宴会は食べる物がない 

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大久保での忘年会に出た。私は15年・16年と2回休んだのでみんなの顔を見るのは久々だ。面々は、80歳目前で子供相談のNPOに携わるY氏をはじめ、ネット書店を営むS君、吉本氏との座談会DVDを出したM君、45年越しの裁判に勝ったと思ったら控訴されたO君、労組運動で自宅を差し押さえられたK君、自宅で農業と進学塾を営むY君、脳梗塞リハビリ中のH君など多彩。北極地方のF君、建築士現役のG君も頑張る。年齢層が幅広いので現役は少なくない。私も上京して実に44年が過ぎた。K君は日本でも韓国並みの個人訴訟が増えつつあると言っていたし、O君は外車にはねられて足を骨折し、800万円だかの賠償金を取ったが気前よく使い果たして素寒貧たと言っていた。
この日私ははなぜか朝から声が出にくくなり往生した。会はビール主体で刺身や鶏の唐揚げなど生魚と肉ばかり。鍋も出たがこれにも肉(モツ)がたっぷり入っているので食べられるものは皆無。世の中どれほど肉食が多いんだ。終盤になって枝豆やコロッケをオプションで追加したのが唯一のつまみだった。そのおかげで酒も進まず酔いはほとんどなかった。もうもうと立ちこめるタバコの煙が声枯れに悪い。後で見ると離れた場所にカニ鍋がありだいぶ残っていたが、やはり肉が入れてあったんだろうか?
いずれにしてもメンバーは多士済々、みな根性の座ったひとかどの人間ばかりで、軟弱なのは私くらいか。しかし横から見ると腹が出た体型が多いのが気になった。また、N女史が私のブログの記事「猫への伝言」にある白猫の画像は自分の猫だと主張していたが、帰って調べると猫町七丁目で撮ったもので女史の地域とは離れすぎている。似た猫であろう。

                          
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本郷の文京ふるさと歴史館で「季節のうた-歌人窪田空穂生誕140年・没後50年-」を観る。空穂は50年を超える歳月を目白台で過ごし、全集に載る歌だけでも14,000首以上を詠んだ他、早稲田大学などで教鞭を執りつつ多くの後継者を育てた。空穂のすごいのは「明星」に参加するも退会し、特定の師を持たず自力で流派を創りあげたことだろう。その歌風は「境涯詠」と呼ばれ日常生活の些事を詠んだものが多い。双子座の人らしい飄々としてこだわらない自在な詠み方と思うが、意外にも字余りの破調が少なくないことに気付いた。
なお、展示の中に「漂白(さすらひ)の……」という歌があり、目を疑ったが自信がないので帰って岩波文庫で確かめてから電話したら、やはり「漂泊」の間違いであった。それを除けば展示は空穂記念館の協力を得た丁寧なもので大変ためになった。65歳以上なので入館料はロハである。

                        
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踊る写真 

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9月に四谷のギャラリーヨクトで行われた西村陽一郎展「踊ル人」は、自主ギャラリーならではの刺激的な試みと言ってもよかろう。踊る人・キベこと木部与巴仁のダンス(キベダンス)を撮った西村のモノクロ写真が展示されているのだが、時間が終わる午後7時からはキベの生ダンスが1か月にわたる会期中毎日披露され、最終日にはピアノ演奏付きの特別公演があった。演目はすべて谷崎潤一郎『過酸化マンガン水の夢』。その踊りはモダン系でも暗黒系でもないと聞いていた。キベは全裸もしくは女性下着を纏う。私は最終日に拝見したが違和感はなく、会場は大入り満員(10人そこそこ)であった。なお、野辺地はモダンダンスの先駆者、江口隆也・乙矢兄弟を輩出している。小学校の頃見せられたがさっぱりであった。

                             
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原美術館で田原圭一の「光合成」with 田中泯 を観る。入館料は1,100円。都市や自然を舞台に踊るダンサー田中泯の裸体は、白黒の陰影の中で都市ではオブジェとなり、田園や自然に対しては人体の祖型を失い大地に同化するかのようだ。展示の中心を成す1978~80年の作品はなぜか未発表のまま眠っていたものだという。70年代からパリで活動していた田原は本展準備中に急逝している。原美術館は品川御殿山の奥にあり、実業家・原邦造氏の私邸だった建物を美術館に再生した、現代美術専門の美術館である。「光合成」は今月24日まで。水曜日は午後8時まで開いている。

