「月の沙漠」に悩む 

                          
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年末年始はいつになく体調が悪かった。12月の気温も例年より低かったようだが、私自身寒けが続き、年末は下痢がひどくて積極的に外へ出る気がしなかった。30日の誕生日はお金を貸しているY君と新宿三丁目のさくら水産で少し飲む。今度も返済は繰り越しだが、やむを得ない。除夜の鐘ギリギリにメルマガの最後の原稿が3本入ってきた。これはまた難しい。先生(筆者)が大変な苦労をして書いていることがよく分かるので、真剣勝負である。年が明けて3日、ようやくUP。多少やり取りがあって再度手直しをし何とかまとまった。

                           
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年賀状が届くのは嬉しい。残念だがもう恩師の賀状は来ない。年賀状の表面のデザインはそれぞれの工夫があり感覚の違いがあり、性格がよく表れるところだろう。蝶の写真家S氏の賀状には、「人生初の入院」とさりげなく書いてあり驚いたが、秋の個展のさなかに倒れ20日間入院したとのこと。名前からしてすこぶる危ない病気だと分かる。中学の同級生のYさんからは、母親が百歳になったとあった。大変めでたいことで私もあやかりたいと思う。百はもう珍しい歳ではなくなったようだ。
もう1つ私が注目したのは、宛名面の印刷のことだ。手書きはともかく、パソコンでつくっているならばこちらもバランスを考えたいところ。宛名のフォントは「筆まめ」の流麗行書体が抜きん出ているが、私のは「はがき作家」という廉価ソフトなので、AR祥南真筆行書体で代替するしかない。いずれにしても、宛名面がやっつけだと目出度さも半減する。こちらのほうが表面よりもっと性格が表れる部分と言えるかもしれない。

                        
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正月早々ちょっとしたトラブルがあった。前にも書いたことのある「月の沙漠」のオルゴールを流す灯油販売がどうにも我慢できなくなった。30年聴かされてきたが、一度も苦情を言ったことがなかった。しかし、今度はたまたま用があって下へ降りるとすぐ前に止まっていた。チャンスだと思いトラックに近づいた。近くへ行くと音は意外と大きく話ができないくらい。若い運転手に窓を開けさせ「音がキンキンしてうるさい。小さくするか時間を短くしてくれ、そこの棟の者だが」と言いかけるやいなや、彼は「じゃここでやらなきゃいいんだな、そういうことだな!」と話を遮って切り口上を噛まし車を動かした。販売業とは思えない柄の悪さである。車の後ろを写真に撮っておく。しばらくするといなくなっていた。
下記のようなサイトがある。個人で苦情を言ったりしないようにとあった。こういうケースは犯罪だから警察(110番)に通報するのが効果的らしい。
「灯油の巡回販売を利用しないでください」
     

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コメント:

転ばぬあとの杖

元日、家族一同が集まって新年会をやった。二ヶ月ぶりに少しだけ飲んだ。深夜から翌日にかけてまたまた胃痛!新年早々今年も病いとケンカか、と思ったが二合足らずで可怪しくなるはずがない、とよく考えたら柿が二日酔いに効く、飲む前に食べると良いというので少々食い過ぎたため、胃腸が冷えすぎたせいだった。三日目にはおさまって一安心した。

ボクの今年の抱負は「病いとケンカしないこと」にした。ちょっとした体調の異変があったとしても、心配ばかりしてそれをストレスにしないこと。「転ばぬ先の杖」だけに頼りすぎないで、病いと仲良くしていけばそれが健康つくりになるんじゃないかと思うことにしたからなのだ。
昨年来の病いが歳月の節目を越えたからと言ってご破産になるわけでもないから、自分を客観視していけば悲観主義から少しは離れることができるかもしれない。これは新年早々のボクのグチではない、自己自身を励ますコールだ。

ダイナくんも体調不良の年末始だったそうだがそれでも居酒屋で飲めるんだから羨ましいよ。Yくんとの関係は分からないが、お互いどんな思いで盃を交わしたんだろうか。今年もそんな関係が続いてほしいものだ。

何かの折にことわざ辞典を見ていたら《転ばぬ先の杖》が目に止まった。そんなこともあってか、では、「転ばぬあとの杖」ならどんな意味になるんだろう、なんて愚にもつかないことを考えてみたが思いつかない。

