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如月より

芯なくば立たず。

かげろうの彼方に

その昔、江東・江戸川地域で活動した写団かげろうについては何度か書いてきたが、主宰者雪松覚先生の申し出が承諾できず会は分裂。私が会長になって出発したものの1年足らずで見事に行き詰まった。既に先生も他界し、事務局長を務めたU氏も亡くなったことを聞いたのは2年ほど前か。先日U氏のピザ店で彼を撮ったポジが出てきたので、状態はよくないが何とかプリントし奥さんに送った。返事が来て、犬と2人で暮らしている、駅前に30階建てのビルが建つ予定で様変わりします、とあった。分裂時の名簿を見たら平成元年1月13日とある。あれから30年余。かげろうの日々はかげろうのように遠い。同時にW君とA君を撮ったスナップもあったので両君に送ったが、返事なしだ。

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今年初めて歯科の診察を受ける。前歯に被せもの(プラスティック)を入れてもらったところ、両側でフロスが歯肉まで届かない気がしたが正常だという。私としては以前と違うし違和感が続く。それと、右下の骨が2箇所出っ張ってきたようで食べ物によっては痛いことがある。診てもらうと外側は難題で、残った歯の根っこが浮いてきているせいだという。奥歯の上部構造が腐ってしまい、抜けないまま上にブリッジをつくったという経緯がある。子供時代のハミガキ不足と不適切な治療が原因だった。更にブリッジの土台となる歯が痛み出し麻酔も効かないので、教えてもらった御茶ノ水の日大歯科へ駆け込んだ。その時、根っこが残っていて後々問題が出るかもしれないと言われた。
今になってその時限爆弾が動き出した感じだが、これを治すにはブリッジを外した上で歯肉を切開し、骨を削って中の歯を取り出す必要があるという。2時間くらいかかる難手術となり、だいぶ腫れるし痛みもひどいと脅かされた。幸い残った根っこに炎症はないので、様子見ということにする。単純な骨隆起はこの歯科でも手術できるという。

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自民党のパー券裏金問題は、期待された検察の腰砕けと岸田派(安倍派・二階派)解散という奇手によって目くらましをかけられた。派閥の問題とパー券裏金は違うのにガスが抜けてしまった。マギー司郎のマジックみたいだ。元検事の郷原信郎は、金額の多寡で線引きするのではなく、政治資金規正法の政治家個人への寄附行為として立件できなかったのかと語っている(1月20日付東京新聞「こちら特報部」)。特捜部は正義の味方でも何でもないし、人気取りで起訴するようなことがあってはならないが………。
もうひとつ、刷新本部の事務局次長としてテレビに答えていた鈴木貴子の貫禄に驚いた。これは末恐ろしいキャラクターだ。上川陽子や高市さなえ、蓮舫の比ではない。特定秘密保護法案の質疑を乗り切った有村治子に近いかその上かも。野党は心せねば。

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部屋を出てエレベーターホールへ行くと中年の男が自転車を引いていた。エレベーターが来て先に乗り込み「どうぞ」と言うと、男はなぜかふくれっ面で、「待っていたのによ……」と不平たらたら。何を言ってるんだ、乗せてやったんだからお礼を言うのが筋だろう。彼が自転車を入れるのに格別不都合はない。そもそも消防法でエレベーターに自転車を載せてはいけない。ちゃんとそう書いてある。この団地ではどういう申し合わせか知らないがそれが許容されているにすぎない。エレベーターのカゴを自分一人で気儘に使おうなんて虫がよすぎる。こういう男を誰が育てたのだろう。

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熱い身体をつくるには?

元旦は二度寝前にベランダに出て初日の出を撮影。我が家に来る賀状は多くないが、それを見て賀状を書き投函する。今年もすっかり遅くなった。珍しく野辺地の親戚のTさんから賀状がきていた。最近はご無沙汰していたが、Tさんもだいぶ高齢のはず。小樽の従兄の長男からクリスマスカードをもらったので賀状を出しておく。彼は米国から帰って小樽で店を出している由。こうして世代が代わっていくのだが………。
電話が鳴って出たらF君だった。吉本隆明の長女に可愛がられていることは前に書いた。双極性障害で沈没していたが、少し浮かび上がったのか。さらに脊椎の損傷で障害者になっておりヘルパーの介助が欠かせない。心配して2、3か月前にメールを出しておいたのである。彼と近しいY君にもメールしたが未だに返事がない。同期のA君・Y君から年賀メール。A君は相変わらず体調不良、Y君は脊柱管狭窄症の大先輩で20年来苦労している。3箇所の嵌入があり手術してボルトを入れたが長い歩行は難しいらしい。