                          
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Zen Photo Galleryで渡辺眸「香具師」を観る。「香具師」は「テキヤ」と読むが、ATOKでは変換できない。これは60年代後半、祭りや縁日を彩るテキヤの世界を「殺されるよ」と脅されたり「三号が欲しい」と口説かれたりしながら内側から撮った作品である。会場に年配の女性がいたので挨拶するとやはり作家本人であった。渡辺眸といい大石芳野といい命がけですごい写真を撮っているくせに、こういう「女流」写真家はみな小柄でおっとりとした風情。外見だけ一丁前で何もできない私とは大違いである。  

                           
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イオンが週刊文春を訴えた裁判で、東京高裁は「見出し以外の記事は真実」として1審の賠償金額を大幅に減額した判決を下したという(こちら)。当の見出し〈「中国猛毒米」偽装……〉はまずいとして、リテラの記事が記すように産地偽装した中国米の混入や検査体制の杜撰さ、商品の8割が中国産という文春の指摘が本当なら、私のよく行くまいばすけっとやダイエーも危ないことになるがどうなんだろう。イオンのSLAPP(いやがらせ)訴訟は食い止められたかに見えるが、最高裁に上告すれば逆転の可能性もないとは言えないとか。

はしだのりひこ死去の報道。1945年1月7日生まれの山羊座であった。
                        

かるいきびんなこねこ…… 

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ざくろ小路の子猫(といっても成獣)たちはやはりボランティアの手で捕らえられ、猫が欲しいという人に引き取られるのだという。親猫3匹のためには空き地に段ボールの小屋が作られていた。いわゆる地域猫保護の活動というやつだろう。急に子猫の姿が見えなくなったのはそのせいだったのだ。向かい合わせの両Iさん宅はどちらも猫を飼っているが、ちょっと先のUさんは、野良はやたら糞をするから好かんという立場だ。子猫の引き取り手が見付かれば嬉しいが、あのやんちゃな鼻黒ちゃんがいなくなって、小路はすっかり淋しくなった。
ところで猫の話のついでに聞いたのだが、段ボールの猫小屋が置いてある奥の家は主人が亡くなって空き家というより廃屋だし、その前も空き家、その隣の猫の遊び場はアパートを取り壊した跡が草ボウボウになっているが、ここも道に車が入れないので建物が建つ予定はなさそうだ。

                
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川歩きの仲間H君が井の頭線沿線へ引っ越した。マンション住まいから木造2階建てのアパートへ、家賃節約のためだという。木造アパートは寒いとこぼしていた。新しい街には京王デパートとサミットストアがあるが、私の好きなダイエーはないというので、私ならば制約を感じるかもしれない。このように、現代人の生活はスーパーなどの衣食の環境に左右される。支配されていると言ってもいいだろう。何のかんの言ってダイエーへ行っているのは、品揃えがある程度満足できるからで、多少高いことには目を瞑っている。半分ほどの距離にヨーカドーができたが、こと食に関してはなかなか切り替えられない。砂銀の赤札堂や魚壮、まいばすけっとなども物により利用するが、ほぼ全体をカバーするのはダイエーだけである。

                   
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先日、A氏とさくら水産で飲んだときのこと。今まであまり感じなかった清酒の燗酒があまりに甘くべとつくので、A氏に付き合い地酒の冷やにしたら後で酔いが回ってきた。燗酒はメニューに「淡麗辛口」とある。
次の日、さくら水産本部にメールでお得意のクレーム攻撃を掛けたが、「大納言様の口に合わないかもしれないが、多くのお客様に愛されている」「〈淡麗辛口〉はメーカーの表記をそのまま記載している」とかわされてしまった。さくら水産は安くていい店だと思っていたが、この燗酒だけはいけない。多くのお客はその酒を愛しているのではなく、やむなく受け入れているのだと思う。

                   
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空っぽの街/玉手箱の里 

夜中の0時過ぎ、風呂に入っている間にWindows10のupdateが行われ、書きかけて完成間近のブログ原稿がおシャカになってしまった。もっとも、0時過ぎてからは更新していいように設定したのは私であるが……。

マンションの建築現場と、右端はトークイベントの様子。左から平井・浜・北島の各氏
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人も猫もいない空き地の光景、「遠近法の教科書」と平井玄が評した空っぽの東京が延々と続く。これは新宿photographers'galleryで行われている浜昇「VACANT LAND 1989」の印象である。同名の分厚い写真集も出版されている。バブルで地上げされ放置された空っぽの都市は現在巧みに修復されたかに見えるが、多数の自殺者を生み共同体を崩壊させた時間は戻らない。写真家・浜昇に評論家の平井玄とphotographers'galleryを主宰する北島敬三を交えたトークイベントでは、これを津波ならぬカネがもたらした大災害の被災地とする捉え方が共有された。