ボク自身に納得のいく答えをさがしたら、「日本転倒予防学会」なるものを見つけた。学会では、高齢者の転倒をどうしたら防げるかが最も重要な課題だというし、「転倒」に関する本では「早く杖をつく習慣をつけろ」などと主張している。
しかしこれには異論する声もあって、何回か転んでみて骨折しない転び方を覚え、自分は転ぶようになったんだと自覚して初めて杖を使うようにすべきで、高齢になったからと言って元気なうちから杖に頼って生活していくのはどうなんだろうかという。バリア・フリーにたいしても反対する意見もあるそうだ。内にいても外に出ても段差だらけだから、むしろ足を上げて動く意識を保つ必要が大事だという。転ばないために、日々筋力を鍛える努力をする方がいいのだ、とそんなことが書いてある本を読んだせいかボクがボク自身を納得させる答えが「転ばぬあとの杖」の意味じゃないかと勝手に思った。 (彰)

転ばない足腰 転んでもいい足腰

2足歩行の人間は、そもそも転ぶようにできているんだから、杖も必要だが、なるべくは転ばない足腰、転んでも大丈夫な足腰が必要かな、と思いますが。いずれにせよ杖はないほうがいいよねえ。

月の砂漠には厳しいねえ。大納言氏。その行商の男も自分や家族の生活のために必死なんだから、ちょっとくらい見逃しても(聞き逃しても?)と思うんだけど、30年も我慢してきたのだから、そのときは我慢できなかったのかなあ。そう思う私が間違っているかなあ。少なくとも、その人は悪人ではないような気がする。だめですかねえ。もっともっとワルなオトコ(オンナも)がこの世にはいるけどなあ。

 今朝のサンモ二、世界の8人の人間が約50%の富を独占しているという。少し前は30数人だったけかなあ? どっちみち、こんなに格差が開いている現実を直視すると、現代の金融資本主義が限界に来ている、次のシステムを見つけなければ、人類は破綻する、というのが大方の議論の方向。ところが一番若い元朝日の記者が「資本主義をどうこうできない。代わりがないのだから・・」「戦争は心の中から出て来る?」とか抜かしやがった?」え?!わが耳を疑った。なんと幼稚な発言よ。この男、世界史を勉強してきたのかよ。帝国主義戦争は「心の中に悪いところがあって起こった」のかよ。基本的な世界史の知識もない若い者が多くて、こまるねえ。

資本主義は産業革命から始まって、わずか300年程度のシステム。この制度がこれだけ矛盾をはらみ、それが、貧困と格差、それによる政治の右傾化、〇〇ファーストとかいう風潮を生み出しているとしたら、その歴史的限界に思いをいたす力もないのかねえ。バカなオトコだ。若いのに。

 毎年年頭の「サンモ二」は、時代の問題点をきわめて大きな視野で掴み提起する。近頃、一部の疑問を除いて、寺島の理屈が説得力がある。
 それにしても、思い出すのは張本がかってオバマが広島にきたとき「やっぱり総理大臣はアベさんでよかった。」と口走ったこと。この人は被爆者なのだが、完全な歴史音痴。スポーツバカと言ってもいい。せめてスポーツに興ずる10分の1でも「世界」や「歴史」「政治」の勉強をしてほしいなあ。日本のスポーツマンはどうしてこうも政治的鞭で頓珍漢な人物が多いのだろう。

今年は、もう少し神様が生かしていてくれたら、チエロを覚えたいなあ。ピアノを60年以上やっているけど、弦楽器へのあこがれはやまない。今からやって、アマチュアのオーケストラに出れるのは、80歳を大きくオーバーしているかなあ?そのときは現世にはいないだろうしなあ。でもせめてオーケストラのチエロパートを演奏ができたら。あ、それとソロの演奏会(バリトン)。冬の旅の全曲と詩人の恋の全曲は、あと3年のうちにやりたいなあ。ははは・・・初夢は大きい方がいいからね。でも、ホラじゃないぞ。笑うなよ!
 
