洗濯と信仰と 

曇りがちな空の一日、懸案だった下丸子の五十嵐健治記念洗濯資料館を訪ねた。

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五十嵐健治はクリーニング白洋舍の創設者であり、同資料館は白洋舍本社内にある。五十嵐は明治10年新潟県に生まれたが、生後8か月で生母と離別し5歳にして五十嵐家の養子になる。日清戦争が勃発すると軍夫を志願して従軍し朝鮮半島へ渡り、戦後、三国干渉に憤慨してシベリアへの渡航を企てるも北海道で裏切りに遭い、開拓地のタコ部屋に入れられる。寝巻姿で脱走し70キロ離れた小樽まで逃げ自殺を考えるが、そこの宿で中島佐一郎というクリスチャンの旅商人に出会い福音に接し洗礼を受ける。牧師を志して上京するが神学校には入れず、紹介により三越に入社。明治39年、10年勤めた三越を辞し自身の誕生日3月14日に日本橋に白洋舍を創立する。当時、洗濯屋は蔑まれる職業であったが、「人の汚れたものを綺麗にしてお返しする、これこそキリスト教徒の仕事にふさわしい」と語り信仰を土台にした経営を行った。その後、水を使わないクリーニングの研究に着手し、明治40年、日本で初めて独自のドライクリーニングの開発に成功。しかし、間もなく不慮の火災で大火傷を負い会社は廃業の危機に見舞われている。

資料館は多摩川のガス橋近く
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五十嵐健治については三浦綾子の「夕あり朝あり」(東京新聞他に連載された後、新潮社で出版)にその波瀾万丈の半生が克明に描かれており、私が白洋舍の創立者を知ったのはそれを読んだからであった。三浦は病床にあった独身時代、伝道に専念していた五十嵐の来訪を受け、そのことが後に彼女のキリスト教に入信するきっかけになったという。しかし私がここへ行こうとしたのは、例のアイヌ娘とのロマンスを披露した私設博物館のおじさんが、年内にもう一度アイロンの展示を企画して奮闘しているので手伝ってやろうと思ったからである。資料館のスペースはそれほど大きくはないがアイロンの展示もほどほどあり、受付のお嬢さん達も親切だしはるばる行ってよかったと思っている。もっとも年表とアイロン以外の展示品はほとんど見ていないが……。
五十嵐健治の一生を概観して思うのは、魚座の星に生まれた人ならではの博愛と自己犠牲の精神が遺憾なく発揮されたものであると同時に、多くの人との縁を欠かさず生かす力の卓抜さである。そのへんが我々凡人との差であろう。五十嵐は戦時下のキリスト教弾圧にも大変苦労したらしいが、後半生を伝道に費やし95年の生を全うした。

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夢十夜9 

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久々にリアルな夢を見てしまった。仕事場で先輩がバックナンバーを見て欄外の何とかを確認せよと言うが、書棚にあるのは縮刷版でそこまで細かいところが見えない。そう言うと先輩は向こうで怒鳴り出したが無視してやる。激しい地震が起きて、川岸に建つ船のような形のビル(現実にそのビルで働くことが多かった)が川上に動き始め、皆が慌てふためく。ビルはごちゃごちゃした所でやっと止まった。さっきも同じことがあったようだがよく思い出せない……。
私にとってリアルの仕事はいずれも完敗だった。私の言動は行く先々でパニックを引き起こした。大納言さんは勘弁してくださいという声は私にも聞こえないわけではなかったが、軌道修正はうまくいかなかった。それが職場を追われる原因の場合もあった。多くの人が私のしでかす脱線事故を修復してくれたのだ。団地の自治会でも同じような事情だったろう。私のためにノイローゼになった人、胃潰瘍が悪化した人は数知れない。仕事が最小限となった今、ようやくそのことを振り返る荒れ地に立ったがもはや遅い。明け方の夢はそんな記憶を正当化しようとしつつ、居直りきれないオブセッションの断片であろうか。

西尾真代「13番地」2014
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絵が好きだという知人が、昔「絵は奥が深いが写真は表面で止まってしまう」と言っていたのを思い出す。写真を拡大すればフィルムの粒子(デジタルならば画素)に還元されるのは間違いないが、それは絵画も同じ。知人の言うのはもっと抽象的な話なのだろう。掲載の画像は西尾真代の個展「Pastscape」(ギャルリー東京ユマニテ)から。写真をもとに描いている。ならば写真でいいのではないかと思ったのが、観に行くきっかけだった。彼女が言うには、写真は色彩が一定せず自分の記憶とも違う。この作品は祖父の家が取り壊された跡を撮った写真をもとにしているが、色は下地に使われているだけで、一見モノクロームの写真のようだ。エニシダの花に子供時代の彼女が写り込んだ写真は、すっかりにB/Wに変換されている。鮮やかなエニシダの黄色に違和感があったと言う。記憶を絵画にするのではなく写真を介在させ、写真の力を借りながら写真の〈記録〉を遠ざける……彼女の手法は、同様の横尾忠則の「Y字路」シリーズや宮本三郎の民家における写真と絵画の関係とも違った困惑を写真家に突きつける。この個展は終わりだが、同じ京橋付近では北井三郎「北京―1990年代ー」(ツァイトフォトサロン)や「鉄道遺構・再発見」(LIXIL)が開かれている。