                 
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浜は70年代後半の自主ギャラリーPUTで活動し沖縄も撮っているが、その辺りのことはよく知らない。「VACANT LAND 1989」を撮るきっかけは、四谷に住む浜が町内会の記念誌か何かを出すために、住民に取材したことにあるらしい。四谷では兵隊から帰って築き上げた街がダメになった。浜は何もできないので写真だけは撮っておこうと思い、つまらない作業だが、裁判に使えるよう場所をきちんと記録することに務めた。葉っぱや草が写ると風景写真になるので夏は撮らないし、転居先や挨拶の記された立て札は画面から外したそうだ。昔、都市論や風景論が流行ったが、生きた人間が存在しない場所では都市論・風景論にならない。これらは個人の歴史が抹消された単なる空き地だという。浜は今、東京の工事現場をデジタルで撮りつづけている。
新宿に育ち今も新宿に暮らす平井は、著書『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)で写真集『VACANT LAND 1989』に一章を割いている。

                    
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六本木のストライプハウスギャラリーで行われた塚原琢哉「60年前の記憶 遙かなる遠山郷」はこれはこれで大変印象的な写真展だった。南アルプスの山襞に囲まれた下栗の里 遠山郷は、今でこそ日本のチロルと呼ばれ「にほんの里100選」にも選ばれているが、写真を始めて間もない頃の塚原が訪れたときは、秘境にも近かったのではないか。60年もの間、陽の目を見ることなく眠っていたネガからプリントされた写真は、霜月祭りなど伝統行事を守る当時の山村の暮らしを奇跡のように甦らせる。写真集が信濃毎日新聞社から刊行されている。

                         
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7丁目へ行ってみたが猫には会えず、代わりに東京新聞の兄さんにばったり遭遇した。向こうも「アレ?」という顔をしていた。帰りにテルに挨拶しようと思ったら、寄っては来たがチトご機嫌がよくないようだった。猫の心と秋の空か。そして、ざくろ小路の子猫に襲いかかった過酷な事件のことも取り上げようと思ったが、また来週だ。

                  
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テルという名の女 

                           
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検査の結果、眼鏡を作り替えることにした。私の目は左が老眼、右が軽い近視で、両方に乱視があり、左には網膜前膜による色抜けや歪みがある。取りあえず眼鏡で補整できる分はやっておきたい。若いうちは目が補正するが、だんだん無理を生じ疲れの原因になるとのこと。現在の眼鏡は20年近く使っているはずだが、なぜか乱視の補整はしていない。検査士に見せるとフレームが大きすぎてレンズや視野に歪みが出るという。実際、外して光を反射させ確かめると周辺が妙に歪むのが分かり最初から気になっていた。そこでフレームごと新調することにした。値段は2万6千円弱。出費だが目にはまだ30年は働いてもらわなくてはならない。

                               
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砂銀へ行きついでにテルの様子を見たが、天気がイマイチなせいか行きも帰りも寝ていた。別の日、起きていたので呼ぶと近くまで来るが触らせてくれない。写真を何カットか撮らせてもらうと、つまらなそうに奥へ引っ込んでしまった。砂銀の先にいる白黒ぶちのノラは、喧嘩したのか尻尾の先が使い古しの筆みたいになっていた。よく見えなかったが後ろ足も損傷しているようだった。猫の世界は熾烈だ。
ところで、テルという名前は何だか人間くさくて呼ぶのが照れくさい。過去にテルという名前の女性を2人知っている。1人は弘前の下宿屋の女将。当時は襖で仕切っただけの部屋に怒りあくどいとも思ったが、農場実習の日に別立てで弁当を作ってくれたり、実は大変お世話になったのである。4年の時だったか、清水の舞台から飛び降りるつもりでそこを「脱走」し、自炊に入った経緯は以前ブログに書いた。

                             
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もう1人はかつて高円寺北口にあったバー・テル(正確な表記は不明)のママである。私は1人でこの手の店に入れない性格なので、行ったのは誰かに連れられていったか誰かを誘っていった場合だろう。何かのイベントの帰りに、今は故郷に引っ込んだT氏と3人、新宿で飲んだこともあった。店では溝のすり減った『ラブユー東京』のB面『涙とともに』をよく掛けてもらった。蟹座の人、テルさんが亡くなってもう二十数年は経つだろうか。お弔いの知らせをもらった時には故あって出られず悔いを残した。テルのあった路地の辺りは再開発で一変し、今や痕跡を探すべくもない。

                    
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