 

追加訂正

政治的「鞭」は、「無知」ですね。ミスタッチ。失礼しました。

追伸 
安倍を背任容疑で取り調べよ!
巨悪を退治せよ。

Re: 転ばぬあとの杖

「病とケンカしない」、それは正しいかも。病というより現代は健康がストレスになっています。毎日毎日、マスコミは正反対の健康情報をたれ流します。健康情報からのストレスもまた相当なものですが、五木寛之のいう「ほどほど」に付き合うのが正解なのでしょう。
「転ばぬ先の杖」転じて「転ばぬ後の杖」ではよく分かりませんが、「転ばぬ先の知恵」ではどうでしょうね。しかし杖をつくより転び方を覚えろというのは暴論では? 老人にとっては一度でも転ぶことが大敵ですから。

ところで、柿を食うのもほどほどに!

Re: 転ばない足腰 転んでもいい足腰

「月の沙漠」については、音楽を愛する人として少しは共感してくれると期待していたんですがね。あなたがピアノを弾いているときに頭から「月の沙漠」を流されたらどうでしょうか。いささかガッカリしました┓( ̄∇ ̄;)┏
これは小悪大悪の問題ではなく、生活と生活のせめぎ合いですよ。彼等は「月の沙漠」を聴かせて商売をしているわけではなく、他の手段で宣伝して商売を続けることは十分可能です。今回はいくつかのネット情報で困っている人が多いことを知り、戦う方法があることも分かりました。それで私の立場で主張をし、とりあえず改善したので満足しています。小悪と戦わずして大悪との戦いはないと言いたい。今日は30年ぶりに静かな日曜日でした。

最近、録画装置の調子が悪く、今日も「時事放談」から録画設定したのに何も録画されていませんでした。「サンモニ」は途中8時過ぎから手動で録画しました。したがって前半の1時間を見逃しましたので、なんですが、元朝日の記者とは古田大輔のことですね。他のコメンテーターとはかなり逆向きの発言をしていたようです。本当のアンポンタンは出さないでしょうから、何らかの本質的なものを含んでいるのか……もう少し見極めたいところです。

チェロに挑戦、なかなかの初夢です。是非成就させてください。100歳オーバーも夢ではないのでね。

また出た国の土地代値引き

今日の毎日新聞が報じていますが、「山梨県内の国有地を地元の学校法人が約50年無断で使い続け、管理する財務省関東財務局が把握しながら放置した末、2016年5月に評価額の8分の1で売却していたことが明らかになった」。理事長の梅沢重雄は日本文化チャンネル桜の発起人の一人。このテレビ番組には安倍晋三も何度か出演しているそうです。

老後の初心

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」、有名な狂歌だ。そんなことが新聞に載ってたので気になったが、人生100年時代だからお迎えが来るのはまだ早いというものだ。では、今年を含めて残された期間の長さのなかで何ができるか、するべきかを考えた時に思い浮かんだのは、今年が免許更新で後期高齢者に指定され、認知症検査があるというものだ。
田舎ほどマイカーがなければ老々介護も含めて生活の不便が大なのだ。もちろん健康あってこそのことだから、新年の始まりに鑑み「老後の初心」という言葉を借用してみた。
年を重ねるといろいろな面で無理がきかなくなるし、頭も固くなる。そうした限界を克服するために時々に応じた工夫をして人生をどう生きるか考えよ、論語に「六十にして耳順う」という言葉もあるじゃないかだとさ。
なら、人の意見には素直に耳を傾けることをもってボクなりの「老後の初心」とし、血圧が上がるからすぐ切れないようにしようと決意することにした。「ならぬ堪忍するが堪忍」も長生きのコツかもな。

騒音強制販売カー、我が方の灯油の巡回販売車は「雪やこんこ あられやこんこ。降っては降っては ずんずん積もる。・・・」をがなりたてて回ってくる。でも、通常取引しているスタンドが来てくれるから、素性の分らない巡回販売はだれも相手にしないからさっさと帰っていく。
ま、うるさいといってもチョイの間だから気にならない。でも、以前にテレビなどの廃品回収車が来た時、ちり紙交換同様なにがしかの現金かちり紙など置いていくものだと思って出したら手数料を取るという。冗談じゃないといって積んだトラックから降ろさせたが、その時の引きつった顔面の恐ろしかったことを思い出した。最近の老若男女はすぐ切れるから個人で苦情を言ったりすると危険じゃないかと思う。触らぬ悪魔に祟り無しだよ。

