(私は勝手にクロと呼んでいた)。通り過ぎてから奥さんが追いかけてきてどういうことでしょうかと聞くので、単なる趣味です、猫が好きなのでと答えたが納得してくれただろうか。奥さんは中年の半ばくらいだと思うが、よく見ると結構美形であった。同じ通りの古書店で佐藤佐太郎『短歌作者への助言』(1979)購入、100円也。

                                  
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このところ立ち寄ることが多かった新宿二丁目のギャラリー、ポルトリブレが今年末で幕を下ろすという。ポルトリブレとは自由港という意味で、話し好きなオーナー平井勝正氏の人柄もありいつもたくさんのアーティストが集まっていた。幕引きの理由は入居しているビルの建て換えということだが、文字通りに受け取るわけにはいかないようだ。

                        
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コメント:

殺伐とした時世なんだね

サンクチュアリの建物進んできましたナ。完成すればその向こう側は隠れてしまうんでしょうか、また景観が狭まりますか。

「あどけない話」という高村光太郎の詩に『智恵子は東京には空が無いという、本当の空がみたいという」、「私は驚いて空を見る」
同じ空を見上げた人間ふたりの、悲しみを超えてそれでも寄り添う愛がそこにあるのではないか、詩の愛好者が言っていた。
その時代、今のような空が隠れるほどのコンクリート卒塔婆はなく、空は見えただろうが、やはり、本当に見える空は「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が智恵子の本当の空だという」。石川啄木の「・・・ふるさとの山はありがたきかな・・・」を思い出させる。

故郷の空が本当の空という表現に、ふと思い出したことがある。寂れたふるさとの人影のない町並みとその周りの淋しげな自然風景をブログでみたとき、唐突だが先に述べた「あどけない話」を思い出した。どんなに寂れてもふるさとの空は自分がいつか帰る空なのだ。そんな気分にさしてくれる。
ついでに言えば毎回出てくる「ネコ」も、ただ単に好きだから撮り続けているんじゃないのだと思っている。
どんな気持ちがあっての事かは理解できないけど、左目を抉りとられた痛々しい黒猫をさらりと語っているが、顔を見せない撮り方に加害者(なんであれ)に対する言いようのない怒りがこもっているように思う。
「抉りとられ」ともいっているが、心の深遠はまるで地下のマグマ溜りがふきだしたかのようである。もしこれが「左目がない・・・」といったとしたら、もうそこにはネコとヒトの間に垣根を作ってしまって撮影者の感情が伝わらなかったかもしれない。

詩を愛好する人間からすれば、ボクのとらえかたには誤用ががあるかもしれない。写真も同じでさっぱり読めないけど、今回「隻眼の黒猫テル」からそんなことを感じた。
自作品にはさっぱり物語がないんだなと思っているけど、ま、そこに気がついただけで自己満足しても許されるだろう。  (彰)

Re: 殺伐とした時世なんだね

ありがとうございます。
東京の空は、だだっ広いワイドスクリーンに大河ドラマが展開するようなもので、1日中スペクタクルを見せてはくれますが、いわば個性がない。東京の街と同じで限界もなければ拘りもない。道灌や家康がここを選んだメリットではありましょうが、時には、おい、もうちょっとなんかないのかよ、と突っ込みたくなりますね。智恵子さんの感じたもどかしさと同じかどうか分かりませんが……。

黒猫テル……「抉りとられた」にそんな深い意味は考えていませんでした。「抉り」は想像ですけど、猫には猫のドラマがあったのでしょうか。砂銀へ行くときに奥さんに会ったら経緯を聞いてみたいと思います。

餃子と冬の寒さ

やあ、ご無沙汰しておりました。
餃子の話、これは私にとっては、とても面白い。料理本に転載してほしいくらい実に勘所がわかって、興味深い。一度挑戦してみたくなる。それともごちそうしていただこうかな。

冬の寒さ 前回も気になったが、私の場合は、汗をかくのでどうしてもふとん類が湿気を吸って、保温性が低下してしまう。かといって冬は外気にあてて乾燥することもできないので、1週に1回くらいは布団乾燥機のお世話になる。この布団乾燥機は、夜間手足が冷たくなって眠れなくなったとき、10分くらいに時間設定すると、布団全体がジワーと温かくなって、実にいい、というわけで、冬の必需品だ。大納言氏は、すでに試しているかもしれないが・・・。

ファシズム 「過去」を説明するこのことばが現に目の前で進行していることに慄然としている。32%の得票(比例で自民と書いた得票)で、6割を占める虚構の絶対多数。少数者が国を乗っ取り、軍国化をすすめている。今の日本を記録しようと思う。毎日の一つ一つの動き、権力だけではなく身辺の「私生活主義的無関心」や「他人事政治評論=観客型政治談議」「若者の政治的無関心」などは、ファシズムを下から支える巨大な流れとし、記録される必要がある。
そう考えたら、大納言氏のブログが誰かによって消されない限り、のちのファシズム研究者の大事な資料になるにちがいない。もちろん、そうならないように、できることは最大限したいと思っているが。
諦めに追い越されたとき、ファシストは勝利の凱歌を歌う。追い越されてはならない。