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廊下で1軒先のSさんの奥さんにバッタリ会い、新年の挨拶を交わす。2人とも私より高齢で、奥さんは足が悪くいつも歩行器を使っている。話が湯沸器の工事のことになり「何ならうちのお風呂を使ってもよかったのに」と言うので、我が家はあなたのところとは違って風呂と流しは別々なんです、工事したのは流しで風呂じゃありません、と弁解した。S宅は最初から給湯器設置済みで家賃が5千円ほど高いそうだ。
夕方、珍しく家がグラグラ揺れ、「笑点」を観ようとしたテレビは能登地方の惨状を伝え始める。金沢にいるS君が心配だがあえて電話はせず、賀状もそのまま投函した。後日、無事というメールをもらった。本棚の本が散乱しただけだったようだ。A氏が車で現地へ支援物資を届けに行ったそうだ。魚沼にはO君もいるが大丈夫だろう。 
                               
いずれも上野公園・東京都美術館にて
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前の記事で朝起きたときの気温が10度で寒く感じると書いたが、見間違いで本当は20度であった。これは机上の温度だから、ヒーターが示す16~18度が近いかもしれない。それで寒く感じるのは異常ではないか。O氏が身体を冷やすからといって生ビールを避け、焼酎のお湯割りを飲んでいた。私も改めて身体を冷やす食品や温める食品を調べてみた。朝食のバナナやブロッコリーは冷性、豆腐やキャベツ、トマト、ほうれん草、白身魚も酢も冷性である。逆にニンジンやたまねぎ、青魚、チーズ、味噌、納豆、紅茶・ほうじ茶、日本酒などは温性だという。薬膳の思想によるものか。発酵したものは温性というが、発酵食品のコーヒーは冷性とされるし、サイトにより揺らぎもある。ともあれ無視する根拠もないので、ニンジンの油炒めとレーズンを朝食に加えドレッシングも変えてみた。

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6日は上野の都美術館へ『動物園にて』という展示を観に行く。見世物小屋から西欧流の動物園が生まれ発展していく様を、日本最古の上野動物園に焦点を当て資料や図像で辿る。第4章では旧知の画家や写真家たちが動物園をテーマに取り組んだ作品を集めている。エピローグの〈「動物園」から〉は酒航太の写真。全国の動物園で一生を終える動物たちの姿を捉え、既存の表現とは一線を画す作品。だが私には番外の〈はな子のいる風景〉がいちばん面白かった。一般から募集した最高齢で死んだ象「はな子」との記念写真のスライド映写で、色褪せたアルバムに凝縮するのは厳然とした時の流れである。酒航太は昨年末、中野駅ガード下ギャラリーでも『見ると見られる』という動物写真の展示を行っていた。

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よい終末を!

久々に餃子を作った。ダイエーで買っていたいつもの餃子の素は使わず、材料は袋入りのキャベツの千切り1つかみをみじん切り、ニラ1本は小口切り、ツナオイル缶半分35グラム、チューブ入りの生姜、塩・砂糖・酒・ごま油・塩麹・コショウ・オイスターソースを各少々。これをよく練りダイソーの餃子包み器で包む。おいしくできたがやや量が多すぎた。注意点は味付けを強くしすぎないこと。塩気があるかないかぐらいでよい。

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28日夜は池袋でY君と忘年会。借金を少し返して貰うが、まだ大きな元本は手付かず。しかし現在唯一のカラオケ仲間である。この前書いた会社に学生アルバイトで入り、ずっと同じ会社で他の世界を知らない。だがその社長も今はなぜか彼のことを敬遠し、彼の話題を出すと途端に不機嫌になる。町内会名簿の広告取りをしているが、個人情報保護がうるさくどこも町会名簿をつくらない方向のようだ。傍目にも非効率で止めた方がいいくらいだが、止めたら心身がすぐに老化してしまうだろう。例によって「歌広場」に入り久々にカラオケ。私の新曲は五木ひろしの「北の物語」だ。歌いやすく情緒がある。

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日刊ゲンダイのヘルス記事によると、冷え込む真冬に熟睡するためには、「18度以上」の室温を維持することが重要だという。最も熟睡できる理想的な布団の内部の温度は「33度±1度」であることがわかっている。深部体温が下がれば下がるほど眠くなり睡眠も深くなる。人間の身体はそれを維持しようとするが、布団の外=室温が18度以下になると布団内の温度も下がり、身体が冷えて睡眠の質が下がり、様々な健康トラブルの原因になる。
冬の居間室温が18度未満の住宅では、悪玉コレステロール値が1.6倍高くなり、心電図の異常所見も1.9倍増える。また、12度以下になると血圧上昇や心血管疾患のリスクが高まることが分かっている。布団内の温度が下がりすぎると、活動時や緊張状態で活発になる交感神経が優位になり、睡眠の質が下がってしまう。交感神経が優位になっている時間が長いと、アドレナリンやストレスホルモンのコルチゾールが多量に分泌される。すると、血管、心臓、脳に大きな負担がかかり、高血圧、心筋梗塞、脳卒中といった病気の発症リスクが上がってしまうという。恐ろしい記事だ。