強行採決に終わった安保法制に関しては内田樹氏のこのコメントが秀逸だった。

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青い鳥はデジタルの夢を見ている 

東北沢


17日は前立腺生検の結果を聞く日。台風の風雨が強い中、家を少し早めに出て病院へ向かう。緊張して臨んだが結果は白だ。がんはなかったという。半年後にもう一度PSAを調べ、上がっているようだったら考えましょうと言われた。岡部氏が前立腺肥大の薬を服用してPSAが下がったと書いていたので訊いてみたが、薬は出ないとのことであった。ま、ともあれひと安心だ。
しかし今回はなんだかヘンな展開だった。PSAがどんどん上がったのは事実だが、その後撮ったMRIの画像が専門のYクリニックの診断で黒に近いような表現をされ、すっかり焦ってしまった。地元のA医院で観た画像は確かにグチャグチャしているように見えたが、この日、有明病院で観せてもらった画像はその辺がさっぱり分からなかった。MRI画像の診断がなければ即座に生検をお願いすることはなかったかもしれない。有明の先生が言うとおり、PSAの推移を見てからでもよかったと思う(結果的に受けることになったとしても)。 こうなるとMRI検査の精密さも良し悪しと言わざるをえないがどうだろうか……。
なお、前回検査は14カ所と書いたが、実際は16カ所取っていた。

湾岸
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ギャラリー冬青で個展を開いている井本礼子さんに話を聞いた。井本さんは米国で写真学の修士号を取り、現在はブリュッセルを拠点にして活動する国際派フォトグラファーである。ちょっと見はどこにでもいそうな気さくなお嬢さん(…?)だ。これまで冬青で観た彼女の展示はすべてB/Wだったが、今回の個展『CUBA 青い鳥は海の向こうの夢をみる』は初のカラー作品となり、同名の写真集も上梓された。昨年、現実を大胆にデフォルメさせた「Dreamscapes」をキューバの2都市で展示した時に撮ったものだという。かの国の人々と触れ合いながら撮られた作品は、これまでのモノクロームからがらりと変わって繊細な色彩に透明感があり、キューバ物としてみても出色と言える。
キューバのアート事情はかなり特殊らしい。画家や写真家は職業としてなにがしかの給料が国から出るが、現実は裏マーケットでの取引がカバーしている。写真はコンセプチュアル作品が主体で、体制批判はご法度の由。ガイドブックにあちらでは政治の話はしないようにとの注意書きがあったというが、人々はそういう話も大好きで会えば結構大っぴらに語り合うようだ。シュルレアリスム志向が強い彼女の作品は思いの外好意的に受容されたという。写真はフィルムなど銀塩の感材が払底する中でデジタルに移行しているが、プリンターなどは何とかやりくりできるとして質のよい用紙が入手できず、それが作品制作のネックになっているとか。エプソンがデジタルプリンターを世に出すに当たって、最初に開発したのが用紙だったという話を思い出した。

広尾
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「教科書」を見に行った日 

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すっかりご無沙汰してしまったが、たぶんぐらついた姿勢を立て直すのに時間が必要だったから。今日は月1の大久保での会合だったが、とても行く気がしない。それに私自身、来週の生検と入院を控えて落ち着かないし、一頃滞り気味だったメルマガも次々入ってきており、これも物によってはかなり時間がかかる。白クマ氏のメタボ腹を奴突いてやりたかったがお預けだ。

さて、市民の声江東から市議選に出て落選したMさんから、「今夏の中学校の教科書採択にご注目下さい!」というパンフが来ていたのだがすっかり忘れており、たまたま見たら教科書展示会の期限は今日までとなっている。こりゃやばい! 
江東区教組からの呼びかけを受けたMさんのパンフの趣旨は、教科書展示会へ行き、意見を書こう、というのと、江東区教育委員会を傍聴しよう、というものだ。同封の区教組のパンフによれば、4年に1度の教科書採択の期限が迫ってきていて、新しい歴史教科書をつくる会系の育鵬社の社会科(歴史・公民)教科書が、東京書籍や帝国書院のものと並んで入っており、この3社が有力候補なのだという。教科書は8月下旬までに教育委員会で審議され採択される。今年4月に導入された教育委員会制度では、首長の権限が名実ともに強まる仕組みになっているとか。江東区長・山崎孝明は70以上の市区町長を糾合する安倍の私的諮問機関・教育再生首長会議のメンバーである。なお、つくる会は育鵬社と自由社に分裂したようだが、同じ穴の狢と見てよかろう。