Re: 餃子と冬の寒さ

おお、元気でしたか?
例によって天気の上下動が激しくてついていけませんね。北国育ちはいつ雪が降ってもいいようにしていないと落ち着かず、つい厚着をしてしまう。布団乾燥機は以前買ったことはありますが、使っていません。ここは冬でも午前中は日が射すので不便はありませんが、午後は夏でも急に涼しくなります。布団乾燥機も現在のは風船みたいな袋が必要ないらしいですね。本当はもっとこまめに干して布団を労るべきでした。布団さん済みません。

餃子づくりは前にも書いたと思うけど、適当につくっても餃子の味がするところがスゴイ。知人からエビを入れるという話を聞きましたが、エビはちと高いのでね。大豆ミートというのか人工肉も見かけますので、これを使うのもありでしょうか。検討中。味のためではなくボリューム感を保つためです。

「諦めに追い越されたとき、ファシストは勝利の凱歌を歌う」、そうか……。
虚構の多数と日米同盟への盲信、政治アパシー、マスコミの二分化。
先日3日の集会へFs(白クマ)氏などは行ったのかもしれませんが、何万人集まってもアベもスガも蛙にしょーべん状態。高村だって引退したはずなのに要職に居座っているようじゃないの。アイツの姑息さには反吐が出ますね。それに野党だ。小沢は今回の事態をどう考えているのか、もう声も出ないか!?

立冬のあとで・・・

今の季節、稔りの秋は夏の出口、冬の入り口ともいう。二十四節気の由来の中で、いまどきの凡人が何とか覚えているのは「立冬」かもしれない。
昨年より10日も早く「木枯らし1号」が吹いた東京では「立冬」を実感されたのではないだろうか。
まもなく来る一年の中の最後の二十四節気「冬至」は、クリスマスの商業ベースに払拭されてしまい、今ではどれほどの人々が覚えているだろうか。

今は昔、この時期になると秋野菜の収穫も終わって、食べられる野菜もほとんどなくなる。そのため冬を元気に越せるようにと願いをこめて、栄養豊富で保存も効く「カボチャ」を食べるのが習わしで、薬のない時代カボチャは風邪の予防薬として特別大切にされていたのだ。子供のころ「冬至」にはカボチャを食べさせられた記憶だけは残っているが、何のためかはすっかり失念しまっていた。

ハロウインは外国の宗教的な行事「万聖節」が発祥となっているそうだが、単なる商業ベースの日本的お祭りゴッコに乗せられた日本人の節操の無さを感じる。カボチャをおもちゃにして、日本には不釣合いな“ゾンビ遊び”している実にくだらん外来害種行事としか思えない。

冬至は「一陽来復」の日でもあり、悪運リセットの日ともいわれ、転じて悪いことばかり続いたあとでも、ようやく幸運に向かう日とされている。
まだちょっと早いが、ボクの今年の回顧で大きな事象は、昨年からの長い入退院を今年の如月で「寛解」の判定をもらったことだ。いずれは再発するといわれてはいるが、今年も残す師走を穏やかにすごし、新年を迎えられれば「それで良し」としよう・・・。

追伸
ボクは昨日インフルエンザ予防の注射をしてきた。自己負担は1,200円だった。今年はクスリが少ないといわれているせいか平日でも子供たちがたくさん来ていて半日もかかった。
インフルエンザウイルスもこの時期そろそろ暴れ出してきたそうで、今やっておけば効き目が出るのは3、4週間後くらいだから、三ケ月は効果があるといわれた。健康体でないボクにとってのひとつの保険みたいなもんだナ。

待っている間、医院においてある雑誌をみていたが、今の時代でも「かぜ」と「百日咳」との鑑別は困難で、大人も子供も季節を選ばず発症するという。百日咳は、百日菌を病原体とする感染症だという。そういえば子供の頃に「百日咳」というやつをよく聞いたけど、これまた忘却の彼方の病名になっているが、ボクにとってもあらためて厳重注意の季節でもある。  (彰)


Re: 立冬のあとで・・・

立冬から冬至へ。いよいよ迫ってきましたね、我が誕生日。
光陰矢の如し。100歳が目前となってしまいました。

おっしゃる通りハロウィンはただのバカ騒ぎになってます。クリスマス・カーニバル・ハロウィン、形ばっかりまねして何が楽しいのか。反米憂国の私としては憤懣やるかたない。カボチャは嫌いじゃありませんが、なかなかね。

インフル予防接種は一度も受けたことがありません。今年も受けないと思う。ワクチンの副作用も無視できないようですし。

ブログの更新が少々遅れています。御勘弁を。

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