ところで新年の好天に誘われ、写真界の巨匠・篠山紀信の写真展に行ってきた。
会場に入っていきなり度肝を抜かれた作品の大きさに、六畳間を二部屋つなげた位の作品の大きさに圧倒されてしまった。十間近くも離れないと全体像が観えないのだ。作品の素晴らしさに酔いしれてしまった。
今回のテーマは「写真」そのものに備わっている強力な「写真力」をあらためて世に問う展覧会だと謳っている。アイドル、俳優作家、力士らの肖像は写真のもつ強い力やその可能性までも気づかせてくれる圧倒的なまでの迫力に満ちた世界を楽しませてくれている。

「鬼籍に入られた人々」の作品では写真家は往々にして「時の死」の立会人だという。それは写真家生活を通じての実感であるとともに写真というメディアの本質――撮られた瞬間から「過去」のイメージであることを宿命づけられている――についての洞察ともいえるという。
また、すごいと思ったのは「東日本大震災で被災された人々」の肖像写真である。篠山紀信をしてすぐには現場に行けず、現場で何をすればよいのか分からず、行くのが怖かったからだと言わしめている。
未曾有の災害を前に写真家としてそれを「無かったこと」にすることはできなかった。
事態をことさら悲劇として強調するのではなく一切の演出も指示なしにありのままを受け止める姿勢で被災者たちの立ち姿を収めた。
廃墟となった所を背景にカメラの前にたたずむ被災者たちは何を語り何を伝えるのか。それは撮影者、被写体の意図をこえたところにあるのではないか。
常々「写真は時代の映し鏡」といっているのに「僕が撮ったんじゃない、写真機が撮った。これも写真力」。巨匠でさえ臆した現場だったという。

いまではもっぱらスマホで撮れる時代だから「写真力」が多彩に広がることだろうが、そこに込める思いが何よりも重くなければならないことに変わりはあるまい。写真の力を与えてくれる被写体を意識して撮り歩くことも、「老人の写真」じゃなかった「初心」が叶えられる今年でありたいものだ。

追伸・・・・・会場で説明文をボールペンでメモしていたら、作品に悪い影響を与えるから鉛筆にしてくれ、といって貸してくれた。はて、その根拠は何ぞや。マスク不美人の娘っこに危うく切れるところだったが血圧の急上昇を考えてかろうじておさえた。それにしてもどこぞの展示会場でも監視員の、表情のない氷の彫像みたいな連中には悍ましさをおぼえる。だから本音を言えば展示会はあまり好きじゃないのサ。(彰)

Re: 老後の初心

順不同で感想を述べますけど、展示会とあるのは展覧会がふさわしいでしょうね。この手の会場や図書館ではボールペンや万年筆を持ち込み(使用)禁止にしている場合があります。作品や蔵書を汚染から守るというのが主眼ですが、図書への書き込み事件が起きているようなのであながち建前とも言えないかと。近代美術館で写真作品をルーペで観ていたら、作品が傷むと注意されました。虫眼鏡で紙を燃やす遊びの連想でしょうか、天井の照明で数秒観て作品を傷めるとは考えにくいんですがね……。

ところで、キノヤマシキン……じゃなかった、篠山紀信ですが、昔からどうも付き合いにくくて……。震災被災地の人々を撮っていたとは初耳です。老若男女多数の人が被災者のポートレイトを撮っていますので、キノヤマ氏の作品も是非観たかったが、WEBでは代表作すら観られないんですね。大伸ばし展示の大きさに騙されないようにしたいものです。

巡回販売……雪やこんこんくらいなら可愛いと思いますが、月の沙漠のキンキン音は暴力です。スピーカーを上に向けて大音量で流すんですから耐えられません。コンクリートの団地はこの手の音には大変弱い構造になっていて、夏には花火の音が団地の内側で鳴り響き、これを制圧するのに10年掛かりましたが、そのため私は大事なものを失ってしまいました。ま、その話はまた別の機会に……。

