一相独裁 

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寒けが少しよくなったと思ったら今度は膝(右)が痛くなった。家にいるときは気付かないが、地下鉄などの長い階段を下りるときがチトつらい。自己診断では骨のダメージではないようで陽陵泉のツボの押しもみで凌いでいるが、なかなかよくならない。整形外科も検討したが待ち時間が長いので躊躇してしまう。こりゃ、いよいよ老人になったということかな。

ところで、グーグルニュースというサイトがある。主要マスコミ電子版やネットニュースのタイトルがジャンルごとにここに集約され任意に読めるようになっている(一部会員限定もあり)。ところがお気づきと思うが、右翼マスコミ産経ニュースのタイトル数がすこぶる多いのである。どうやらここには産経の巧妙な戦術があるようだ。朝日・毎日やゲンダイは有料記事が多いのに対し、産経はほとんどが無料で、しかも「反日」・反安倍的な動きや論調に対しては即座に多方面から攻勢を掛けるので、それがグーグルニュースのようなところに反映されていく。ZAKZAK(夕刊フジ)はもっとえげつない。

                           
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さて、今回韓国文政権が打ち出した日韓慰安婦合意の再検討。安倍政権は冷静になるべきところ国内の感情的な反応をむしろ煽っているかのようだ。そもそも2015年末唐突に発表されたこの「合意」なる結論自体、当事者である元慰安婦との摺り合わせも日本国内での国会審議もなく、正式文書も交わさない朴政権との申し合わせに過ぎず、日本が10億円を拠出した(安倍はこれには頑張ったらしいが)ことで、元慰安婦への直接の謝罪もなく現金支払いという個人的な「決着」に矮小化させたのである。オバマ前大統領の強力な要請に、背後霊に操られる朴槿恵と金で解決できれば御の字という安倍が乗ったのが真相だろう。
韓国内では安倍の「謝罪の手紙を渡す考えは毛頭ない」という発言への反発もあり少女像の運動が広まったが、日本のメディアは韓国政府がこれを取り締まれという見解さえ流した。特定の表現活動を取り締まれというのは、一相独裁の日本ではあり得ても民主国家の韓国には通じない。文政権の見直しは彼の公約でもあったが、10億円の拠出金は韓国の予算で代替し、日本には謝罪を要求しているがむしろ抑制的である。戦時下の性暴力は単に日韓だけの問題ではなく、現代もまだ繰り返され続ける抑圧である。

                              
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ところで……14日の東京歌壇に半年ぶりに短歌が採用されたので、さっそく友人諸君にリンク付きメールで知らせたのだが、ブログの更新と勘違いしたか直接の反応はゼロ。こういうときにはお義理で喜ぶもんだよ。
                

「月の沙漠」に悩む 

                          
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年末年始はいつになく体調が悪かった。12月の気温も例年より低かったようだが、私自身寒けが続き、年末は下痢がひどくて積極的に外へ出る気がしなかった。30日の誕生日はお金を貸しているY君と新宿三丁目のさくら水産で少し飲む。今度も返済は繰り越しだが、やむを得ない。除夜の鐘ギリギリにメルマガの最後の原稿が3本入ってきた。これはまた難しい。先生(筆者)が大変な苦労をして書いていることがよく分かるので、真剣勝負である。年が明けて3日、ようやくUP。多少やり取りがあって再度手直しをし何とかまとまった。

                           
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年賀状が届くのは嬉しい。残念だがもう恩師の賀状は来ない。年賀状の表面のデザインはそれぞれの工夫があり感覚の違いがあり、性格がよく表れるところだろう。蝶の写真家S氏の賀状には、「人生初の入院」とさりげなく書いてあり驚いたが、秋の個展のさなかに倒れ20日間入院したとのこと。名前からしてすこぶる危ない病気だと分かる。中学の同級生のYさんからは、母親が百歳になったとあった。大変めでたいことで私もあやかりたいと思う。百はもう珍しい歳ではなくなったようだ。
もう1つ私が注目したのは、宛名面の印刷のことだ。手書きはともかく、パソコンでつくっているならばこちらもバランスを考えたいところ。宛名のフォントは「筆まめ」の流麗行書体が抜きん出ているが、私のは「はがき作家」という廉価ソフトなので、AR祥南真筆行書体で代替するしかない。いずれにしても、宛名面がやっつけだと目出度さも半減する。こちらのほうが表面よりもっと性格が表れる部分と言えるかもしれない。