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冬の早朝、私が目が覚めるときはだいたい室温が10度くらいになっている。それが二度寝の原因だったのだろうか。18度を維持すべく、夜中エアコンを最小限に運転させてみたが、風が煩わしく、温度も20度以下にできないので起きてからすこぶる調子が悪かった。エアコンより小型の電気ストーブがいいのかもしれない。
野辺地で父が悩んだのも冬の寝室の寒さだった。建てた家も断熱はないに等しく、屋根裏にグラスウールを詰めたりしたが厚さが足りなかった。弟は自分がそれほど感じないというだけで父の必死の努力を冷笑し、理解することも協力することもなかった。佐渡生まれの父は寒さとの戦いに敗れたと言える。そして次男という内なる敵にも………。

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さて今日で今年も終わり、私は無事80歳に。当ブログのコメント欄では最後まで緊迫したやり取りが続いて休む暇がなかった。数か月間状況が不明だった山姥さんの書き込みもありひと安心。9月に始まった脊柱管狭窄症の激痛には往生させられたものの、何とか乗り切れた。今年の更新はこれで打ち止め。皆さんありがとうございました。

お前は東條英機か!

「国民の信頼回復のために火の玉となって自民党の先頭に立ち、取り組んでいく………」
臨時国会閉会後の岸田首相の会見が話題になっているが、「火の玉となって」という言葉を東條英機が昭和18年年頭の挨拶で使っていたことはどこも取り上げていない。東條英機曰く「かくして一億同胞真に火の玉となつて戦力を増強し得ば既に約束せられたる大東亜戦争の勝利の栄冠は必ずや、我等の頭上に輝くのである」。
だが、18年はガダルカナル島からの撤退、山本五十六戦死、アッツ島守備隊全滅と続き、秋は今の国立競技場で出陣学徒壮行会、マキン・タラワの守備隊全滅、明けて19年に始まったインパール作戦が半年で失敗、連合軍の反攻が本格化、サイパン島失陥して7月18日東條内閣はついに総辞職する。「火の玉」とは状況が最悪となって堪えきれない時の醜悪な悲鳴だったのだ。岸田文雄はつくづくオリジナリティーのない男である。

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年末、あまり付き合いのなかった知人が亡くなり、何人かが弔いに出向いたようだ。昨年は11月に長老格のH先生が動脈瘤で急逝している(忘年会の通知文に今年とあるのは間違い)し、脳梗塞・脳腫瘍の病人が急増してきている。写真家ではカメラメカに造詣の深かった飯田鉄氏、また街頭スナップを撮り続けた豊原康久、田村博の両氏が亡くなった。豊原氏は1993年「Street」で木村伊兵衛賞を受賞しており、田村氏は毎年「贅沢な床」というグループ展を主宰していた。2人とも長い付き合いだった。10月下旬、江古田のギャラリー水土木(みずとき)の川村紗智子さんが亡くなったという。川村さんは陶芸家で陶芸教室も主宰していた。庭の緑に囲まれたギャラリーはどうなるのだろう?
                   
谷口正造展 I+GO+HOME+ALONE(恵比寿NADiff a/p/a/r/t)
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ザ・ニュースペーパーは社会風刺・政治家のものまねを得意とするコントグループで、結成35年という息の長さを誇る。月1回、東京新聞に紙上ライブが掲載されこれも十分面白い。見慣れた政治家をモノマネ芸人が演じ、そこに毒のあるギャグをかませる。羽生弓弦や藤井聡太ネタもあるが、やはり政治家モノがリアルで楽しめる。現存する政治家に似せるメイクや服装、仕草などの苦心が偲ばれる。安倍シンゾウを演じる福本ヒデは当時の安倍官邸に招かれたというから驚きだ。福本はアソウ副総理も好演している。
その他の役どころとしては、小泉ジュンイチロウ(松下アキラ)、スガ前総理(山本天心)、アソウ副総理(福本ヒデ)、キシダ総理(浜田太一)があり、松下アキラは桝添ヨウイチ、山本天心はレンホウ、田原ソウイチロウなども演じている。浜田のキシダは類似度がイマイチでもう一工夫欲しいが、松下の小泉ジュンイチロウから桝添に一瞬で変わるシーンは見もの。「令和」の額を掲げる山本天心のスガは絶品とはいえ、人のいい山本ではスガの陰気くささにとても及ばない。YouTubeに動画多数あるので検索を。福本ヒデの安倍シンゾウはこちら

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2年ぶりにC子来たる。といっても私が呼んだのだが、またしても不要な商品を契約させられてしまった。C子より相棒が強引だ。今回、それに関して預貯金を調べてみたところ、急速に目減りしてかなりヤバいことになっていた。浪費が過ぎ明るい老後に赤信号が点っていた。来年は飲み会を抑え超緊縮で望みたい。ところで、C子の父親が亡くなったと聞いた。勘違いしていたが私より2、3歳年上だったようだ。青森は母親が一人だとか。
                             
                       

そして誰もいなくなるのか?