廃品回収車もうるさい上、各地で色々とトラブルを巻き起こしているようです。しかしこれはオルゴールはなく、すぐ行ってしまうので「月の沙漠」ほどの害はありません。使う気にもなりませんが……。

今年の年末にはおっしゃる通りの認知症検査があります。認知症と言われたらギャフンですね。

ダイナー氏、こらえてくれ

今回、たかしさんの意見に救われました。わたしも、月の沙漠が悪い人に思えない。今のしょばにするには、多くの団地の住人や、競合するガソリンスタンド経営者との込み入った話もあった気がします。売っている場所についても、別の場所に移れば、いつもそこに、買いに来る人が、大変になる。団地なので、潜在的消費者も多いのではないですか。18㍑を提げていては、5階までが限度か‥
 実は私も、そういう石油販売で買っているのです。週2回、決まった時間に来てくれ、お年寄りには玄関先まで運んでやっています。注文して頼む業者さんもいますが、100近く安い‥また、昔はガソリンスタンドまで車で買いに行ったことありましたが、店員さんが、ふたをきっちり閉めてなくて、石油がこぼれて、車内に臭いが充満し、ほんとにまいった。私の注意も不足していたのだが。
 団地は私のぼろ家と違い、「石油ですよーーー」と、音量も大きくしないと、冬など閉め切った家ばかりですので、聞こえないと思うのです。私は団地ではないですが、耳がこのところ、遠くなり、外に出て、今か今かと、待っているのです。ダイナー氏よ、ミルナ氏の言うとおり、クレイムには気をつけて下され。切れることはあっても、なんとか、あと一歩、耐えて下され。
 今回は、30年忍耐がぶち切れる下地があった。月の沙漠に偶然会ってしまったことと、それから、いつにないダイナー氏の体調の悪さである。寛容がぶち切れる極限だったか。私も、たかしさんと、ミルナ氏の心配と、基本的おんなじです。
 

Re: ダイナー氏、こらえてくれ

悪い人だとは書いてませんし思ってもいません。柄は悪いけど……。逆にコンクリートの団地は小さな音でも反響し増幅されて聞こえるんです。平場の考え方とは大違いです。選挙の時の演説もそうですが、首売人から見ればあの一戸一戸が金(票)だと思えるんでしょうが、やられる方からは地獄です。そのことをご理解いただきたいのです。私は音がうるさいから具体的に、音を小さく、あるいは時間を短くしてくれないかと提案しましたが、彼は居直って去って行きました。妥協できたのにしなかったのは彼の方です。

音楽家二人からこんな反応が来るとは予想外でした。概略はすでに記事に書いてありますのでこれ以上は付け加えません。リンクを含めもう一度お読みいただければ幸いです。悩みがこんなにも伝わりにくいものとは……新年早々これでは先が思いやられる。

悩みは人のためならず

「月の砂漠」に理解と同情を示すかのような、たかしくん、通りがかり人くんのお説はごもっとも、とボクは思う。しかし、コンクリートの箱に響くこの上ない金属的な鋭い響きは、昨年の長い入院生活で嫌というほど味わったからダイナくんの気持ちも痛いほど分かる。

高齢者によくある耳の中でざわつく不快な耳鳴り、これも鋭い。ボクなんか若いころから今でも四六時中唸り音をあげているのに、これを増幅するようなノイズが居住のバリアを突き抜けて聞こえてくれば、狂いそうになるかもしれないな。自律神経をむしり取られる思いだ。
でも、大団地に住んでいて外出や重い荷物を持てない多くの高齢者らはどのようにして生活用品を手にしているんだろう。
多くの民の声なき声は、どちらをむいているんだろうね。必要に迫られているからガマンしているのか、トラブルに巻き込まれたくないから沈黙しているのか分らないけど、「月の砂漠」はそんなに頻繁にくるのかい?生活に支障をきたす時間帯にばかり回ってくるのかな。

《小悪と戦わずして大悪との戦いはないと言いたい。今日は30年ぶりに静かな日曜日でした。》ですか。ま、いいんじゃないですか、人それぞれですから。

しかし、高齢者しか住んでいない過疎地は、今や山里から市街地へと広がってきている。足腰が立たなくなって、庭先までさえ出られない高齢者の現状は、灯油に限らず巡回車コンビニも、軒先まで来てくれないと死活問題になりつつあるのが地方なんだ。《うるさい!》のひと声だけでは割り切れないのも現実なのだ。