                        
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正月早々ちょっとしたトラブルがあった。前にも書いたことのある「月の沙漠」のオルゴールを流す灯油販売がどうにも我慢できなくなった。30年聴かされてきたが、一度も苦情を言ったことがなかった。しかし、今度はたまたま用があって下へ降りるとすぐ前に止まっていた。チャンスだと思いトラックに近づいた。近くへ行くと音は意外と大きく話ができないくらい。若い運転手に窓を開けさせ「音がキンキンしてうるさい。小さくするか時間を短くしてくれ、そこの棟の者だが」と言いかけるやいなや、彼は「じゃここでやらなきゃいいんだな、そういうことだな!」と話を遮って切り口上を噛まし車を動かした。販売業とは思えない柄の悪さである。車の後ろを写真に撮っておく。しばらくするといなくなっていた。
下記のようなサイトがある。個人で苦情を言ったりしないようにとあった。こういうケースは犯罪だから警察(110番)に通報するのが効果的らしい。
「灯油の巡回販売を利用しないでください」
     

一遍から何を学ぶか? 

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税制改正大綱を受けたメルマガの急ぎの分はUPした。ソンコ・マージュのコンサートは失敬し、後でCDを購入した。ポルトリブレは28日で幕引きとなる。年賀状はやっと出したが、宛名の漢字が間違っていたりコメントを書き間違えたりで大変。何より毎年図案を考えるのが一苦労だ。それと今年は断捨離しすぎて、ハガキがだいぶ余ってしまった。
風邪らしい猛烈な寒けは少し落ち着いたようだ。体温36.2~4度。私としてはまだ高めだが頓服(カロナール300)を飲むほどではない。ところが一方で、真武湯が強すぎるのか風邪の影響か、ひどい下痢になってしまった。真武湯の副作用として下痢は記載されていないが、老人には強すぎるから減量せよとある。これは服用を一時中止するしかない。
それと夜中に痰が出すぎて往生し耳鼻科の最終日に駆け込んだが、先生はいつもの処置だけで何もしてくれない。鼻と喉を診て「乾燥」「充血」という言葉が聞こえたので、忖度して次の夜はお湯を入れたコップを置いて寝たら効果覿面であった。いずれにしても、医療機関全休の年末年始を乗り切る用心が必要になる。

迷路のようなポルトリブレの階段も見納めだ
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年末ギリギリに神宮前のトキアートスペースでちょっと興味深い展示が行われていた。村上慎二の「勝手な巡礼散歩・野にあるように」は、栗田勇『一遍上人 旅の思索者』(新潮文庫)をテキストとして一遍ゆかりの相模原市・無量光寺(旧時宗総本山)から藤沢の清浄光寺(遊行寺・時宗総本山)まで、およそ30キロを歩き写真を撮るというもの。一遍のことはよく知らなかったが、一遍上人、遊行上人、捨て聖と尊称され、踊り念仏を広めた人と言っていいか。南無阿弥陀仏を一遍(一度、一回)唱えるだけで悟りが証されるという教義は、仏教を大衆化する大きな契機となったとされる。踊り念仏は盆踊りの原型になったという説がある一方、尼僧も交え法悦に至る過激(楽しそう)な狂乱状態が非難を浴びたとも伝えられる。
村上の作品は「藤沢今昔まちなかアートめぐり」という例年行われるイベントの一環として撮られたもので、それを暗くなった壁面に投射するようなこともしている。一遍の死後、弟が彼の足跡を辿って『一遍聖絵』という書物にしていることを考えると、村上の営為もそのコンセプトに連なるものと言えなくもない。米軍基地近く起伏の多い地形に旧海軍の横須賀水道みちがあったりする、現代の地誌との重ね合わせがワクワクする。なお、『一遍上人 旅の思索者』は絶版だそうだ。展示は31日まで。

                         
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今日74歳の誕生日。一昨日、プレゼント前倒しで手袋を買った。特別な感慨はないが、人生残り少なとの思いが募る。あと20~30年となれば小さなことで悩んでいる暇はないようでもあるが、俗人には小さなことほど悩みが大きいのである。もう踊り念仏の列に加わるしかないか。
                             

続・寒けに右往左往 

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21日、厄日。昨日は効きそうと思われた真武湯だが、今日は朝から寒けが強くて全く動きが取れない。外出も控えた。ファンヒーターは点けっぱなし、PETボトルを使った湯たんぽもすぐ冷めてしまう。やむなくアセトアミノフェン300mgを含むタイレノールAを飲み始めた(食後)。体温計は36.1度から36.5度の間を行ったり来たり。頭が冴えずメルマガ仕事も上手くいかない。不完全なものを2回もアップして恥をさらしてしまった。
そこで夜半に至り酒を飲む。買っておいたのは「一ノ蔵無鑑査」。懐かしい名前である。純米酒ではないが、キリッとした辛口で好ましい。魚肉ソーセージを肴にぐい飲み2、3杯。ホーロー鍋で直に温めたら沸かしてしまった。
次の日、朝は暑くて目が覚めるが、背中は寒い。体温を測ると35.8度。しかし食事をして動き回るとすぐ36度台になってしまう。昼前にクリニックへ行き、真武湯が効かずアセトアミノフェン製剤を飲んで、下痢気味でもあると言うと、カロナール300と下痢止めに整腸剤を出してくれた。クリニックでの検温結果は36.5度。真武湯がまだ残っているので併せて飲む。外へ出ると風がものすごく冷たく感じ、動きが取れない。