某クマ氏に忘年会で会ったらすごいスマートになっていて誰だか分からなかった。ブログを読むと今は膝の痛みもなく、毎日規定の歩数をクリアしているようで喜ばしい。来年も大活躍が期待できよう。忘年会ではG氏が仕事を辞めたという話も聞いた。昨年11月に脳梗塞を発症しリハビリ中だった某氏は20日に退所し自宅介護に移る由。不安要素はあるが写真を見る限り元気そうだ。ただこの忘年会、畳の上で4時間は長すぎる。身体が痛くなり30分ほど早めに切り上げた。食べ物は潤沢だった。一方、私の家では予定通り瞬間湯沸器が付いて念願の文化生活が実現した。ガス代の増加が心配ではあるが………。

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シャバ(政界)では松野博一ら、安倍派5人衆+1の処遇をめぐって大荒れの状態が続いている。年内に内閣改造という声もあるが、沈みかかった船で閣僚を引き受ける奴がいるのかともささやかれる。そもそも自民党にクリーンな政治家がいるかどうか怪しいものだ。11年ぶりに永田町の土を踏んだという田中真紀子が記者会見し「答弁を差し控えるのはやましいからだ。それなら国会議員になるのを差し控えた方がいい」と皮肉ったとか。岸田はもちそうにないが、一度念願の首相になったのだから本望だろう。最後までドタドタと左右に揺れる歩き方が直らなかった首相………として記憶するのは私だけか。

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明大前のジャズ喫茶マイルスにまた寄ってみた。すると、カウンターの奥に「ジャズ茶房マイルスは11月7日で63周年を迎えました。これからも本山雅子ママが愛したレコードをかけ続けます」という貼り紙があった。カウンターにいるのは前回とは違う割と若い男性。そしてカウンターの隅で飲んでいたのは、前回マスターを務めていた中年男性と見たが違ったか。交替でやっているかもしれない。聞くと本山雅子さんは2019年に亡くなったという。ネットで探すと女優をしていた人のようだ。63周年なら創業は1960年、安保闘争の年ということになる。本山雅子さんが女優業の傍ら営んできた茶房が、死後も誰かに受け継がれて続いているのだろう。なんだか謎めいた店だがそれ以上のことは追及しなかった。しかしそのあたり周知の事実なのかもしれない。

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私が上京して一度だけまともな会社の社員になった時の社長が、90歳を目前にして句文集『蓮の花』を出した。前半は来し方を顧みる自分史の章、後半が句誌「方円」に20年余投稿した句を集めた句集になっている。仄聞してはいたが、N社長の生涯はけっこうすさまじいもので、昭和9年蟹座の星の下に生まれ、年少にして山梨のお寺に預けられて大変な苦労をしながら定時制高校に進む。その時稼いだ資金で谷中のお寺に身を置きながら石橋湛山の立正大学二部に入学。折しも安保闘争、警職法反対闘争が沸き起こり、N社長も学友会の委員長に推されて街頭闘争に参加するが、二期目には過激な闘争を控える方針に転換していく。卒業後は毎日系の聯合広告社に入社し、ここでも経営者のワンマンに反対する労組の委員長に担ぎ上げられ、会社のやり方を180度変えることに成功した。しかし、その会社も別の資本が入り込んだりしてのゴタゴタに失望して退職し、結局独立して案内広告の会社を立ち上げたのである。それが私の入ったS通信社である。
社員10人足らずの小さな会社だったが、後に拡大方針で広いビルに移ったのがミソを付けた。昭和57年暮れ、私は大ミスをしたわけでもないのに、在職6年にして退職に追い込まれた。やはり蟹座と山羊座は相容れない宿命だったのだろうか。本書より〈山峡の稲田それぞれ今日の色〉

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●北砂に住んで40年の大納言が、街歩き・川歩きから映像、文学、科学、占星術、故郷のことまで、虚実とりまぜて書き綴ります(各画像はクリックすると大きくなります)●コメント欄にも重要な補足情報や反論が書き込まれます。ぜひお読み下さい ●当ブログの文章と画像の無断転載はご遠慮下さい ●大納言への個人的な連絡は、下のメール又は非公開コメントを使って下さい。

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