今朝のサンモニ云々だが・・・
たかしくんのいうとおり、今に始まったことではないにしろ、日本史や世界史の知識もない記者の無知蒙昧、政治家と称するゴロツキ連中の悪行三昧方は目に余る。近年にいたっては、マスメディアを私物化している大企業・政治屋ゴロが垂れ流すトランプ流の似非ネタは、スマホという武器でマインドコントロールしているありさまだ。これはまさに凶器だ、狂気だ。
そのスマホの事だが、地方によっては高齢者にもたせて災害情報や空襲警報を流せばいいんじゃないかと。また徘徊、行方不明になってもGPSで探せるからいいとかなど、冗談なのか本気なのかが公然と囁かれている。
国民総背番号制=マイナンバー同様、現代の人別帳はすでに完成しているという。権力を握った一部の連中にとってスマホは人民支配の強力な武器ともなっているのだ。

・騒ぐなら春まで待とう巡回車、
・騒ぐなら燃やしてしまえ巡回車、
・騒ぐなら止めてみせよう巡回車

《悩みがこんなにも伝わりにくいものとは・・・》、結局ダイナくんにとっては「悩みは人のためならず」なんだよな。    (彰)

Re: 悩みは人のためならず

「月の沙漠」は冬期、1週間に1回でしょうか。だいたい日曜日のまったりしているときにやってきて、並びの棟も含め2、30分たっぷり聴かされます。テレビは全く聞こえなくなります。家庭では会話が途切れるでしょうね。この曲がなくアナウンスだけならこんな反感は買わないでしょうし、別の耳障りのやさしい曲を選ぶこともできるでしょう。私はそのことを言っているんです。

石油を使うお年寄りはどうしているのか分かりません。電話すれば持ってきてくれる店はあるのではないでしょうか。ただ、問題はそこではないんですよ。商売だからといって迷惑をまき散らしていいわけじゃないと思うんですが……。

記事本文に書いてあるように「うるさい」でかたづけたわけではなく、妥協点をさぐるべく問題提起したつもりです。「悩みは人のためならず」、そう、私のためです。参照リンクのタイトルが気になるかもしれませんが、私自身は巡回販売を利用するなと主張しているわけではなく、横浜地区、札幌地区、ましてや矢巾地区の販売形態までどうこうしようというわけではありませんので、お間違えなく。

よくわかりました

大納言氏の耳難、なるほどと十分わかりました。毎週日曜日まったりしている時間に2,30分、テレビも聞こえない音量とは、それは私でも頭にきますね。前言、訂正します。かくいう私も、昔近くで一時停止の違反者を真夜中(22:00頃)に緊急走行するパトカーと何度やり合ったことか。結局退治したが、騒音被害は「営業の自由」をはるかに超えていること、よくわかりました。

他の人も困っているだろうと思うと、「苦情は我が身ためのみにあらず」ですね。

さて、最近の若手の「モノ申す者ども」の学力のなんと低いことか。戦前史の基本すら理解していない「みうらるり」というアカウヨは、昭和19年頃から2年間を除けば戦前も「豊かな時代だった」と平然と「東京新聞」に書く。マヌケ丸出しで、結局先輩から同じ新聞でいさめられる始末。それでも、依然として醜い顔をTVにさらしている。受験に関係ない近代史は、おそらくほとんど勉強していないのだろうと思う。大学では、マルクスなんてまったく勉強しない。もはや知的退廃ですね。ゆがんだ人格=小型トランプが巷にあふれている。困ったことです。

Re: よくわかりました

ありがとうございます。騒音問題というのはまことに個人的でなかなか他人に分かってもらえないんですよ。中島義道先生の『うるさい日本の私』という本も出ていますけど、静音権が主張されるべきは沖縄の基地だけじゃありません。しかし、パトカーに体当たり……ではないと思いますが、よく止めましたね。抗議したんですか。

三浦瑠麗……うーーん、幸い最近お目に掛かってませんが、西原理恵子のヘイト騒動が出たり岩田明子のケースもあったり、女の右傾化は手が付けられない。

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