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昔ビデオに取っておいた『レッズ』を観ようとしたが、テープが固まって回らない。だましだましして動かしたが、最初の方はうまく観られず全部観るのに何日かかかった。『世界を揺るがした10日間』を著した米国のジャーナリスト、ジョン・リードの半生を描く。監督と主演、リードを演ずるのはウォーレン・ベイティ、恋人のルイーズをダイアン・キートン。2人が一瞬で恋に落ちるあたりは驚きだが、実生活でも2人はくっついたというから大変だ(ベイティは名うての肉食系)。第一次大戦参戦に反対しコミュニズム運動にのめり込むリード。革命直後のロシアに入り革命の熱に驚喜するが、米国の運動は分裂と弾圧の中にあり、彼は自分のつくったアメリカ共産労働党のお墨付きを得るべく再びロシアに潜入する……。
可愛いながら芯のあるダイアンに比べると、牡羊座のベイティはおっちょこちょいの先走りの観あり。しかしダイアン、否ルイーズとて劇作家ユージン・オニール(ジャック・ニコルソン)とも関係を持つ奔放さ。「もうひとつの『ドクトル・ジバゴ』」との評があったけれど、確かに同じ時代を描く大河ドラマでありながら、印象はずいぶん違うとも似ているとも言える。革命の被害者・傍観者であるジバゴに対し、リードはコミュニストとして革命を伝え広め推し進めようとするが、モスクワで病に斃れる。壮大なロシアの大地を描くのは何と言っても『ドクトル・ジバゴ』のほうである。

四丁目の子(中)は尻尾を修復中。右はその友達
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土曜日はポルトリブレでギタリスト、ソンコ・マージュのコンサート。日曜日は平井で「置文」の忘年会がある。体調もさることながら出費がかさむのが心配だ。
                            

寒けに右往左往 

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寒けが半端じゃない。完全に風邪引きだが、熱は36.4度しかないので調子が狂う。寒け以外の症状はない。今日ギャラリー回りは止めた。
この間、寒さ対策を色々施した。まず毛布を三つ折りにして背中の部分の下に入れたが効果なし、ヨドバシでアルミ蒸着の保温シートを買って下に敷いても効果がない。発泡タイプの入浴剤を使ってみたがこれもさしたる効果はない。最悪な日は、7時過ぎに目覚めてガスヒーターを点けたのに全然身体が温まらない。どうもこれは風邪らしいと考え直した。パブロンSαを飲むとともに、ダイソーで300円で買った180×180の大きめの保温シートを半分に切り、天地に金属棒を張りつけてスダレの要領でベランダのガラス戸の外側半分に吊した。これで結露も抑えられるはず。加えて昼間持ち歩いたホッカイロを布団の下の背中の部分に入れ、かつ、シャツを2枚重ねした。余った保温シートは風呂の残り湯に浮かべた。結果はOK、木曜日は8時間眠ることができた。風邪薬のせいもありオシッコは濃い黄土色になっていた。だがまたぶり返した。とうとうヨドバシで電気敷毛布を買ってしまった。

                          
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朝、電話が鳴った。出ると「小樽のTです」という。7月に従兄が89歳で亡くなった旨の喪中ハガキが来たので、ミルナくんに相談したら何もしないでいいと言われたが、気になってネットで線香とロウソクのセットを送っておいたのである。電話はその奥さんからであった。奥さんは「お互い顔も知らないで……」「後でお返しを送ります」と言うので懸命に辞退したが通じなかったようだ。父の兄弟は男だけでも10人いるが皆亡くなり、叔父で知っていたのは1人、従兄弟で知っているのはわずか3人にすぎない。その1人が亡くなったTさんだが、知っていると言っても電話で一度話したきりである。奥さんの声を聞くのも初めてだった。父には歌謡曲の歌詞を入れてパソコンでつくった絵葉書を送ってきていた。父の死後、旧い小樽のスナップ写真集を送ったこともあったが、返事はなかった。いったいどんな生涯だったのか。語ることのなかった従兄が偲ばれる。

                                
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年末に来て体調のせいか憂鬱である。いつもなら気分転換になるメルマガの仕事も切れ次が入ってこない。与党の税制改正大綱が発表されたのでまもなく特急の原稿が入るだろう。これで毎年年末にバタバタさせられる。

                
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