慌てて駆けつけた東陽町の教科書展示会。最終日というのに受付の係員以外にいたのは2人で後に3、4入ってきたようだ。私は時間もなかったので大急ぎで有力3社の「歴史」と「公民」をざっと見した。意見は感情的な怒りや批判はダメで、認められるのはこれはここがいいという書き方だけらしい。また、皆同じ内容の文章は読んでもらえないそうだ。私は2枚、帝国書院と東京書籍の教科書を推しておいた。帝国書院はビジュアルのつくりが秀逸で時代の雰囲気がわかりやすく、東京書籍は尊厳死など新しい概念を積極的に取り上げているのが目についた。資料は来ていたのに予習が不十分で、全体の論点比較ができなかったのが残念。区長の意向が通ってしまうのだろうか。

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一方、国会での安保法制審議だが、山姥さんがブログのコメントに引いている「世に倦む日日」によれば青年将校の処分問題は単なる目くらましで、安倍政権はすでに民主党と手打ちしたのだとか。してみると、「カギは維新の動向」などという噂も猫じゃらし?

もはや旧聞に属するが、6月14日は劇団河馬壱公演「転石」を観に中目黒に出かけた。去年は盛り込みすぎでとりとめのない展開となったので、今年は期待した。私の研究では河馬壱はなぜか1年ごとに良し悪しが交錯する傾向がある。その法則は当たったようだ。複数の物語をつなぎ合わせて1つの舞台をつくるのは、河馬壱の得意とするところで、今回はメリメ「カルメン」や太宰(西鶴)の「猿塚」などをメインに5つの話を入れ、一同力演だがいささか重い内容もある。いぜれにせよ、観客に考える暇を与えず進み終わってしまうのがいつもの河馬壱スタイル。「転石」とは何か、などと考えるのは時間の無駄である。ワタシ的には長老のCOZYさんが脱けたのが寂しい。

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(7月2日記)
                

愛される秘訣 

平井


30日(厄日)は山口にいるM氏が帰ってきたので、女性を含む仲間が平井に集まった。彼は九州に住む小6の孫が剣道の全国大会に出るというので、その応援を兼ねての帰京だ。M氏の大先輩で家主のD氏も、80歳を過ぎて(足は不自由だが)元気に毒舌を吐いておられた。孫とはいっても前(いや、前の前だったか)の女房の子供の子供で苗字は彼とは違う。その元女房が九州に住んでいるのだが、M氏はまだ未練が断ちきれず、さりとて今の妻の手前、九州に行くわけにいかず、海峡の手前の山口に留まっているのだという。今の妻にしてみれば、前妻の孫の試合を追っかける亭主に同行はできなかったのだろう。去年は来たが今年は来ていない。D氏宅で飲んだ後、新小岩のスナックへ移り恒例のカラオケとなる。ここではまた別の仲間と美人ママが待っていて歌い放題である。

A氏がM氏にこんなことを言っていた。「お前の<地域>というのをバカにしていたが、最近少しわかり始めたよ」。M氏は「世界じゃない、地域だ」というのが持論で、我々は世界が扱えないから地域なんだろうと冷笑していた。M氏は前に書いた故鈴木一郎氏らと念願の地域誌を出したが1号で挫折し、あれから30年経つのに、<地域>なるものの実像は一向に明らかにならない。彼が某党派の政治同人誌に連載した「幕末・維新にあって現代に欠けるもの」という文章は意外にも好評だったが、巷間伝えられる幕末・維新の立役者のキャラクターは多くが虚像である。彼の文章はその虚像を洗い直す手続きを経ないままの無い物ねだり、架空戦記としか読めなかった。
しかし、この日彼のために集まった顔ぶれには感心させられる。よくもまあこんなにいろんな人に愛されるものだという思いである。彼は世話好きでサービス過剰、人を攻撃したりしない半面、ケツをまくったり後足で砂を掛けたりしても意に介さない大らかさを持っている。そういう無責任男のM氏が私などの何十倍も人に愛されるヒントは、世俗の中での身の処し方だろう。<地域>は振りかざす理念であるときは空疎だが、新小岩のスナックにあると思えば納得できないこともないのだ。